第3話 天使に喧嘩を売ってみる(1)


【本文】


「少し待っていろ。治癒とかそういうの、俺は苦手なんだよ」


 声は聞こえるが、何も見えなかった。微かに意識はあるが身体の感覚がなく、瞼を動かすこともできない。


 唐突に、激痛が赤竜を襲った。しかし、それは一瞬のことで、痛みが治まると身体の感覚が蘇っていることに気づく。冷たい地面の感触を身体の下に感じた。


「よし、とりあえずは終りだな。もう目は開けられるだろう?」


 言葉に従って目を開くと、目の前にカルマがいた。

 赤竜は反射的に身構えようとするが、全く力が入らない。


「さすがに今動くのは無理だからさ、諦めろよ」


 揶揄うように笑うカルマに、赤竜は顔をしかめる。


 今も膨大な魔力が溢れ出しているカルマを警戒しながら、置かれている状況を把握しようと、ゆっくりと首を動かして周囲を確認する。赤竜が横たわっているのは岩山の一角にできた窪地だった。


 先ほどまで戦っていた相手が隣にいることに、違和感と不信感を覚えたが、すぐに、もっと重大なことに気づいて意識を捉われる――カルマに切断された筈の翼と後ろ足と、自ら溶解させた前足までもが、元通りの状態に戻っているのだ。


 幻ではないのか――赤竜が確かめるように動かすと、確かな感覚があった。


(……どういうことだ? 貴様は、いったい何をしたのだ?)


「何って……再生術式を使ったんだけど?」


 何を当たり前のことを訊くんだという感じで、カルマは応えた。


「ああ、再生術式って言っても。本当に再生したのは前足だけで、翼と後ろ足は回収して繋げたんだけどさ。他の傷も一通り直したけど、おまえは魔力が枯渇してるし、大量に血を流したからな。まともに動けるようになるまでには何日か掛かるぞ?」


 太古の竜である赤竜は魔法に精通しており、カルマの説明を理解することができた。

 身体の部位を復活させる再生リジェネレーションは高位の神聖魔法であり、使うことができる者は限られている。しかも、赤竜の巨体を再生するには膨大な魔力を必要とするのだ。それを事も無げに行ったカルマに今さらながら脅威を覚えるが――論点は別にあった。


(そういうことではない!!! 貴様はわざと惚けておるのか? 我が聞きたいのは、貴様が如何なる意図で我を治療したかということだ!!!)


「ああ、そっちの方ね――そんなに警戒するなよ、俺は何も企んでないからさ。理由は単純で、おまえを殺したくなかっただけだよ」


 しれっと爽やかな感じで応えるカルマに、赤竜は激怒した。


(……貴様は我を馬鹿にしておるのか!!!)


 そんな気紛れのような、理由ともつかない理由で命を救ったと本気で信じろと言うのか? 赤竜は噴き上がる激情に駆られてカルマに襲い掛かろうするが、身体は思うように動かず、立ち上がることすら儘ならなかった。


(……おのれ!!! やはり貴様は、我など敵とすら認めないと言うのか!!!)


 苦々しい思いに歯ぎしりしながら、赤竜は行き場のない怒りの全てを視線に込める。


「あのさあ……おまえは誤解していると思うよ?」


 どうしたものかと、カルマは少し困った顔で頬を掻いた。


「俺は別に……おまえのことを認めないとか馬鹿するとか、そういうことは全く思ってない。むしろ逆に……」


 自分の歯切れの悪い言葉に思わず苦笑すると、カルマは正面から赤竜を見た。


「なあ、赤竜……今度こそ、俺の話を聞いてくれないか?」


 何を今さらと赤竜は訝しそうに見るが、文句は言わなかった。

 それを合意と受け取って、カルマは話を続ける。


「迂闊に力を発動させた俺も悪いと思ったから、最初は適当に躱して終わらせるつもりだった。だけどおまえが何度もしつこく攻撃してくるから、殺さない程度に痛めつけて諦めさせようとしたんだよ。それでも……おまえは自分が死ぬ瞬間まで戦おうとした」


 物事を合理的に考えるカルマには、赤竜の考えが解らなかった。勝算のない戦いに命を懸けるなど戦略的には誤りであり、何の価値もないと思う。しかし――他の全ての価値観を無視して、自分の誇りのために全てを賭けて戦う赤竜の姿に、カルマは何かを感じたのだ。


「俺は無謀な戦いに挑む奴は馬鹿だと思うから、おまえのやり方を認める気はない。だけど……理屈じゃないんだよな? たとえ、おまえを殺したとしても、意志を折らない限りは勝ったことにはならないし、おまえは絶対に譲らない。

 そういう感情的な行動原理なんて、本当の意味では、俺には決して理解できないと思うけど……それも悪くないなって思ってしまったんだから、仕方がないだろう?」


 訝しそうな表情を変えない赤竜を見て、カルマは自嘲するように苦く笑う。こんな言葉に動かされるほど、安い相手ではないのだ。


「おまえが納得できないのも解るけどさ、これだけは言わせてくれよ――俺は初めから、おまえのことを馬鹿になんてしていない」


 人間だと決めつける察しの悪さに呆れはしたが――だからと言って、正面から感情を叩きつける奴が嫌いな訳じゃない。


「こんなことを俺が言うと嫌味にしか聞こえないだろうが……強いとか弱いとか、そんなものには大した価値がないって俺は思うよ。確かに力は勝敗を決める大きな要因の一つではあるけど、戦いって、そんなに単純なものじゃないだろう? それにさ、そもそも戦うこと自体が、争いを解決する手段の一つに過ぎないんだから」


 他人に理解して貰えるとは思わないが、カルマは本気でそう考えていた。

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