1-3:アーサー、理論魔術をボヤく


 ギデオンが気まぐれ(というよりやりたいことをやりたいままにやる)なのは今に始まったことではない。アーサーも散々に振り回されているのだ。それでも側を離れず同じ方向を見ていられるのは彼の持つ才能故なのか、カリスマ故なのか。

 手紙を見るなり飛び出していったギデオンの置いていった言葉に従って方々に連絡を終えてみるともう幾ばくかで昼というような時間だった。元々の今日の予定は何だったか。


「あー、接着魔術の理論化だったか」


 ギデオンが昨晩書き散らしていた様子の残る机には身近な魔術に関する考察が書き連ねてあった。接着魔術は文字通り物と物とをくっつける魔術だ。大抵の人間は子供のうちに遊びながらふと使えるようになるようなもので、ギデオンほどの魔術の使い手であれば寝ているうちにでもできそうなほど簡単かつ初歩的だ。アーサーも小さい頃に積み木で遊んでいるうちに覚えた。高いものを作るときに基礎部分を接着魔術でがっちり固めておきたくてやったのだった。


「ええっと……接着したい物質と物質の間のマナに魔力で働きかけてそれぞれに引きつけ合うものを生成する、か。うーんそんなことしてたっけか……」


 アーサーは手近にあったマグカップと皿を取り、それを重ねた。マグカップの底に皿を押し付け、手を離す。皿はピタリとくっついて宙に浮いている。


「やってるようなやってないような……この隙間で何が起こってるんだ……」


 魔術は感覚で使っているものだ。それはアーサーに限ったことではない。この世に産まれ落ちたほとんどの人間は成長と共に「なんとなく」魔術を行使できるようになっていく。


「まあ、博士も居ないし今のうちに片付けするか。昼も一応作っておこう」


 接着魔術に関してあれこれやっていたようで、部屋の方々にギデオンの魔力が漂っている。彼ほどの魔術師ともなると接着魔術程度でもマナに働きかけられる力に凄まじいものがある。


「魔術の基本は自らの持つ魔力で万物の素たるマナに働きかけること。……うーん」


 無意識なのだ。あまりにも無意識的に魔術を行使してしまっている。

 アーサーは惨劇と化した机の上を見遣る。ちょっと手を振ると、バラバラ音を立てて紙とその他のものがそれぞれ右や左に分かれて積み上がっていく。自分でもどうやったかはっきりしないが、机はこれで片付いた。


「こんなんじゃダメなんだよなあ。何のためにこの倍率を潜り抜けてきたと」


 ギデオンが現在抱えるこの研究室には凄まじい倍率をかい潜って入ったのだ。大学で履修した理論魔術の授業に魅入って、なんとかここまでこぎ着けた。卒論は何故か魔犬の生態について書いたのだが。現在は魔生物学と理論魔術の二足のわらじを履いている、そういうことで。

 アーサーは半分残った卵サンドを平らげ、部屋の片隅に転がっていたマナ除去装置を手に取った。ギデオンの魔力のせいでざわざわと落ち着かないここをなんとかするためだ。ざわめきの酷いところへ魔力を吹き込んだ装置を向けると、そこのマナを取り込んで結晶化してくれる。ゴミを吸い込んで片付けてくれる掃除機と役割は変わらない。ギデオンはこんなものに頼らずともマナの結晶化をやってしまうが、あれは相当熟練のマナと魔力の制御能力が要る。アーサーにはまだ早い。


「はぁー嘘だろ残留魔力もこんなに安定して綺麗とか。あの人人間じゃないなやっぱり」


 マナと一緒に結晶化したギデオンの魔力は朝日を受けてきらきらと輝いている。純度の高いいい魔力結晶だ。マナを押し固めたマナ結晶を燃料とすると、こちらは爆薬というところだ。安定した状態になければ大気中のマナと結合してとんでもない反応を引き起こしてしまう。


「状態も落ち着いたし今度こそ昼作るぞー。スープを作り置きして豚肉仕込めばなんかできそうな気がするな。あとはおやつのスコーンか」


 アーサーはぶつぶつぼやきながら冷蔵庫へ頭を突っ込む。氷冷魔術でひんやりした庫内にはでんと豚肉の塊が鎮座し、野菜がちらほら残っている。後は今朝買った卵と前に作ったハムと腸詰めだ。


「博士が帰ってきたら逐一腸詰めを焼けばいいか。スープとスコーンだな」


 野菜をがばりと冷蔵庫から取り出し、まな板へ乗せる。アーサーはそれ大雑把にざくざくナイフで切っていく。こういうのは魔術より自分の手先を信じてやった方が綺麗で早い。

 鍋に井戸から汲んだ水を張って火にかける。火口には先程凝固させたマナ結晶を放り込んだ。後はそれにアーサーの魔力で燃えるように訴えかければ燃料が尽きるまでは熱を発していてくれる。

 水が茹だったのを確認して切ったハムを入れる。これに野菜も放り込んで、後は旨味が染み出すのをにやにやしながら待つだけになる。


「趣味と実益って感じだ……料理って素晴らしいな……」


 アーサーと料理との出会いは大学での錬金術概論の授業だ。ちなみに受講生はアーサーの他には三人しか居なかった。錬金術の初歩は料理にあるということで調理実習をした。そして落ちるべきところに落ちたというレベルでアーサーはハマった。


「豚肉はベーコンにしよう。ああ、旨味が凝縮される……」


 ベーコンのレシピは馴染みの店のものをこっそりと教えてもらった。塩漬けにした肉を暫く寝かせて乾燥させて燻す。これだけ聞けば簡単なものだが聞き出すまでには随分とかかったものだ。

 アーサーは冷蔵庫からずしりと重たい豚肉を取り出す。塩を揉みこみながらにやけが止まらなかった。

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