第22話 事件は突然やって来る


 アクシアは自ら宣言したように、カルマの邪魔をしなかった。

 

「なあ、小腹が空いているんじゃないか? ちょうど良いものがあるんだけど、一つどうだよ?」

 

 隊商の使用人や護衛たちの中には、出発前夜に一緒に酒を飲んで顔見知りになった者も少なくない。さらにカルマは『踊る仔馬亭』で買ったパンに干し肉を挟んだものやワインを差し入れることで切欠を作り、すぐに大半の者と親しくなった。


 一度親しくなってしまえば、あとは退屈な旅路の話し相手になれば良い。さりげなく話を誘導しながら、この世界の常識やルール、そして次の目的地であるラグナバルについての情報を訊き出していく。


 同じような話の繰り返しや、個人的過ぎて余り価値のない情報も多かったが。カルマは話をすること自体が嫌いではなかったから、それはそれで構わなかった。

 そんなカルマの傍らに寄り添うように、アクシアは黙って耳を傾けていた。


「なあ、カルマ……彼女を放っておいて良いのかよ?」


 初めのうちは、そんな風に気にする者も少なくなかったが。楽し気に話すカルマを熱のこもった視線で見つめるアクシアの姿に何かを察したのか、途中から何も言わなくなった。


 それは大きな勘違いだよとカルマは内心思っていたが、アクシアも自制しようと努力しているのであり、相手にいちいち説明するのも面倒だったから、特に言い訳はしなかった。




 エルダを出発してからの三日間で、カルマは隊商のメンバーとの何気ない会話や行動を観察することによって、常識や習慣について多くのことを学んだ。宿場町の住人もそうだが、カルマが元居た世界の人間たちと大差ないように思える。


 個別ことを言えば切りがなかったが、日常的なことさえ弁えておけば、仮に知らないことで失態を犯しても、常識や学のない奴だと思われる程度で済むだろう。


 自分の国以外や他の都市についての知識がないことも問題にはならない。広域の情報網など持たず、精々が馬車で移動する程度の狭い世界で生きる人間たちは、国外の知識に長けている方が希なのだ。


 ただし――宗教に関しては、まだ用心しておいた方が良いと思う。宗教的なタブーに触れてしまえば、知らないでは許されないのだ。信じる神が違うという理由だけで同族を殺す人間も少なくないことをカルマは知っていた。


「なあ、カルマよ!!! 其方が買ってきたパンも塩漬け肉も、このワインもなかなか旨いな!!! 惜しむらくは、量が少ないことだ!!!」


 隊商が休憩のために停止したときや野営の時間になると、アクシアは嬉々としてカルマに話し掛けた。黙って話を聞いていたことへの反動だと解っていたから、カルマは文句など言わなかった。


「解ったから、アクシア。もう少し落ち着いて食べろよ。幾らでも話は聞くからさ?」


 アクシアの女性らしからぬ口調や不遜な態度は、その独特の瞳のせいもあって、人には言えない事情によるものと周りは勝手に解釈したようだ。

 会話には決して加わらいないが、傍らで黙ってカルマを見つめる姿にも見慣れたから、カルマとだけ楽しそうに話をするアクシアを、彼らも微笑ましい目で眺めていた。


 大食いのアクシアの食糧問題についても、カルマはすでに対策を打っていた。荷馬車に乗っているふりをして道中で獲物を狩ることも考えたが、血の匂いを完璧に誤魔化すのは面倒だった。だから、エルダを選定する際に訪れた別の街から大量の食料を調達して収納庫(ストレージ)に確保していた。


 隊商のメンバーに見せるために、こうして人間並みの量の食事を外で取るが、本当に必要な量は二人で馬車の荷台にいる間に食べている。新鮮な生肉でないことを、アクシアは当初は不満に思っていたようだが、人間の食べ物の旨さに気づいて考えを変えたようだ。


「やあ、アクシア嬢。僕の隊商での旅は快適かな? 不都合があれば、何でも言ってくれたまえ」


 野営の時間になると、ダグラスがやって来て甘い言葉を囁いたが、アクシアは完璧に無視してカルマだけに話し掛けた。その度に、ダグラスは何度も舌打ちしてカルマを睨みつけてきた。


 まったく面倒臭いなとは思ったが、最強の存在であるが故に他者に気を遣うことなど知らない竜族の王に、嫌いな相手と話をしろというのも酷だと思ったから、カルマはこれも容認した。


「悪いな、ダグラス。俺にとってアクシアだけは特別なんだよ」


 カルマが宣言すると、アクシアは顔を真っ赤に染める。

 そして不機嫌そうに立ち去るダグラスを、何故か勝ち誇ったような顔で横目で見た。


 そんなことを何度か繰り返すと、さすがのダグラスもやって来なくなった。


 隊商の次の目的地はクロムウェル王国南部の都市ラグナバルだ。

 カルマは隊商のメンバーとの会話から、ラグナバルに関する情報も、少なくとも他者に違和感を感じさせない程度には手に入れていた。


 あとは実際にラグナバルで活動しながら知識を補完していけば良い。とりあえず粗方の準備はできたとカルマが思った頃に――事件は起きた。



「なあ、オスカー? ラグナバル名物の焼き菓子って、ブラパンって言ったっけ?」


「ブラパンじゃなくて、ブラバンな? ありゃ、甘さがしつこくないから、酒飲みでもいけるぜ」


 護衛隊長であるオスカー・ロウと、カルマはいつものように無駄話にしか聞こえない会話をしていた。


 オスカーは片目に傷のある二十代後半の男だった。短く刈り込んだ砂色の髪と無精髭が無骨な印象を与えるが、顔立ちそのものは意外なほど整っている。

 よく手入れされた鎖帷子といい、滑り止めの革を巻いたバスタードソードといい、いかにも戦いに慣れている感じだ。実際、近距離戦闘における強さは隊商の中では一番だとカルマは判断していた。


「あとさ、ラグナバルの酒ならやっぱりワインよりも火酒かな? 喉が焼けるくらいの極上品を、街に着いたらまず飲みたいね」


「おいおい、カルマ。ガキのおまえに火酒はきついと思うぜ?」


 アクシアはいつものように黙って会話に耳を傾けていたが――不意に真顔になる。


「カルマ……」


 めずらしく口を挟んできたアクシアにオスカーが意外そうな顔をすると、カルマが冷静な声で応じた。

 

「ああ、解っているよ……なあ、オスカー? 俺は急用ができたから、これからダグラスのところに行ってくるよ。おまえたちも武器の準備をしておいた方が良いかな?」


「おいおい、カルマ。いきなりどうしたんだ?」


 何の冗談だとオスカーは笑うが、カルマが空気を一変させる。


「悪いな。今は説明している時間がないんだ――アクシア、おまえも一緒に来てくれ」


 アクシアが頷くと、二人は足早に先頭の馬車の方へ移動を始めた。


 その足取りはオスカーを唖然とさせるほどの速度だった。特にアクシアはヒールを履いているというのに、カルマと一緒に馬車を次々に追い抜いていく。


「嘘だろ……」


 しかし、オスカーも空気の読めない男ではなかった。


「おい、エドガー! マーク! 全員に戦闘態勢に入るように伝えろ!」


 そう叫ぶと、二人の後を追ってダグラスの元に向かった。


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