第2話 神凪カルマと竜の女王(2)
「問答無用でブレスなんて吐くなよ、危ない奴だなあ……まあ、俺を殺す気満々なのは解ったからさ? とりあえず、いったん止めにしないか?」
しかし――カルマの言葉など赤竜には最早聞こえていなかった。
自らの攻撃を容易く躱した相手に、太古の竜のプライドが灼熱の激情を滾らせる。
(貴様……もう容赦はしないぞ!!! 我の全力で相手をしてやる!!!)
赤竜は怒りのままに反転した。
カルマとの距離を一気に詰めると、巨大な前足を薙ぐように振るって叩き潰そうとする。
「おまえがいつ、俺を容赦をしたんだよ?」
迫り来る巨大な爪を前に、カルマは苦笑する。
そして――今度の攻撃も空振りに終わった。
鋼鉄すら容易に切り裂く爪が確実に獲物を捉えた筈だが――次の瞬間、無傷のカルマが赤竜の頭上にいたのだ。
(ちょこまかと動きおって!!! ……貴様は無詠唱で転移魔法を発動させておるのだな!!! 人間風情が小癪な真似を!!!)
怒りを撒き散らす赤竜を尻目に、カルマはしたり顔で頷く。
「なるほどね。俺が何をしたのかは一応理解しているんだな……だけどさ。見えている情報(モノ)だけで判断するのは、どうかと思うけどね?」
(……黙れ!!! 人間風情が持つ魔力の量など、たかが知れておる……ならば、我は貴様の魔力が尽きるまで、攻撃を続けるまでだ!!!)
赤竜は矢継ぎ早に攻撃を繰り返した――
爪と牙と焔のブレスで次々と襲い掛かるが、その度にカルマは姿を掻き消して、無傷のまま別の場所に現われる。
しかし、何度逃げられようとも赤竜は執拗に攻撃を続けた。
「しつこいなあ……もう少し冷静になれよ? 俺のことを勝手に人間だって決めつけてるけどさ、そろそろ間違いだって気づいてくれないかな?」
カルマは機械的に回避を続けながら呆れた顔をする。
(……どういう意味だ? 訳の解らぬことを言って、我を謀るつもりか!!!)
「いや、そうじゃなくて……ああ、面倒臭いな」
(……貴様、我を愚弄しおって!!!)
カルマの言葉を挑発と受け取った赤竜が、再び激しい怒りを燃え上がらせる。
感情に任せた攻撃は単純だったが、怒りが増すにつれて速度だけは速くなった。
そして――右の前足で放った横凪の一撃が、遂にカルマを捉える。
(……どうだ、人間!!!)
直撃した感触に赤竜は歓喜するが――すぐに違和感に気づいた。
自らの剛力によって放った爪が、相手を切り裂くでも弾き飛ばすでもなく、受け止められたのだ。
「ホント、いい加減にしてくれよ?」
カルマは何もせずに立っているだけだが――赤竜の爪は逆向きの力に相殺されたかのように軽く触れたまま停止している。
(……どういうことだ?)
赤竜は前足を引き戻そうとするが動かなかった。
激しい焦燥感と怒りを覚えて、今度は逆側の爪を全力で叩きつける。
しかし――結果は同じだった。
(馬鹿な……)
両の前足はカルマを捉えていたが一切ダメージを与えていない。ただ触れているというだけで動かすことも、引き戻すこともできなかった。
赤竜はカルマを抱え込んだ格好で、驚愕の表情を浮かべる。
一方のカルマは――すっかり興味を失って不機嫌な顔で頭を掻く。
「……あーあ。やっぱり、穏便に話をする気はないみたいだな?」
このまま攻撃を避け続けるのは簡単だったが――何も理解しない赤竜(バカ)の相手をするのが、そろそろ馬鹿らしくなってきたのだ。
「次は、またブレスを吐くのかよ? ……ああ、もう良いよ解った、好きにしてくれ。だけど――いつまでも付き合ってやるほど、俺も気が長くないからな?」
何を言っても意味はないと漆黒の瞳から感情が消えて――まるでモノを見るように赤竜を見据える。
このとき――カルマの全身から膨大な魔力が放出された。
何かを発動させたのではない。ただ認識阻害を解除しただけだ。
魔力を持つ者は身体から微量の魔力を常に放出している。しかし、カルマから溢れ出す魔力は文字通り桁が違った。
それは太古の竜である赤竜にとっても、想定できる範囲を遥かに凌駕するものだった。
生存本能がけたたましく警告音を鳴らす――目の前の小さな存在から底の知れない圧倒的な力を感じ取って、赤竜は生涯で初めて躊躇というものを覚えた。
時間は一秒にも満たなかったが、竜族の中でも最強と自負する己が、そのような感情を抱いたことに赤竜は驚き――それはすぐに逆鱗へと変わる。
(我が躊躇うだと……それが最強の竜のすることか!!!)
次の瞬間、赤竜は全身全霊のブレスを放った。
強大な魔力に満ちた灼熱の焔は、熱に対して絶対的な耐性を持つ自身の前足すら溶解させる。
肉体が崩壊する狂気のような痛みを感じながら、それでもブレスを吐き続けた。
そして焔が途切れたとき――失われた両足の間には、変わらず無傷のカルマがいた。
「あのさあ……俺は警告したよな?」
乾いた声が告げると、赤竜の背中に鋭い痛みが走った。
巨大な竜はバランスを崩して、空中で巨体をよろめかせる。
何とか体勢を立て直しながら、ふと視線を下に向けると――二つの巨大な赤い物体が地上へ落下していくのが見える。
(……あれは、何だ?)
それが自らの翼だと認識するまでには、数秒が必要だった。
背中から血液を噴き出しながら、赤竜はカルマを凝視する。
どのようにして攻撃されたのか認識さえできなかった。
「……一応訊くけどさ、まだ続けるのか?」
死にたいなら好きにしろよと、カルマは無表情のまま問い掛ける――
相手を痛ぶるサディスティックな趣味も、自分の力を誇示する悪趣味もカルマにはなかったが――現実を理解しない相手は、徹底的に痛めつけるしかない。
しかし――そこにカルマの誤算があった。
赤竜は微塵の勝機もない圧倒的な実力の差を感じながら――それでも牙を剥くことを止めなかった。
(……我を侮るな!!! 貴様にどれほどの力があろうと、竜族の王たる我が屈することは――)
さらなる激痛に思念が途切れる――根元から切断された両後ろ足が、血を迸りながら地上に落下していった。
苦痛に顔を歪めながら尚も戦意を失わない赤竜を眺めて、カルマは溜息をつく。
「おまえの理屈につき合わせれるのは、俺にとっては良い迷惑なんだよ? だから……そろそろ終わりにするから」
(……ふざけるな。我は、まだ……)
不意に――赤竜の巨体が、ゆっくりと降下を始める。
魔力を使い果たし、大量の血液を失ったことで、さすがの太古の竜も力尽きようとしていた。
もはや自らの身体を空中で支えることができずに、ずり落ちるように地上へ落下していく。
「ああ……もう限界みたいだな。俺が手を下すまでもないか?」
(……勝手なことを……言うな!!!)
落下しながら赤竜は再びブレスを放つ――魂を絞るようにして吐き出した焔がカルマを襲うが、その程度でダメージを与えられる筈もない。
無意味な攻撃だと解ってはいたが――赤竜にとっては戦い続けることに意味があった。
「そうか……解ったよ」
カルマは諦めたように――再び感情を掻き消した。
赤竜の全身に激しい痛みが走る――少し距離が開いたことで、今度は何とか視認することができた。
紙のように薄い二本の刃が、空中を高速で飛び交いながら、赤竜の身体を切り裂いているのだ。
しかし、認識することはできても、とても避けられる速度ではなかった。
朦朧としていく意識の中で――成す術もなく蹂躙される屈辱を噛みしめる。
(……貴様にとっては……我など取るに足らぬ存在だろうが……それでも……死の瞬間まで抗ってやるわ!!!)
もはや光を失った両目を大きく見開いて、赤竜は最後のブレスを放った。
降下速度を落とすために使っていた僅かな魔力すら止めて、なけなしの全てを注ぎ込んで、最後の一撃を放ったのだ。
力のない焔は――最早カルマまで届かずに掻き消える。
浮力を完全に失った赤竜は、重力による急加速で墜落していった――巨体が地上に叩きつけられれば、太古の竜と言えど命はないだろう。
それでも――最後まで抗い続けたことに悔いはなかった。
ただ、せめて敵の攻撃によって死にたかったと赤竜は思う――
しかし、死の瞬間は訪れなかった。
「……仕方ない、解ったよ。俺の負けで良いからさ?」
すぐ近くで声が聞こえた。
赤竜は相手を探そうとしたが――身体はまるで動かず、目を開くこともできなかった。
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