一章:理論魔術入門編

1-1:ギデオン、風変りな子供に会う



「おはようございます、ギデオン博士」

「おはようアーサーくん。今日も早いね」


日が昇って三時間ほどすると、この青年はギデオンの家の扉を叩いて中へ入ってくる。右手には食べ物の入った袋を、反対には今朝方届いた手紙を持っていた。


「今日は卵のサンドイッチみたいですよ。お昼は僕が作りますね」

「おお、『鳥の巣』の卵サンドは絶品らしいですな。さては随分並んだと見えますが?」

「まあ多少は。でも、僕いつもあの店で卵買うんで顔が効くんです。鶏診てあげたりもしたんで」


アーサーは手紙と袋の中身をテーブルへ広げて、それからキッチンの方へ歩いて行った。これから湯を沸かして紅茶でも淹れるのだろう。ギデオンは手紙へ目を落とした。キッチンからは「あれっ火が点かない博士またマナ濃度めちゃくちゃに」などと聞こえてくるが気にしない。

半分は首都やこの辺りの店の宣伝チラシで、残りは知り合いからのものだ。返事が要るような手紙は案外と少ないしギデオンも筆まめではない。


「おや」


洒落た封蝋や封筒の手紙が多い中、ギデオンの目を引いたのは真っさらな飾り気のないものだった。ギデオンの名と住所の他には何も書かれていない。魔力を使ってのサインがされてもいないので、本当に誰が送ったものなのかもわからない。


「ふむ」


中を開いてみると、差出人の住所と会って話したいことがあるとただそれだけが書いてあった。インクの染みのできかたや筆跡から差出人は体調が良くなさそうなことだけは伺える。


「アーサーくん。すまないが、あとの予定をキャンセルしておいてくれませんか? 用事ができてしまった」


キッチンの向こうの助手に頼んでおく。「えっ、お昼は?」などと聞き返されたが、これも気にしないことにした。


「ふふ、あれを知っているとは」


あの手紙の最後の一言はギデオンが初めて学会で発表した「魔術式」だった。幾分前のもので後年に改定を加え、その結果今では異なるものになってしまった「魔術式」の第一版だ。これを知っているとなると相当のファンか、研究者なはずだ。


「是非とも、お目にかからなくては」


住所の所に足を運ぶことにした。記憶が正しければ、何もないところのはずであるが。




昼間でもこの辺りは薄暗く、空気は湿り気を含んでいる。ブーツの下の土の地面が嫌な音を立てた。毎日となると辟易するのだろうが、石畳の道ばかり歩いて生活してきたのでこれはこれで珍しい。

ギデオンは時折する獣の気配に視線を投げかける。これだけで襲われることは随分と減るのだ。

しばらく行くと、ぱっと開けた場所に出た。せいぜい一人過ごせるほどの粗末な家がそこに建っていた。生活の気配は感じられないが、一応あの家が差出人の住処のはずである。


「……ふむ、誰かは居るようだ」


魔術で辺り一帯のスキャンを行うくらいはギデオンにとって容易いことだ。妙な魔力の動きもないので、人気のないこの場所におびき出して己を亡き者にしようという魂胆でもないらしい。あとは王宮勤めで培った図太さでドアを開け放つだけだった。


「失礼いたしますぞ」


全体に埃っぽいというのが初めの感想だ。薄暗い室内を見渡すとギデオンの著作や論文、挙句新聞記事の切り抜きまでもが積み上げられている。どれもが擦り切れるほどに読み込まれているのを見て感心した。どうやらあの簡素な手紙の差出人は熱心なファンの方だったようだ。


「失礼、手紙を読んで会いたくなって来てしまった。アポイントを取るべきだろうが、いかんせん私はこういう性格なものでね。容赦していただきたい。こう思い込むと一直線なもので」


どこにいるかもわからないので、大声で名乗り上げておいた。すると、がたんと奥の部屋で何か物が落ちる音がした。人の気配を覚えたギデオンはそちらに向かい、奥まったところへあった扉を開けた。


「……こんな姿でこちらこそ失礼するよ、博士。せめて明日来て頂ければ多少はマシな方向に変わっていたかも」


部屋の中心には顔色の悪い痩せた子供が蹲っていた。ベッドから落ちてしまった様子だ。体調が悪そうなのは一目でわかる。短い言葉でもすぐに息を切らしてしまっていた。


「……君が私に手紙を?」


子供が一つ頷く。顔に合わない大きな眼鏡がずり落ちて、がちゃんと音を立てた。


「博士、申し訳ない。とりあえずベッドに戻して欲しいのだが」


それもそうだと触った体は随分と熱い。しかしながら僅かに掠った指先は恐ろしく冷たく、細い骨に薄い皮膚が張り付いているかのようだった。呼吸の音もまともなものには聞こえない。


「体調が良くないようだ。また後日くることにしましょう」


痩せた見た目に違わずからだは軽かった。ギデオンが暇を告げると、ジロリと睨まれた。子供のものとは思えない視線だ。


「……そのマナ計測器、赤い部分に針があるだろう。そこに入ると俺は駄目だ。大気のマナが俺には多すぎる」


子供が指したのは一般的な大気中のマナ濃度の計測器だ。体外のマナ濃度に影響されやすい体質の人間がいるのは古い研究からも明らかにされている。彼もしくは彼女(痩せ衰えた子供なので男女の区別すらわからないが)もそのタイプの人種なのだろう。


「では、こうしましょう」


ギデオンは一つ手のひらを返す。すると、いくつか色の混ざった石がそこに現れた。


「この部屋の中のマナ濃度を薄めてみました。マナは気体よりも固体の状態の方が濃度が上がるのは証明済ですからな。……ふむ、本来ならば微細に成分を調べて結晶化させるものなのですがね。これでは少々色と形が良くない」


目をやった計測器は大分低い値を指している。子供に石を差し出すと、それをまじまじと見つめていた。


「……貴方は、やはり世界で一番美しい魔術を使う」


子供の蒼い頬を、涙が一筋滑っていった。

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