1-8:ユディア、唯一の家臣を紹介する

「あの、王女。お言葉ですが毎日ここに来てもいいものかと……」


 今日も居る。重たい本を膝の上に乗せて読書に勤しんでいた。ここにある本ならば王宮付属の図書館にだって置いてある。年若いながらも彼女は学者の一面もある。国王に強請ればなんでも揃えられるはずなのである。


「王宮が嫌いなんだよね。……この国は好きだよ? あと、国民も。ふふ、君も入ってるよ。嬉しい?」


 にっこりと微笑まれても対応に困る。ユディアの解答も要領を得ないものだった。


「こっちに用事があるからしばらく王宮に泊まってるんだ。来客が少ないから夜はいいけど、昼間は居心地が良くない」


 上に五人居て、さらに女の身ともなると公務が回ってくることもなく暇なのだという。他の貴族の後ろ盾がないため王宮内の地位が高いとも言えず、兄たちやその関係者から冷遇を受けているらしい。 今は対戦状態にある東の国の近くに屋敷をもらって住んでいるという。ここからはあまり近くとは言えないような場所だ。


「ええ……政治ってやつですか。すいません、僕疎くって」

「モチベーションにはなるよ。あまりおすすめはしないけど」


 常に微笑をたたえる彼女はいったい何者なのだろうか。底知れないものを感じて身震いをする。彼女が心の底から笑うのはギデオンの前だけだ。後は正直何を考えているのか定かでない。腹の読み合いに長けているとでもいうのか。


「おや、王女。来ていたのですか」


 先日の実験の総評をやっていたギデオンが奥から出てきた。集中すると長丁場になるので声をかけずにおいたのだ。


「こんにちは、博士。先日の結果はうまくまとまりそう?」

「いいデータが集まりましたからな、次の見通しも立ってきたところですぞ。……彼といると大変捗る」


 のっそりと老人が出てきた。彼の体力に考慮して早めに切り上げたのだろう。魔術を使えずにいた男の言はギデオンに新しい視座をもたらしているようだ。


「それは良かった。次も協力させてもらうね」

「ふむ、それはありがたい。……私の方も何かしら手を貸せることがあれば良いのですがね」

「……その時はお願いするよ、きっとね」


 隣の老人が僅かに首を傾げる。言葉にできない不穏さを嗅ぎ取ったようだった。


「…………」

「…………」


 王女の完璧すぎる笑顔に、誰もが口を開けなくなる。

 ――と、硬直しかけた空気をぶち壊すようにがんがんと扉が叩かれた。ギデオンにもアーサーにも来客の予定はない。この場の四人で顔を見合わせた。


「入るぞ!」


 聞き覚えのない男の大声がする。胴間声とでも言うべき声音は普段から大きな声を出すのに慣れた風な様子だ。ガタンとドアが鳴り、待ったをかける前にかなりの勢いをつけて男が現れた。幸い鍵はかけていなかったので、扉が叩き壊されることはなかった。


「なんだ、居るじゃないか。出てくれよ、扉壊しちまうとこだった」

「……わたし、君に博士の研究室の場所教えたっけ?」


 声に負けず劣らずの大男がぬっと立っている。腰に剣を帯びていることから軍人だということはわかるが、その程度だった。


「いや、言ってない。だから探すのに手間取ったんだよ」

「荒っぽいなーもう。――紹介しておくよ。わたしの……家臣。そう、家臣だ。名前はブルーノ。軍属で、腕っ節には自信があるよ。それと乗馬が上手い」


 よろしくな、と差し出された手は軍人らしく大きく硬い。そして潰れたマメに覆われている。随分と長く武具を手に取ったのがすぐにわかった。これには代表としてギデオンがにこやかに対応した。


「……おや、変わった体質ですな。王女とはまた違うようだ」

「へえ、やっぱり学者さんだな。なんか違うらしいぜ、俺」


 握手の際に男のからだに魔力探知で探りを入れてみたらしい。本来ならば失礼極まりない行為だが、双方気にしてはいないようだ。


「不思議なことに彼に魔術は効かないんだ。……こんな風に完全に無効化されてしまう」


 ユディアの指先から放たれた魔弾はあっさりとブルーノへ吸い込まれていく。しかし、それが男の皮膚を破ることはなかった。当たりはしたが、ブルーノに傷を負わせる結果にならなかったという表現が妥当だろうか。


「リュカおめーいきなりはやめろって言ってるだろ! 馬鹿!」

「痛い!」


 げんこつが飛んでいった。王女にである。彼女の魔弾なんかよりこちらの方が圧倒的に痛そうだ。エイベルもそっと視線を外している。


「ったく、言うこと聞かねえんだから。帰るぞ、腹減った」


 ぎゃあぎゃあと言い募る王女を軽々と小脇に抱え、ブルーノは一言言って出て行った。そっと窓からうかがうと乗ってきた馬の近くでもまだ何かわめいているようだ。


「あんまりうるさいと一人で返すぞ」

「……わたしが一人で馬に乗れないの知ってる癖に!」


 あれがとどめの一言だったらしく、機嫌悪くぴたりと黙り込んだ。満足気に男は王女を前に乗せ、くるりとこちらに礼をして去って行った。


「……わめくと年相応以下だな」


 アーサーの隣でエイベルが呟いた。




「リュカお前なあ、王宮が嫌いなら無理について来なくてよかったんだぞ」

「うっさい。別にいいでしょ」


 ユディアとブルーノで、ゆらゆらと二人馬に揺られながらの帰路だ。

 実のところここヴェルゲニア中央に用事があったのはブルーノの方だった。郊外にある実家に顔を出さなくてはならなくなったのだ。東端のユディアの屋敷との行き来が非常に面倒なので泊まり込みで帰るつもりで休暇願いを出したのだが、ユディアはそれを目の前で破ったのだった。曰く、「わたしも行く!」だ。人の少ない屋敷に残されるのが寂しかったのだろう。

 とはいえ、ブルーノの粗末な実家に寝泊まりさせるわけにもいかず、ユディアは居心地の良くない王宮でしばらく生活することになった。馴染みの博士のところへ入り浸って長居をしないようにしていたようだったが。


「あの博士、"グレイベアド"のクラーク博士?」

「そう。だけどそれ目の前で言ったら怒られるからね、グレイベアドって。……剥奪された名前だって」

「へえ。ま、俺は魔術界隈はさっぱりだからな」


 グレイベアドと言えば当代随一の魔術師に与えられる二つ名だ。流石にそれくらいは知っている。だが、魔術を扱えない以上興味を持っても仕方がないブルーノにとってはどうでもいいことだった。

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