1-5:ヴェルゲニア国第二王女、やってくる

「ユディア=リュカ・ヴェルゲニア。君は初めましてだよね? 名前の通り、ここヴェルゲニア国の王族だよ」

「……エイベル・ローレンソン。は、博士には世話になっている」


 高貴さは雰囲気に出るというのは真実らしい。六人居る王の子供達のなかで王位継承権第六位かつ女性の身であるということで、ほぼ次期国王にはかすりもしない地位ではあるがユディアのその立ち居振る舞いは洗練されつくしている。瞳の大きい可愛らしい顔立ちにほっそりよく伸びた手脚と、ふと守りたくなるような容姿をしていた。


「ほう、これはなかなか面白い結果ですなあ。やはり人間の魔術だけでは限界がある。王女に頼らねばならぬ部分も増えますな」

「それは光栄だよ、博士。わたしの先生に恩返しできるなんて」


 ギデオンは愉快そうにソファでレポートのページをめくる。そしてそれとは対照的にそわそわと落ち着かないエイベルの姿が隣にある。今日は十を少し超えた男の子の姿をしていた。


「わたしのこと、苦手?」


 苦笑混じりにユディアはエイベルに尋ねる。相手が王族故に罵倒をぶつけることもできず、エイベルは普段は見られないほどに動揺しているようだ。肝心のギデオンはレポートに夢中でそれに全く気がついていない。あまり放置するとあとで八つ当たりに合うのは明白なので、ここはアーサーがフォローをしておいた。


「あの、その人マナの変動に敏感な体質で」

「なるほど、じゃあわたしの半分は苦手になっちゃうわけか」


 かの王女には半分人間以外の種族の血が混じっていると言われている。ハーフはただの人間よりも魔力が強い傾向があり、また魔術機構も多少変わっている。王女のこの場のマナに対するアプローチが異なっているようで、エイベルはそのせいで落ち着かずにいるらしい。まあ人見知りの方が大きいようだが。


「博士が仲良くしているみたいだから、わたしも仲良くしたかったな。残念だよ」


 少し眉を下げて微笑む様は王族のみに許される優雅さがある。一般家庭生まれがなんだか恥ずかしい。笑みに気圧されたか、エイベルはついに黙り込むことを選択したらしい。


「……魔術が使えるようになるといいね。今のままだと気分が悪そうだ」


 ギデオンも話していないことを言い当てられ、エイベルはびくりと体を硬直させた。ユディアは笑んだ唇の形はそのままにするりと視線を下ろしていく。彼女には荒れた魔力の流れが見えているようだ。


「博士も協力してくれると思うよ。わたしの魔術の先生だもの。……見えていること自体には驚かないでよ。わたし、半分人間じゃないんだから」


 ユディアはくく、と声に出して笑っている。上品に切り揃えられた薄い色の髪が合わせて揺れた。

 エイベルは人見知りの恐怖が頂点に達しているようで、放っておけばそのうち泣き出しそうな様子だった。子供の姿をしていて感情にブレーキを掛けるのも難しいのだろう。アーサーはギデオンに彼を押し付けてしまおうと決めた。


「さて。レポートも大変興味深く読ませて頂きました。……本題へ入るとしましょう」

「結界魔術の理論実践だったよね、博士」


 今日は理論の最終確認ということで、山と作った資料を持ってエイベルの住んでいた家の近くに来ている。話をしていたのもエイベルの家で、片付けたのはアーサーだ。理由は簡単なもので、人が居ないからだ。


「……どうして王女がここに必要なんだ?」

「わたしがこの式の通りに正しく魔術を扱えるから、かな。博士はいつもそうしてるよ」


 王女が参加しているのだ。暗殺やらを警戒しなくてもいいのだろうか。流石のエイベルにもそれを心配する気持ちくらいはある。しかしこの場の唯一の常識人とも言えるアーサーが何も言わないので、いつものことというのは本当のようだ。


「君も結構魔術の扱いが上手いって聞いてるよ。アーサーだっけ?  大学の成績も良かったみたいだし。卒論も読んだよ。面白かった」

「あ、どうも」


 初対面の印象が良くないのか、エイベルは少し引き気味に構えている。結局あのあとちょっと影で泣いたらしい。やつ当たりの元気もなくソファでうなだれていた。

 全員連れ立ってぞろぞろと外へ出る。人気のないここに響くのは鳥の鳴き声くらいのものだ。


「では、これから始めるとしましょう。まずは単純な結界魔術を。『マナよ、格子たれ。格子よ、防壁たれ』」


 結界魔術はもっとも一般的な防御手段で、可視不可視を問わない壁を築いて身を守るものだ。戦況にもろに関わるため、各国で研究改良がすすめられている。術者の勘や精神状態に強く影響するとされているため、理論化が難しいとされてきた。


「……なるほど、よくある結界がこれでできるわけか。マナに魔力で働きかけて方向の揃った格子を作るんだね」


 目の前にあるのは何の装飾もないプレーンな結界だ。ギデオン曰く、一般兵卒の武器程度なら簡単に制圧できるほどの強度らしい。ユディアが軽く突いてもびくともしていない。


「意思の力が結界の強度に関わるのは否定できませんな。強く思えば、より多くのマナに訴えかけられるのは事実。……とはいえ、これではどう強く構成しても魔術で簡単に凌駕できてしまう」


 ユディアが小さな魔弾を当てるだけで結界は消えてしまった。殺傷力を持った魔弾が飛び交う戦場では紙切れに等しい防御でしかない。


「魔力の格子が単調すぎるんじゃあないのか。ほんの一部を損なっただけでその場所から壊れていくのはそのせいだろう。格子自体に柔軟性か、もっと揺らぎを持たせるのがいい」


 エイベルがぼそりと言う。アーサーは彼らの行動を逐一記録していく。


「程度は今後の実験次第になるね。揺らぎを作るのは時間と集中がいる。長く継続できなくなるから、一番必要な激戦区にこそ使えなくなっちゃう」


 理論化の強みは『いつ、どこでも、どんな精神状態でも使える』ことだ。一般化と揺らぎ。相反することがらをうまく式に取り入れるにはまだ時間がかかると考えられる。


「まだ勘に頼らねばならない領域のようですな。……確かに、揺らぎの部分は私も無意識に処理していたようですぞ」


 ギデオンの指先の動き一つで呼び出された結界は見るからに先ほどよりも手強そうに見える。ユディアが勢いよくぶつけた魔弾は分散して無力化されてしまった。


「揺らぎと魔力の分散に関してはよその研究室がそれなりの成果を出してますね。……その揺らぎを持つ結界を正確に成り立たせる理論が未だに発表されていないだけで」

「全ての状況を網羅できるただ一つの式なぞ存在しない。……数値に多少の幅を持たせて、それを揺らぎとして置き換えるのが得策だろうな」


 アーサーの言にエイベルが応じる。ユディアが二度目に放った魔弾で、結界は吹き飛んだ。エイベルとギデオンはその様子をじっと見ている。破壊のされ方から何か掴み取ろうとしているように見えた。


「それなりの使い手なら揺らぎを見極めて結界を破壊できるんだ。……難しいなあ。結界はわたしの研究課題なんだけど。場数を踏むにしても今はまだ目立ちたくないし」

「今日のところはこれで良しとしましょう。骨子と、今後の課題はある程度見えましたな」


 戦争にも行かない、王位争いにも参加できない王女が一体何に結界を用いるのだろうか。何となく身の危険を感じて、アーサーはそれを尋ねずにおいた。遅かれ早かれ、いずれわかってしまうような気がしていた。

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