1-11:ギデオン、過去を語る



「……何よ、アタシがいちゃあ悪いっての? お店は休みだし、自分の作った物の様子見に来てもいいじゃないの」


 道具屋の女主人がいた。アーサーは先日ぽっきり心を折られたばかりで、まだ傷は癒えそうにない。確かエリザベスと言ったか。今日はエイベルに装着された道具の具合を見に来たらしい。こまめに調整のいるものなので都合は良いが、案の定彼自身は人見知りで縮み上がっている。エリザベスの語気が強いのにすっかり圧されて嫌味も言えずにいるようだ。


「えーっと、エリザベスさん」

「そうよ。エリザベスかエリスって呼びなさい。エリザとかエルザって呼んだら殺すわ。内臓を少しずつ腐らせる呪いをかけてあげる」

「あっ、えっ、はい……」


 アーサーはひとまずはもてなしの茶を淹れに立った。お茶漬けは作り置きしているビスケットでいいだろう。近所のマダムたちに受けがいいのでエリザベスも気にいるはずだ。


「博士が面倒な注文すると思ったわ。この人めちゃくちゃなからだしてるじゃない」


 エリザベスはすでにあちこち触ってエイベルの身体の状況を把握してしまっていた。道具自体は精密な調整を終えられて脇に置かれている。となると、彼女は世間話をするつもりのようだ。


「その人大分変わってるんで。……執着心が凄いというか」

「あら! 呪術に向いてるじゃない。……人を羨んだことはあって? 殺してやりたいとか、自分より不幸になればいいとか念じたことは?」


 怨念に燃える女の顔をしている。エリザベスは己を裏切った人間すべてに彼女は復讐してきたという。命こそは取らなかったが、死んだほうが楽だったとまで言わせたそうだ。

 エリザベスの悲しい悲しい男遍歴はちょっとした語り草になっている。彼女の男嫌いはそこからきているらしい。

 某公爵との不倫騒動、某年若き実業家の裏切り、二股騒動、それとは別に向こうの都合からの三度に渡る婚約破棄など話題には事欠かず、エリザベスはそのすべてに呪術を用いて復讐してきた。

 「二度と男を信頼するものか」という誓いこそが心の隙になっているのに彼女は気がついていない。いずれも金と顔のいい男に一杯食わされてきたので、そういう奴は近づけないようにしているという。藪をつついて聞く話ではなかったとアーサーとエイベルはげっそり顔を見合わせた。


「……ある。が、お前のやるように特定の個人に対する恨みはない。俺が恨むのは何も考えていない馬鹿と俺自身だ」

「ふうん。めんどくさいのね、あなた。個人を恨めないんじゃしょうがないわね」


 エイベルとエリザベスの間でもうららかな昼下がりには不釣り合いな会話が繰り広げられている。お茶汲みを言い訳に退席したほうがいいだろうか。


「博士は良い人ね。これ屋外実験用の補助具よ。結構なお代も頂いてるし、大事に使ってちょうだい」

「……そう、か」


 エイベルは道具を取り上げてじっと見ている。理論魔術ばかりを修めてきたので道具類や呪術に対する知識は少ないが、これが手をかけられたものであることはわかる。エリザベスの性格に難があるのはすぐにわかるが、仕事に対しては熱心で真摯なのだろう。


「おや、貴女は。お越しでしたら、声をかけていただければよろしいのに」


 奥から出てきたギデオンは恭しくエリザベスへ向かって頭を下げた。王宮魔術師だったこともあり、彼の振る舞いは基本的には紳士的なものだ。女性相手には特に顕著になる。


「恨み言に関するお話でしてよ、博士。お耳に入れられるものではありませんわ」


 恨まず、羨まずと、ギデオンはおよそ人の怨念とは離れたところにいそうではある。


「恨み……ふむ、ないと言えば嘘になりますな。そろそろアーサーくんにはきちんと私のことも話しておいてもいいかもしれませんなあ。この研究室に来てから三年になる。……お茶を頼んでも? 長くなりますぞ」




「私が君たちくらいの時にはもう王宮魔術師として活動していたわけですがね」


 ギデオンは最年少の王宮魔術師登壇試験合格者として歴史に名を残している。ペーパーテストと実技のその両方で抜群の成績を残しており、未だにその記録を破ったものはない。


「王宮魔術師といえば、この国の周りの結界の維持や予知による国王への助言、戦地における切り札としての仕事があるわけでしてな、私もそれなりに先輩方の助力をしておりました。……戦地の作業は合いませんでしたなあ。二、三度目駆り出されましたが、ああいう野蛮なのは良くない」


 東の砦の守備といえば、ギデオンがユディア王女が知っているほどの功績を挙げた土地だ。当時は激戦区で有名な地帯で、今現在までも双方の睨み合いが続いている時限爆弾のような場所だ。


「……もしかして、東の砦の沈静化に一役買ったりしたんですの? アタシ余り興味がなくってほとんど存じ上げないのだけど」

「さあ、あまり記憶にありませんな。双方被害のないようには努力しましたがね、どうなったかまでは女性にお聞かせするのは少々酷かも知れません」


 東の砦で完全に戦場に対して嫌気がさしたギデオンは、その後は戦地への任官は避けて通り、王宮に引きこもって魔術の研鑽をしてきたらしい。その段階で主に口伝による魔術の継承にはっきりと疑問を持ったという。


「薄々勘付いていたのですが、本を読んで学習ができないわけですな。目に見えるように文字化、何よりその前段階である理論化をして後世に伝えるべきと判断し、その作業に取り掛かったのですがねえ。神秘派の賢者たちからの評判がすこぶる良くない。……賢者といえば王宮魔術師の全権を持つ存在ですからな、つまるところ私に味方はいなかった」


 そういう状況になってからは、ギデオンは何の躊躇もなく王宮から退出した。元々腕試しと魔術研鑽、何より日々の糧を得るのが王宮勤めの目的だったのだ。地位や名誉などはどうでもいいものだった。

 唯一ギデオンの心残りとなったのはユディアだった。ユディアからの尊敬の視線と、何より当時の彼女が危うい立場や精神状態にあったことは流石にギデオンの足を幾分止めさせた。


「王宮を退いてからはご存知の通り、ただの博士として活動しているところ。……たまに王宮からの妨害はありますが、私にとっては微々たるもの。大したことはありませんな」

「あら、博士。呪い返しでしたらアタシの専門でしてよ。教えて下さっても良かったのに」

「ははは! ですから言っておりますように、大したことはないのです。エリザベスくんのお手を煩わせるまでもありません」


 研究室周りの魔力流を乱されたり、ちょっとした呪術が飛んできたりしたのだ。先のように兵士を送り込む実力行使はなかなかなかったのだが、今後は気をつけなければならないのだろう。これまでのようにアーサーに気がつかれる前に始末をつけていくのは難しくなるはすだ。ぼんやりしているように見えてアーサーの目は案外誤魔化せない。


「私が目指すのは、神の領域であるとされる魔術の全貌を明かすこと。そして誰もが同じ程度に魔術を扱えるようにすること。そうですな、「呪文」とでも名付けておきましょうか。決まった文言などをトリガーとして同じだけの魔術を誰もが扱えるようにする、という具合でしょうかねえ。これが叶えば、まさしく魔術界の革命とも言えるでしょう」


 ギデオンはエイベルを見て小さく笑った。魔術の行使に全身全霊を捧げ、そして常人のからだを失うまでした彼の存在はギデオンにとっても大きな転換点となった。


「と、まあ長くなりましたが、私が恨むとすれば理論化に不理解なこの国の賢者陣といったところですな。……ふむ、少し腹が立ってきた。ちょっと失礼」


 散々に浴びせられた侮辱を思い出したのだろうか、ギデオンは目を閉じ腕を組んでむっつりと黙り込んでしまった。彼の隣に腰掛けていたエイベルがそっとアーサーをうかがってくる。このような状況に覚えがないのでアーサーは頭を横に振った。しゅんとエイベルの眉が下がる。


「博士、」

「……貴方がそのような顔をする必要はない。その実ほとんど終わった戦いであって、私自身が折り合いをつけるのにまだ時間がいるだけなのです」


 ギデオンの微笑んだ顔には年相応の疲れが浮かんでいる。アーサーはようやく度々彼が外していた間に何をしていたのかを理解した。




「……高潔な人ね、博士は。普通なら恨んで当然よ。地位と名誉を奪われ、自尊心を深く傷つけられた。年月だけでまだ消化しきれていないのがいい証拠。飲み込んで、押さえつけて、怒りを原動力に変えたの。……目標にしろ、とは言わないけどそういう強さはあんたにあってもいいものだと思うわよ」


女性一人を帰すのはマナーに反するとギデオンに言われて、アーサーはエリザベスと道具屋への道を共に歩いている。人の薄暗い部分を多く見てきたからこそ、彼女の言葉には重みがあった。


「これまで、博士は何も言わなかったんです」

「あの人自身の問題ですもの。……何その顔。アドバイスでも欲しいの? そりゃ人心については誰よりもわかってるとは思うけど」


妙な顔になっていたのがばれた。おそるおそるエリザベスに向かって頷くと鼻で笑われた。


「しょうがないわねえ、特別よ? ……助手を続けてればいいのよ。あの人がやり遂げようとしていることを支えるの。博士の愚痴の壁打ちはあのチビ――エイベルって? あいつがやるわよ。何言われても喜びそうだし」

「僕で、力になれるでしょうか」

「あなた、博士に選ばれてここに居るんでしょう? なら大丈夫よ。……ああ、ここまででいいわ。ありがとね、お茶美味しかったわ」


黒いケープを翻して女主人は去っていった。アーサーは薄闇のなかぼんやりと立ちすくんで彼女の言葉を反芻している。


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