第2話 夕顔 中編
夕顔 中編
毎日茹だる様な暑さだが、朝方はそれでも過ごしやすい。
日課として団地の花壇にホースで水を撒く。誰が何処を管理するかはっきり決まっている訳では無い。土弄りは苦手なので他人に任せて、私は適当に水を撒く。真広はそれを面白そうに眺めている。
「綺麗じゃん」
「真広は綺麗が好きだな」
ホースの先を押しつぶし、上向きに水を放ち虹を作る。
「すっげー綺麗」
彼の瞳には、私には見えない綺麗も見えているのだろうか。
ホースを片付けると、家に戻った。
「お姉さん、花火は何時?」
「それがな」
真広の頭の上に顎を乗せて愚痴る。
花火の集いは延期となった。
日葵と五十嵐は、何かをやらかした様で、両家の親から三日間の自宅謹慎を言い渡された。詳細は分からないが、色恋沙汰だろう。でも三日間なんて却って想いが募るばかりだ。
「海行こうぜ」
「泳ぐのか?」
「いんや、散策するだけだ」
「行く」
そして、真広はぐうとお腹を鳴らした。
「お腹減った」
「今日の当番はお父さんだから期待するな」
まだ新しい防潮堤の上を日傘を差して歩く。真広は時々立ち止まりながら、着いてくる。
「あの時は、大変だった。小学校から丘の上まで全力疾走で走らされたんだぜ」
「先生から聞いた。あの海から?」
「ああ、綺麗なのにな」
防潮堤に作り付けの階段から浜に降りた。磯が主だが、所々砂浜もある。
「足があちぃ」真広は片足を上げて踊る。夏の太陽に照らされた砂は熱を溜め込み、ビーチサンダル越しでも伝わってくる。遊泳禁止なのでパラソルなんて気の利いた物は無い。
「波打ち際なら冷たい」
砂が濡れている場所まで来ると、真広は行き来する波を追いかけては逃げ、走り回る。
「すげー」
「海は初めてか?」私も日傘を浜に突き刺すと、真広の真似をする。
真広は波が転がす、貝殻や様々な生き物の殻を拾う「珍しい物か?」「初めてだ」
私もキラリ光る破片を見つけた。
「これか」
真広が拾う。波にもまれて角が丸くなった水色のガラスの切片。真広は太陽にかざすと目を細めた。
「宝石だ」
真広は踝が浸かる程度まで沖に向かって進む。
「泳ぐと流されるぞ、ここは」沖に向かって海流が流れている。毎年誰かが流されて水難事故になっている。
「泳げないよ」
「そうか」
「本当は泳ぎたかったけど」学校のプールも見学せざるを得なかったのだろう。
「少し水に浸かってみるか」
私はワイドパンツの裾を捲って腰で止めると、膝下丈まで浜を進む。ここまで来ると水はかなり冷たい。
「此所で受け止めてやるよ。来てみろ」
「濡れるよ」
「いいんだ」
真広は恐る恐る、歩を進める。高校生の膝下丈は真広にとって腰下になる。当然引き波に足を取られて転倒する。
「ぶあぁ」
「ははは」私は真広の手を取ると少し浜まで戻った「どうだ?」
「しょっぺぇ」真広は必死に足を着こうとして藻掻く。組み付かれて私も転び、波に顔を突っ込んだ。
「髪がベトベトだ」
日傘を二人で共有して、体を乾かす。
「今日は絵を描かないのか?」
「後で描く。外は眩しい」
「それはそうか」
不本意な事に、この高校には夏休み登校日なる物がある。先生の給料日の都合だ。
HRが終わり解散になると、各自帰宅なり、部活なり、昼食を摂ったりする。
中庭に私の彼氏を見つける。薄情な事に彼氏に会うのは夏休みに入って今日が初めてだ。今彼とは希薄な関係ではあるが。
「何処行ってたんだよ、土産は?」
中庭のベンチに二人で座る。木漏れ日に温められて、ベンチが温くなってる。
「法事が重なってた。三月には集まれないだろ」
「すまない」
「いや良いんだ、俺もメッセージ書か無かった」ちなみに私もメッセージを書いて無い。これぐらい希薄な方が私は心地よい。
「土産はある。ほら
「サンクス、愛してる」現金な愛を
「なあ、あれ香織の友達だろ。女同士で出来てるって噂が持ちきりだ」
「それが?」
渡り廊下を日葵と五十嵐が連れだって歩く。いつも昼食を共にしている礼拝堂の裏に行くのだろう。
嫌がらせだろうか二年の女子が、五十嵐の背を肘で小突く。
日葵は、体勢を崩した五十嵐に気が付くと、当然の様に抱き寄せ自身の体で受け止めた、そして何事も無かったかの様に再び歩き出す。
私はその優雅な所作をじっと眺めた。
「期待されても困るから言っておくが、誰もが王子様に成れる訳じゃ無いぞ。まああれは白馬のプリンセスだが」
「愛ってなんだ?」噛み合わない会話が行き交う。大した事を話す訳じゃ無い。
「はっ?何、俺に聞いてる?」
愛とは何だろう。日葵と五十嵐の秘めた愛は世間に祝福されないのに、育てる事も出来ない子を成す事は愛なのか。
「ええと、相手を尊重出来なくなったら愛じゃ無いだろ、それに……」消去法かよ。
そうだ子も親に尊重される権利がある。それが無いならもうご破算で良いじゃ無いか。
残照が空を飾る中、薄暗い川沿いの道を懐中電灯で照らして歩く。真広は大サイズの花火の袋を持っている。みんみんぜみがまだ暑い空気を震わす。
「鳴き声って絵に描けるのか?」私は無茶を言う。
「描いちゃう人もいる」
「そうなのか」天才は天才を知るか。
「なあ真広、家にずっと居てくれれば良かったのに」
「行政の都合だよ。碌な話しじゃ無いけど」真広は自分の事になると冷めた事を言う。
既に河川敷には、バケツや蝋燭などの用意が終わっていた「日葵、五十嵐お待たせ」
二人は浴衣を着て、髪を結い上げ、お揃いのかんざしを挿していた。Tシャツにジーンズの私は場違いだ。
「香織、真広くん、今晩は」
「真広でいいよ」
「真広は一旦、相談所での一時保護になるんだ。家に居るのは今日までだ」
「そう」
『緊急避難』は今日で終わりだ。両親は色々と手を尽くしたが、処遇は児童相談所と家庭裁判所が決める。
「始めようか」日葵の号令に五十嵐がマッチを擦る。手慣れた手つきで蝋燭に火を灯した。
「マッチなのか?」
はは、と五十嵐がはにかむ。
「慣れてて。蚊取り線香に火を付ける時、ライターだと熱くなるから」
農家には農家の事情があるらしい。
花火の袋を漁る「真広大きい方が良いか?」「でかい方が良い」袋の中から派手そうな手持ち花火を取り出す。
「人に向けるなよ」真広の後ろに立って花火の遊び方を指導する「先に火が付いたら蝋燭を吹き消さない様に横にずれる。振り回さず手に持ったまま楽しむんだ」
真広の花火の先から光の奔流が溢れ出す。紫が緑になり、そして赤色になる。
「ケホケホ」
真広が咳き込んだ。
「風下には立たない方がいいな」
炎が消えると、真広は次の花火を探す。
十数分もすると大きな手持ち花火は皆でやり尽くした。
「じゃあ、打ち上げ行こうぜ」
台の蒲鉾板に、設置花火を据えると五十嵐がマッチで火を付ける。
口から、色取り取りの火花が盛大に噴き出す。
「お姉さん、飛ば無い」
「飛ば無いやつだった」
今度は本当に打ち上げ花火だ。飛び出した落下傘を真広はキャッチする。
「ふう、楽しんだ」
「面白かった」
日葵と五十嵐は肩を寄せ合って、線香花火に火を付ける。私はあまり線香花火をやった事が無い、恋人にはお似合いの花火かも知れない。
「ねえその花火やりたい」
私は花火の袋の底から、線香花火を取り出す。束になっているので封を切る。
「小さいな」
「遊び方は日葵に聞いてくれ」
二人で、日葵と五十嵐の輪の中にお邪魔する。
日葵の持つ線香花火は、火花が跳ね終わり、玉がポトンとバケツの中に落ちた。
「火の玉が落ちない様に静かに持つの」
真広の線香花火が、火花を出し始めた。しかし火花を出し切らない内に玉は落ちた。真広は束から次の線香花火を取り出す。
「すごく絵になる」
「絵を描くの」
日葵の質問に「ん、まあ」と真広は答える。
「今日は誘ってくれてありがとうな」
「どういたしまして」
「明後日取りに来てくれたら、花火の絵を描くから、上げるよ」
「ありがとう、真広」
真広は美人に弱いのかも知れない。
続く
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