1-7:アーサー、エイベルと打ち解ける

 紅茶のマフィンが皿に乗って置いてある。側にはホイップクリームもよそってあった。アーサーはぽかんとそれを見つめている。


「え、これ誰が作ったんです?  博士はこういうことやらないし……」


 ギデオンはあまり食に頓着せず、最近よく顔を見せているユディアは手先が器用な方ではなさそうだ。まあ王族に対する偏見であるが。


「俺だが」

「……嘘だエイベルさんだなんて」

「ホイップクリームはわたしがやったけどね。混ぜっぱなしで疲れるんだって。楽しかったなあ」


 一口かじると紅茶の風味が広がる。ごく当たり前に美味しいから、疑問になってしまう。どう見てもエイベルとギデオンは同類だ。主に研究に没頭すると生活を忘れてしまう方面においてだが。アーサーがどれほど気を使って彼らに人間の暮らしをさせているのか、その端っこだけでも知ってほしいくらいだ。


「早くに親元を離れることになったからな、これでもある程度は自分でできる。……こうなってからは、今日みたいに若いときに多少無理をしてやる必要があるがな。年寄りに立ち仕事は辛い」


 今日のエイベルは二十代くらいの女性だった。彼女(その日その日の性別に合わせて呼び方を変えている)の元の性別や年齢については一人称や口調からなんとなく男性だったろうことしかわからない。本人もあまり頓着がないらしい。女性に対する扱いをしようが男性への気安い対応をしようが彼女の態度は変わらない。

 ギデオンにこの研究室に連れてこられるまではあの家でなんとか一人暮らしをしていたらしい。思い返せば、物がごちゃついてはいたがそれなりに片付いていたし、ベッド周りが埃に覆われていることもなかった。アーサーは何度かあそこへ使い走りをさせられたことがある。


「それを食ったらお前が片付けておいてくれ。張り切りすぎて疲れた」


 エイベルは炊事場を指差し、それからソファにぺたりと横になってしまった。日頃の様子と比べればぴんぴんしている方だが、痛むものは痛むらしい。


「それは構いませんけど。……あの、一つだけ。なんで急に料理なんか?」

「……お前はここで働き、合間に研究をやって対価として博士から給与をもらっている。そこのボンボンは王族で基本的に金には困らん。一方俺だ。俺は朝から晩までソファの上で趣味の研究をやり、お前の用意した物を食う。ああ、片付けもお前がやってるな。……さて、正直に答えろよ。俺はなんだ」


 これは果たして正直に答えてもいいものだろうか。解答は一つしかないわけなのだが。


「わたし知ってるよ。ヒモでしょ? 聞いたことある」

「ほう、正解だ。王族にしては俗世に詳しいな」


 尊敬するギデオンに全力でぶら下がっている現状を彼女なりに憂いていたようだ。今後もできる範囲で何かしら手伝うと言ってくれた。


 あくる日は老人がソファに蹲っていた。とはいえ、例によって視線は強く机の上の資料を読み漁っている。ギデオンから彼の特異な体質のことは聞いているのだが、そこに至るまでの努力や執念までは理解はできなかった。頭の出来が自分とは違うのだと、そう思うようにしている。ギデオンは彼に理解を示しているようなので、やはりそういう点でも同族なのだろう。


「ぼんやりしているヒマがあったら茶の一つでも用意しろ、アート坊や」

「はっ?」


 年相応に枯れた声でそう叱りとばされた。アート坊やなんて呼ばれたのは何年振りだろうか。昔はあだ名で呼ばれもしたのだが。


「体が動かん。年寄りを敬え」


 まごついていると物凄い目で睨まれる。慌てて台所に駆け込んだ。とりあえずギデオンお気に入りのブレンド紅茶を選択しておいた。手早く湯を沸かして茶葉の量を正確に測る。湯が沸いたらポットとカップを温めた。そして茶葉をポットへ入れて湯を注ぐ。砂時計をひっくり返して蒸らしの時間を計測。最早手慣れた作業だ。悲しいかな、ギデオンの助手になってお茶汲みと菓子作りは魔術の腕より上達してしまった。


「博士お気に入りの紅茶です。あとお茶菓子にマーブルクッキー」

「ほう、博士は紅茶の趣味もいいのか」


 エイベルはあっさりと不機嫌を治し紅茶にありついている。ブレンドしたのはアーサーなのだが言わない方がいいと判断した。


「あなたにとって博士はなんなんです……」

「俺か。俺はあの人の大ファンだ」

「あー……」


 道理で博士と話すときに目がきらきらしているわけだ。ほんの少しだけ親近感を覚えた。

 午後からやってきた王女は特にギデオンの研究に参加することもなくひたすらアーサーの出す茶を飲んだりこれまでのレポートを眺めたりしていた。すっかり溜まり場と化してしまったような感覚すらある。


 エイベルが小さな子供の時はいい。顔の大きさに合わない眼鏡をずり上げながら何やらこちらに言いつけている様はほっこりくるものがあるし、何より顔つきは意外に可愛らしい。声に迫力もないので怒られても怖くない。握り拳で殴られても痛くないし、力はこちらの方が強いので制圧も難しくないのだ。

 お年寄りの時も悪くはない。体が動きにくいらしいので暴力に訴えられることもなく、年寄り特有の長い説教だと思えば嫌味もそうは堪えない。体力的な問題で大きな声は出ないらしい。耳も大分遠いので小さな声なら文句を言っても怒られない。


「聞いているのか。……ふん、その耳は飾りのようだな。だからいつまでたっても論文が仕上がらんのだ」


 青年期が男女問わず一番良くない。痩せてやつれてはいるが、それなりに整った容姿で突かれたくないところを容赦なく攻めてくる。この時点で大分苦しいものがあるが、これを彼(あるいは彼女)の息が切れるまでやる。若いのでそれなりに保つのだ。


「……小さければ可愛げがあるのに」

「俺は可愛くなんかないぞ阿呆め。……よし、多少無理をしてお前のその研究姿勢を正してやろう。俺は明日一日半死人になっているが、後進の育成だ。やむを得ん」


 学生時代に口が災いして留年しかかったことを思い出した。今後は気をつけようと思った。ユディアは横でくすくす笑っているだけで助け舟すら出してくれなかったのだった。


 と、散々な日々ではあるが、アーサーはエイベルとの間の何かしらの壁が僅かに氷解しているのを感じていた。えげつない性格やら理解不能な躊躇のなさはあるが、結局彼(あるいは彼女)も血の通った人間だったようだ。

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