第33話 聖公女クリスタ


「俺たちに復讐するつもりなら……そろそろ覚悟はできたのか?」


 カルマは揶揄うように笑う。

 それがどれほど恐ろしいか、ガルシアだけが知っていた。


「今のは……幻術……なのか?」


「さあ? 自分で判断しろよ」


 漆黒の瞳に見下ろされて、ガルシアが感じるのは魂に刻まれた恐怖だった。

 幻術だろうが、現実だろうが……裏社会に生きる凶暴な男は抗う意思を粉々に砕かれていた。


「……俺は……何も、見ていない。だから……」


 小刻みに震えるガルシアにカルマは鼻を鳴らす。


「そうだな。今日俺たちはこの店に来ていないっていうことで良いか? ……一応言っておくけど、オスカーにも意趣返しするなよ。おまえの首に鈴をつけたから、何かしたらすぐに解るからさ」


 念を押すように顔を覗き込まれて、ガルシアは血走った目で何度も頷いた。

 もう、これ以上何を言っても意味はないなと、カルマは呆れた顔でオスカーの方に振り向く。


「さてと……とりあえず、おまえが懸念していた事態は回避できたと思うけど?」


 今度は何をやらかしたんだとオスカーは訝しそうに見るが、カルマは肩を竦めるだけで何も応えなかった。


 盗賊たちを殲滅させた時点で、カルマが単なる腕が立つ剣士ではないとは思っていたが。どうやらオスカーの考えは甘かったらしい。アクシアの方も……最早笑うしかないレベルだ。とんでもない連中に関わってしまったなとオスカーは顔を引きつらせる。


「そうだ――おまえたちのことは別にして。メシ代と修理代くらいは店の奴に払いたいんだけどさ?」


 カルマは思い出したように再びガルシアの方を見ると、ポケットから金貨を十枚取り出して床に置いた。


「良いか、おまえの責任で確実に店主に渡せよ? おまえたちが勝手に暴れて壊した分の修理代を払うってことにすれば、何の問題もないよな?」


 もはやガルシアは頷く他はなかった。


「それじゃあ、用も済んだことだし。そろそろ……」


 そのまま店を出ていこうと歩き始めたところで、カルマは不意に意地の悪い笑みを浮かべる。


「……悪いな、オスカー。さらに状況が悪くなったみたいだ」


 何を言っているのかとオスカーが戸惑っていると、突然、外が騒がしくなった。

 多数のどよめく声がしたかと思うと、金属がぶつかり合うようなガシャガシャという音が重なって聞こえる。


「……おい、カルマ! 今度は何なんだよ?」


「ああ、説明しているほど時間はないから」


 そう言いながらカルマはポケットから煙草を取り出して火を付ける。

 こちら側の世界に紙巻煙草は存在しないが煙草自体はあるから、臭いと煙でカルマが何を吸っているのかオスカーにも解った。


「おまえなあ……全然余裕じゃないか?」


「いや、今さら慌てたって仕方がないと思ってるだけだよ」


 時間の無駄遣いをしている間に、ガシャガシャという音が近づいてきた。


 店の前を封鎖するように姿を現したのは、甲冑の上にサーコートを纏う一団だった。

 純白のサーコートの胸元には赤い十字の剣の紋章が描かれおり、彼らは同じ形の長剣を腰に下げていた。


 人数は十人ほどだったが、厳格な表情を浮かべる男たちは凄まじい威圧感を放っている。彼らに比べれば舎弟たちはおろかガルシア本人すら、安っぽいチンピラにしか見えなかった。


「正教会の聖騎士……」


 男たちの正体を知るオスカーは緊張した顔で相手の出方を伺う。周囲に転がる怪我人と破壊されたテーブル。暴力沙汰を言い逃れできる状況ではなかった。


「「「偉大なる光の神ヴァレリウスの加護を我らに――聖域サンクチュアリ!」」」


 聖騎士たちが声を合わせて詠唱すると、白く輝く光の壁が周囲を包み込んだ。神聖魔法による結界であり、物理的・魔法的に空間を遮断する。


 彼らが他にも魔法を発動していることにカルマは気づいていた。身体強化に対魔法防御、知覚領域拡大――準備万端の臨戦態勢で到着したという訳だ。


「……目障りな輩たちが出てきたようだな?」


 ハルバードを持ったままのアクシアが、男たちを睨みつける。


「そうだけどさ……目障りとか言うのは止めておけよ?」


 この期に及んでもカルマはどこ吹く風という感じで煙草をふかしている。

 聖騎士たちは表情をさらに厳しくし、冷徹な視線を浴びせた。


「――皆、ご苦労様。あとは私に任せて貰えるかしら?」


 背後から響く声に、聖騎士たちが左右に分かれて道を開ける。

 鋼鉄のカーテンの向こうから姿をあらわした女は、ゆっくりとした足取りで店内に入ってきた――

 

 肩まで伸ばしたプラチナブロンドの髪と煌めくようなアイスブルーの瞳。ほんの少しだけ幼さが残る凛とした顔立ちは、まるで女神を描いた絵画のように完璧な美貌を湛えていた。


 身長は百七十センチほど。ボディラインは鎧のせいで把握するのが難しいが、甲冑ではなくハーフプレートを纏う姿は躍動感を感じさせる。鎧の上は騎士たちと同じデザインのサーコートをマントのように肩で羽織っていた。


「聖公女クリスタまで……冗談だろう?」


 オスカーが思わず声を漏らすと、女は少し不快そうな顔をした。


「……私のことを知っているのなら、話が早そうね?」


 女はカルマたちの前に進み出ると、彼らを毅然とした顔で見据る。


「白鷲聖騎士団団長クリスタ・エリオネスティの名に於いて、正教会が貴方たちを拘束するわ!」


「言葉を返すようで申し訳ないが……いきなり拘束ですか? その理由を是非とも聞かせて頂きたい」


 恭しく頭を下げて応じたのは――カルマだった。いつの間にか煙草も何処かに消えている。

 誰だこいつと、オスカーは唖然とした顔をした。


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