1-6:ギデオン、理論魔術で応戦する

「そういえば博士。あの東の砦でやったみたいなことってもうできないの?」


 ユディアが親しげな様子でギデオンに尋ねる。ギデオンが王宮を下がる前の最後の仕事が彼女のお付きの魔術教師だったのだ。そのせいもあってか、随分と懐かれている。


「あれは若気の至り。あまり蒸し返されたいものでもありませんなあ。あの時は理論魔術にそれほど熱心だったわけでもありませんしな」

「そんなこと言わずに! あそこ、あのまま「魔術式」が残留して五年も経つのに未だにまともに戦闘ができないんだよ? それってすごいことじゃない?」


 ギデオンからすれば早く帰りたい一心で行ったことで、あまり深く考えずにいち早く戦闘行為を終わらせようとやったことだった。


「理論魔術としてはあれは落第の「魔術式」で。式の全てにおいて範囲が広すぎるし、そのせいで魔力やマナの消費量が膨大。どこでも使えるものではない」

「東の砦みたいにマナとか魔力がめちゃくちゃな状況じゃなきゃダメってこと?」

「その通り。あそこは遺棄された兵士たちの遺体や踏み荒らされた植物などマナへ還っていくものが多い。魔力についてもほとんど同様。魔術を行使するためのマナや魔力の組み上げについても「魔術式」に取り込むのをすっかり忘れていた。……私はあれ以降、感情のままに魔術を行使することは己に封じているのですよ」


 ギデオンが王宮にあった時は当世、否、過去最大の魔術の使い手としてその名を響かせていた。彼は持って生まれた圧倒的な魔力と理性的な魔術統率で知られており、展開される魔術の芸術性から世界一美しい魔術の使い手とも呼ばれていた。


「東の砦の件については成果が大きすぎて流石に賢者陣も黙ってはいたのですが。その後武器に書き込むだけで事が済む「魔力増幅式」についてはお咎めを受けましてなあ」

「あー、魔術は神秘的なものだからホイホイ増殖できるようなのはダメって?」

「ええ。王宮の賢者陣は神秘派ですからな、「魔術式」として誰でも簡単に取り扱えるようにする私の意見とは真っ向から対立していたわけです」


 ギデオンは若い頃は高い実力を活かして最年少の王宮お抱えの魔術師をやっていた。一時は次の大賢者の候補者にも上がっていた。大賢者と言えば、この国の魔術においては最も優れた使い手であるという証左にもなるような役職だ。魔術を神から与えられた尊いものとし、その神秘性を保つことに最も注力する仕事でもある。「理論魔術」を、魔術を理論で紐解き、神の領域を侵そうというようにとらえるものも多く居たわけだ。ギデオン自身もその意図がないわけでもないのだが。


「……さて。立ち話もなんですし、戻りましょう。王女を長々と立たせておくわけにもいきませんし」

「わあ、ありがとう博士。そういう紳士的なところ結構好きだよ」

「お褒めにあずかり実に光栄ですぞ」


 ギデオンはアーサーに目配せして、ユディアとエイベルを連れて先に帰るよう促した。使いっ走りに慣れてしまった彼はそれを正確に受け取って二人を伴って帰っていった。ギデオンを置いていくことに関しては適当に言い訳をしていてくれるだろう。


「『マナよ、擦れ合わさりて燃えよ』」


 ギデオンは宙空へ向けて炎を放った。炎はしばし宙を舞い、何かにぶつかってそれを燃やし落とした。近づいて目を落とすと、呪布が燃え盛っている。


「王女もいらっしゃるのなんと無粋な。……それとも、私もろとも始末してしまいたかったのか。――出てき給え、場所はわかっている」


 ギデオンは硬い声で呼びかける。理知的に輝く瞳は森の中へ視線を投げかけていた。

 がさりと茂みを掻き分けて現れたのは武装した男たちだった。三人居る。装備を見るに王宮の親衛隊だ。――おそらく、大賢者の。


「貴方には死んで頂く」


 男の一人が発砲してきた。魔力弾だ。銃の中に魔力を込めて引き金を引くと飛び出してくる。ギデオンは既に展開していた「魔術式」から結界を作り出してそれを防いだ。さっきの実験中に密かに用意していたものだ。


「『マナよ、集いて敵を貫け』」


 ギデオンは口内で呟いて指先を左側から魔弾を撃ち込んでくる男へ向ける。空いた方の手では武器に書き込まれた「増幅式」を反転させる「魔術式」を展開していた。


「うぎゃッ」


 反転した「増幅式」で縮んだ魔力弾をかき消し、ギデオンの放った魔弾が男を襲う。バンと胸元で弾けた魔力を受けた男は吹き飛んでいって気絶した。運が良ければ呼吸も心臓も無事なはずだ。


「畜生やりやがったな! これでも喰らえ!」


 一人やられたことに焦りを覚えたのか、上ずった声で残りの兵士のうち片方が何か投げつけてきた。ギデオンは素早くそれに魔力探査をかける。


(マナ吸引機!)


 この場からマナが消え失せれば魔術を行使できなくなる。こんなものを使うからには彼らは何かしら対策があるのだろう。吸引機はガチンと音を立ててすぐに起動した。耳障りな音が響き渡り、辺りの空気が軽くなっていく。


「ご立派な魔術もマナがなければ始まらんだろう! くたばれ!」


 剣を構えて兵士が突撃してくる。ギデオンに武芸の覚えはもちろんない。徹底的にインドア派だ。


「……君は少々頭に血が上りやすいようだ」


 ギデオンは懐から片側に重りをつけた紙を引き出した。そこにも「魔術式」が書き付けてある。ギデオンはそれに魔力を込めて飛び込んできた兵士の顔の前にそれを投げ出した。


『紙をマナとせよ。マナよ、ぶつかり合って爆ぜよ』


 物質の「マナ分解式」と「爆破魔術式」を組み合わせて簡略化したものだ。正式な「魔術式」と比べると多少威力は劣るが不意打ちで急所の集まる顔に投げる分には十分だ。小型爆弾は兵士の目の前で弾けて彼の目と鼻を潰した。血飛沫がかかるのを嫌ったギデオンは一足先にからだを引いた。


「ァが、俺の目ッ、目がァーッ!」

「何、死にはしますまい」


 ギデオンは血を飛び散らしてのたうち回る兵士からさらに距離を取る。最後に残った者は幾分冷静にここを見据えていた。隊長格なのだろう。


「詠唱の破棄、高度魔術の同時展開、紙に書き付けての簡略化とマナ吸引への対策か。なるほど、「魔術式」の利点だな」

「お褒めにあずかり光栄。普段運動をせずにいて多少息が上がっておりますが、それでも行使できるのも利点ですぞ」


 『いつ、どこでも、どんな精神状態でも使える』こと。さらに相手にこちらの手を読ませにくいこと。これが理論化の強みだ。あまり戦闘で使いたいものではないが、実に合ったシチュエーションではある。

 先に仕掛けたのは兵士だった。魔力弾を発射しながらこちらへ距離を詰めてくる。あの銃にはあらかじめマナも込めてあったようだ。大気のマナが吸引されても変わらず使用できるならばそういうことだ。


「所詮は引き篭もって机に噛り付いているのが似合いの学者風情! 「魔術式」を使う間もやらなければいい!」


 物量で攻めてくる。こちらが戦闘の素人だというのをよくわかった行動であろう。ギデオンは一先ず残ったマナをかき集めて結界を展開したが、それもあっという間に削り取られていく。それをわかっていて、彼は兵士の方へ走った。手のひらには別に「魔術式」を書き付けたものを持っている。


「死ね! 異端者め!」


 薄れていた結界の一部が裂かれて消し飛んでいく。だが、ギデオンは落ち着いていた。兵士の銃を持つ懐へ飛び込み、紙を押し付けた。


「『マナよ、膨張せよ』!」

「貴様ッ、何をーー?!」


 凄まじい光や音と共に、銃身が弾け飛んだ。それと同時に兵士の両腕も水風船のように割れた。ギデオンも頭から噴き出してきた血をかぶる。


「ッギャアアアア!」


 悲鳴が耳をつんざく。ギデオンもあまり聞いていたいものではなかった。


「……やはり、野蛮ですな」


 血で崩れた前髪をかきあげ、ギデオンは汚れたコートも脱いだ。両腕を喪った兵士は地で狂い悶えている。


「理論魔術はその展開の早さも売りでして。マナに直接働きかけますのでな。……さすがに喪った両腕を戻すのは難しいですが」


 ギデオンは屈みこんで兵士の両腕を摑まえる。そして、二、三「魔術式」を唱えた。


「血止めと、一先ず骨を被えるほどには肉と皮膚の再生を。他の者も命は約束します。それと北の国の治癒魔法の大家へ紹介状を書いてあげましょう。彼女ならばなんとかしてくれるはずです。あちらは友好国ですしな」


 他の兵士にも簡単な治療を施し、ギデオンはようやく一息ついた。


「……さて。このまま帰るわけにもいきますまい……」


 血をかぶって酷い汚れとにおいだ。あまり気分がよくない。ギデオンは空を見上げて途方にくれた。

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