1-9:ギデオン、エイベルを診察する

「やあ、アーサーくん。おはよう」

「あ、おはようございます博士。……エイベルさんはどうしたんです?」


 エイベルがギデオンの膝の上で寝込んでいる。朝一の毒舌を予想して来ただけにアーサーに不安がつのる。今日のエイベルは十歳くらいの女の子のように見えた。子供の姿ならばなおのこと辛いだろう。


「今日はちょっとマナ濃度が高いようでね。どこかで戦闘でもしているのでしょう。この部屋の濃度を下げようかと申し出ては見たんだが、昨日から一つ実験を始めたのが気になるようで。それに影響すると良くないと言って聞かなくて」


 この状態に落ち着かせるまでに色々と骨を折ったらしい。朝だというのにギデオンの顔にはすでに疲労の跡がある。


「お茶淹れますね。……コーヒーがいいでしょうか」

「目が覚めそうなのを頼むよ。ああ、それからあとで私にケーキでも買ってきてくれ。彼女には何か柔らかいものを。お代が余ったら好きに使ってくれたまえ」


 ギデオンはもう少しエイベルの体内の魔力に働きかけてみるつもりでいるらしい。糖分補給が必要とのことだった。

 アーサーはコーヒーを淹れてしまってからすぐに出かけた。買ってきたのはアーサー一押しの菓子店のケーキ三つとプディングだ。余ったお釣りで昼用のサンドイッチの材料も用意した。レタスとトマトの挟んであるものすることにした。残念ながら卵は売り切れていた。

 足早に研究室に戻ると、顔色の悪さはそのままだがギデオンの膝の上の子供は目を開けていた。


「……論文、は」

「あ、後でやります。終わりそうな目処は立ってきました、おかげさまで」

「ふん……」


 口が聞ける程にはなったらしい。ギデオンも嬉しそうにエイベルを見下ろしている。


「おお、プディングか。どうだね、ローレンソンくん。食べられそうかな?」


 アーサーとギデオン二人掛かりでエイベルのからだを支えて半身を起こしてやった。ここのところしばらくは元気に罵声を浴びせてきていたのでどうにも心配が勝る。エイベルはギデオンがケーキ三つを平らげる間にやっと二口を食べて、またころりと横になってしまった。


「ふーむ、増幅式のどれかを取り除いてしまった方がいいかもしれませんなあ。いやしかし……うーむ」


 エイベルが自身のからだに刻み込んで、そして崩壊した式のランダム性が問題なのはアーサーでもわかる。下手にいじってぎりぎりのバランスにとどめをさすことになるのは避けたいのだろう。万が一のことがあればおそらくエイベルは耐えられない。


「博士、俺は」

「君が何を言おうとしているのかはわかるよ。だがね、君はとても得難い友人だ。今以上に苦しませたくはない」


 あ、これは今照れたな。アーサーは言葉にするのはグッとこらえておいた。口を滑らせれば元気になった時が怖い。ぴたりと黙り込んだ子供を見てギデオンは満足そうに小さな頭を撫で回している。


「分かってくれたようで何より。さあ、今は身体を休めるべきですぞ」


 ギデオンからは真っ赤になった子供の顔を見ることはできないだろうが、しっかり見える位置にいたアーサーは明日の理不尽を今のうちから覚悟しておいた。


「こうしてゆっくり探査してみると、君の魔力の位置も薄っすらとだがわかりますなあ」


 生まれ持った魔力の溜まる場所や数は人によって異なるものだ。才能溢れるギデオンであれば心臓の近くやみぞおち、額の辺りとバランスの良い部分にふんだんに貯蔵されている。この溜まり場を強く意識することが魔術を使う第一歩になる。


「君はこの部分だった訳ですな」


 エイベルの薄い腹を服の上からギデオンの手が撫でていく。ごく微量の魔力がそこにあったのだという。今は混乱する魔力の流れに紛れてわからなくなってしまっている。


「溜まりからの導線をイメージし指先や額から放出して万象に訴えかけるよう念じる、だったか。俺の読んだ魔術の手引きには大抵この文言があった」

「ええ、それは実に正しい理論ですな。私も常にそれを意識して魔術を行使している。大掛かりなものであればなおさら欠かすことができない」


 エイベルの腹の溜まりから出る僅かな魔力は増幅の式を受けながら脇腹を通り、途中埋め込まれた魔石でもう一度貯蓄される。そこから魔術使用のイメージを受けて、さらに増幅と圧力を掛けられながら手のひらから事象に訴える流れになっている。実に明快に構築された理論が彼女の体には書き込まれている。


「イメージしたことが正確に伝達されるように書き込んでもある。そのせいでより繊細なものになってしまったがな。……なんせ、その時まで俺は一度も魔術を使ったことがない。どうすればいいか、やってみるまでわからなかった」


 式を焼き付けた周りの皮膚はひきつれ、石を入れた部分は雑に縫ってある。皮膚が変色しているところは数知れない。ギデオンがそれをなぞるたびにエイベルはどこか残念そうな顔をする。


「もう少し綺麗に縫えばよかった。……まさか、こんなに醜いものを貴方に見せるとは思ってもいなかった」

「……失礼、君を抱きしめてもいいかね? そうしたい気分だ」


 エイベルの痩せた体はすっぽりとギデオンの腕に収まってしまう。まともに死ねるかどうかさえ不確かな彼女をどうしても不憫に思ってしまう。口に出せば侮辱になることはわかっているつもりだ。


「君の努力をどうか卑下しないでいただきたい。本当に望む結果にならなかったとはいえ、一時は目標を達成できたのですからな。……私は、君がもう一度素晴らしい時間を持つことができたらとさえ考えている」


 ふるりと腕の中の背中が震えた。押し殺した嗚咽も合わせて耳に届く。


「ああ、博士。その言葉は俺にはあまりに勿体無い。ただの妄執を、努力などと」


 富や名声を求めたわけではない。エイベルはどうしてもやりたいことを実現しただけだ。ほんの少し魔術を扱えた彼女のやれたことと言えばペンを立ったまま拾ったり本を手に触れずに移動させたり、ちょっと浮いてみたりといういかにも子供がやりそうなことだったという。これくらいしか最初は思いつかないし、それくらいの時間しかエイベルにはなかった。しかし、それに支払った対価はあまりに大きい。激しく泣き始めた彼女を落ち着かせようと、ギデオンは軽く背中を叩いてやった。


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