1-12:エイベル、いつもより縮む
頻度そのものは多くないにしても、アーサーは時折魔法生物学のゼミに顔を出す。生き物を相手にしているのだから場所は当然牧場のようなところになるし、そこでは力仕事が要求される。
アーサーは一見優しそうな頼りない、そして机にかじりついているのがお似合いの男なのだがその実体力は人並み以上にあった。
「博士――ッ!」
その彼がこれまでないほどに息を切らせて、身だしなみも気にせずに学会の席に飛び込んできたのだから、何か良くないことが起きたらしいのがギデオンには容易に想像できた。
※
少しばかり時は遡る。その日、ギデオンは随分浮かれながらアーサーの持ち込んだ手紙を読んでいた。
「臨時の学会が入りましてな、これから少々出かけることになりました。場合によっては数日帰ってこないこともあるでしょう。くれぐれも頼みましたぞ」
臨時の学会と銘打たれてはいるが、その実他国と合同開催の研究発表会だ。参加者たちの一部は国自体が敵対関係にあるというなんとも複雑な状況ではあるが、学びの欲には勝てないものらしい。所属する国のことはすっかり忘れて魔術の研鑽に努めるというのが暗黙の了解だった。とはいえギデオンに勝るとも劣らずの奇人変人がわんさと集まる学会であり、国の情勢などどうでも良さそうな空気が流れていたのをアーサーは記憶している。一度だけ鞄持ちで連れて行ってもらったことがあったのだ。
「あ、はい、わかりました。一応、場所を教えてもらえませんか? 僕だけで対応できないことがあったら連絡します」
「おお、そうですな。……ええと、確かここに」
国に露見しないよう秘密裏に行われるのもこの学会の特徴の一つだろう。各国随一の魔術師たちがこれでもかと腕によりをかけて開催地を隠蔽する。住所が分かっていなければ目視はおろか感知すらできない。逆に、場所さえ知っていれば割と誰でも入れてくれるゆるい一面もあった。招待状の一部分を見せてくれたので、その場所を記憶しておく。意外や意外、街のど真ん中のホールを借り切ってやるらしい。大胆すぎてもはや意味不明だ。
「では行くとしましょう。ローレンソン君によろしく」
招待状にあった「魔術式」を使ってギデオンは空間転移をやったようだ。あれなら目的地周辺まで瞬き一つで行くことができる。理論についてはアーサーはまだ知らない。ギデオンは何かしら仮説を立ててはいるだろう。
「あんなぺらっぺらの手紙のどこに術式コードしてあったんだよ……感心通り越して寒気がする……」
空間転移は大掛かりな装置を用いてやるのが一般的な方法だ。しかし送り主はどういうわけかそれを紙切れ一枚でやってしまっている。そのレベルの魔術師たちがごろごろいるのがこの秘密学会だ。たとえスパイ目的の侵入者があっても何一つ得るものはないだろう。内容が高度すぎて理解が追いつかないのだ。
「……エイベルさんなら知ってるかな」
ギデオンからの頼まれごとの一つにはエイベルの面倒をしっかり見ることが含まれている。他には部屋の管理と賢者陣からの妨害工作への対処がある。ギデオンの昔話を聞いて以降任せてくれるようになったのだ。
エイベルはまだ自室で寝ているのか、この部屋に顔を見せていない。資料の整理をしているうちに起きてくるだろうとしばらくはそっとしておくことにした。
「ごめんくださぁい」
こつこつとノック音がする。出迎えると、エリザベスがそこにいた。
「御機嫌よう。……あら、ギデオン博士はいらっしゃらないのね」
「もしかして、博士が何か予約してました?」
「そんなんじゃないわ。魔術材料とか道具のいいのが入荷しそうだから、ご入用かどうか聞きに来たのよ。……まあ、博士はあまりこういったものは使わないでしょうけどね。古典的だし」
エリザベスはひょいとリストを差し出してくる。リストアップされているものはいずれも儀式用のものだ。強力な魔術を施行する際に、しばしば魔力の依り代やマナからのフィードバックの緩衝材としてこういったものが使われる。
詳しい機構はわかっていないが、人間の魔力をよく溜め込んだり増幅してくれたりするのだ。大きな魔術であればあるほどマナの揺れは大きくなる。こういった材料で身を守るようなことをせずもろにくらえば最悪死に至ることもある。
「『よくわからないけど便利なもの』が許せないみたいですからね、博士は。……あ、僕松脂は欲しいです。ペンの修繕に使いたい」
「ちょっとォ、修理用なら日用品店で買いなさいよ。……品がいいのは認めるわよ?魔力伝導もいいし、すごく丈夫に固まるわ。あと香りがいいの」
長年愛用したペンが先日アーサーの手の中で真っ二つになってしまった。学生時代に奮発して買った人間の魔力をインクに変えてくれる便利な品で、インク壺をひっくり返して研究成果を無に帰した経験のあるアーサーには必需品だった。
「ペン軸の原産地に合わせたいんです。……や、他のだと木が嫌がっちゃって」
「まあ、質のいい北の松脂なんてその辺の店じゃあないわよね。いいわ、取っといてあげる」
「でもさすがエリスさんですね、そんないいの仕入れられるなんて」
「ふふ。褒め言葉ならいくらでも頂戴な」
数少ないヴェルゲニアの友好国の一つがここより北に位置するオーレリウス国だ。文化水準は大して変わらず、言語も比較的通じやすいため交流はかなり盛んである。市場価格よりはるかに安い値段で取引できそうで、アーサーは内心手をこすり合わせていた。
「ところで、チビ助はどこいったの? あまり出歩くタイプじゃあないでしょう」
「エイベルさんですか。まだ起きてこないんですよね。……そろそろ起こさないと機嫌悪くしちゃうかも」
ギデオンがいないとなると機嫌が悪い確率がさらに上がる。もう少し早く起こしに行くべきだったかと頭を過る。
「……ねえ、小さな子供の泣き声が聞こえない?」
「え? いや、僕には……」
さっと立ち上がったのはエリザベスの方だ。泣き声がするという方にまっすぐに歩いていく。ギデオンがいつの間にか用意していたエイベルの私室だ。
「……アーサー! とっとと来なさい!」
開け放たれた部屋から幼児の泣き声が漏れてきた。間違いない、エイベルのものだ。エリザベスに呼びつけられてはっと正気に返ったが、動揺はかなり大きい。
「あわわわエリスさんどうしましょ」
部屋のベッドで泣いていたのは言葉が話せないくらいの小さな子供だった。ここまで年齢が幼くなったことはないので、対応の仕方が全くわからない。これまではせいぜい六歳かそこらが最低年齢だったのだ。
「身体中痛くて泣いてるのね、かわいそうに」
相当に縮んだ体に合わせて精神も大分退行してしまったようだ。めちゃくちゃになっている体内魔力の流れが大声で泣けないほどに痛むらしく、エイベルはぐずぐずと押し殺した声で泣いていた。
と、外から訪いを入れる声がする。アーサーは頭を抱えた。
「う、こんな時にまた来客」
「あんた出てきなさい。アタシはチビ助の面倒みとくから」
エリザベスがなんの迷いもなくエイベルを抱き上げてあやし始めた。すると、エイベルの泣き声が少し小さくなる。なんの知識もないなずだが、彼女は魔力流の調整をやろうとしているらしい。探ってみるとすぐにわかった。
玄関を開けるとユディアとブルーノがいた。
「何そのめんどくさいって顔。わたし王族なんだけど?」
「今ものすごく立て込んでるんです。あと博士はいません。学会です」
「なになに? わたしでよければ協力するけど」
ユディアは遠慮もなくすたすたと部屋に上がり込んできた。子供の泣き声にはすぐに気がついたらしく、エリザベスの側に寄っていく。
途端にエイベルが火のついたように泣き出した。ぐるりと振り返ったエリザベスの顔は控えめに言っても食人鬼だったとアーサーは思った。魔生物辞典の魔物の項目で見たことがある。影のある美しい妙齢の女性とばかり思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「出てけーッ!」
エリザベスはくわりと目を見開いてユディアに怒鳴りつけた。びくりと飛び跳ねると、一目散にブルーノのところに逃げ帰ってきた。彼女にしては素早い動きだったと思われる。
「アーサー、あんた博士を呼んできなさい。そこの大男はアタシの手伝い。ユディア王女はなんでこんなところにいらっしゃるのかわからないけど、とにかく今すぐこの研究室から出て行ってちょうだい。あんたがいるとチビ助が泣くのよ」
三者一様に動きは迅速だった。まだこれから先の人生を呪われたくはない一心だった。
そしてアーサーは心臓が壊れるような思いをしながら学会をやっている場所に駆けていき、冒頭のような状態になるのであった。
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