夕顔

しーしい

第1話 夕顔 前編

  夕顔 前編



 今日は日葵ひまりから山歩きに誘われた。五十嵐いがらしの足腰強化の為らしい。五十嵐がこれ以上何を強化するのかよく分からなかったが。

 「足が痛ぇ」

 私がハイキングだとばかり思って居た山歩きは、実はトレッキングだった。日葵は元陸上部だし、五十嵐も農作業を手伝って居るので実は筋力がある。私だけが鍛練不足だ。

 昼も三時過ぎ、終点の日葵の家に辿り着いた。

 送って貰うのは遠慮した。裕福な日葵や、代々続く農家の娘の五十嵐と違って、団地住まいの私はあまり家を見られたくは無い。いわゆるプロレタリアートと言うやつだ。

 癪な事に、団地は日葵の家より山寄りだ。疲れた体を引きずって、坂を登る。最後は団地の階段だ「ふう」

 ドアの前に男の子が座って居た。小学生ぐらいに見える。

 「誰?」

 「真広まひろ

 素っ気なく答えた。放置子か何かか?

 「どいて、うちの家だから」そう要求すると、男の子は素直に立ち上がり場所を空けた。

 鍵でドアを開ける。両親は共働きだ。お父さんは工場。お母さんはテレフォンオペレーター。夏休みの今、昼間は私一人だ。

 「入るなよ、うちそんな余裕無いから」

 「知ってる」

 ムカつく野郎だ。共働きだから、それほど貧しいと言う訳でも無い。

 「名字は?」

 「畑中はたなか

 お母さんの旧姓だ。母方の叔父の子供だろう。

 「飯は食ったのか」

 「ううん」

 「飯だけは持ってくる。ここで待ってな」

 そう言ってドアを閉める。

 「あちぃ」締め切った室内は耐えられないほど暑い。クーラーを強にする。

 冷凍庫からガリカリ君ソーダ味を取り出すと口に咥える。冷蔵庫から焼きそばの玉・キャベツと肉……肉が無い。冷蔵庫に貼った買い物表を見る。今日はお母さんの担当だ。仕方が無い肉無し焼きそばだ。

 キャベツを刻み鉄のフライパンにラードを引くと炒めた。手早く焼きそばの玉を合わせて蒸し焼きにすると、出来上がりだ。両親が共働きなので料理は得意な方だ。私も空腹だったので二人分作った。

 皿に取り分けると、玄関の男の子の方に持って行く。

 「お待たせ」皿に割り箸を沿えて差し出す。

 「本当にご飯くれるとは思って無かった」

 「そう?」放置子は放置子で大変そうだ「食べ終わったら皿そこに置いといて」扉の脇を指し示す。

 「絵描いて居るの? 見せて」

 男の子は消火器の横に座りながらスケッチブックを広げて、鉛筆で何かを描いて居る。

 「見せる物じゃ無い」

 「じゃあこの焼きそばと引き換え」卑怯な手に男の子は屈した。

 絵の事は良く知らないが、鉛筆の線で濃淡を描いた、朝顔か夕顔の絵だ。上手いと思う。子供の絵では無い。

 「見ないで描いてる。凄いじゃん」

 「夕顔ならそこに咲いて居る」

 確かに団地の花壇に咲いて居るけど、昼は咲いて居ない。記憶だけで描いて居るのだ。

 「はい、これ。肉無いけどね」良い物を見たお礼に、焼きそばの皿を渡す。

 男の子は焼きそばに手を付ける。お腹が空いて居たのか掻き込む様に食べる。

 「ねえ、こんな事すると、うちの親に利用されるよ」

 ご丁寧な忠告付きだ。

 「そうかもね、それ食べ終わったら家の前から居なくなって」

 そしてドアを閉めた。


 「畑中の三男、てめぇそれでも人の親か、それとも人の屑か」

 次の朝、人の争う音で飛び起きた。足が痛くてまともに歩けない。

 昨日私の話を聞いたお父さんは、待ち伏せを仕掛けた。自治会に掛け合って駐車場の防犯カメラをチェックしたらしい。

 部屋を出ると、お父さんが玄関で知らない男の人を殴って居た。お母さんは必死に止める。

 男の子も居て修羅場をじっと見詰めて居る。私は飛び出すと男の子の目を覆った「見るな」

 「お父さん、やめて」お母さんが、間に入ろうとする。

 「兄弟だか知らんが、こういう輩は体で言い聞かせる必要があるんだよ」

 どこかのDV夫みたいな事を言い出す。

 お父さんは拳を痛めたのか殴るのを止めると、男を玄関の外に叩き出した。男の子は部屋の中に取り残された。

 「彼はしばらく家で預かる」

 「祐三兄さんの思うつぼですよ」

 両親まで言い争い始めた。私は呆然としてその場に座り込む「やめて」

 「児童相談所に相談すれば良いよ」

 男の子は言い放った。

 「あ、ああ、児童相談所に相談すれば良いな」

 お父さんは虚を突かれて、男の子の言葉をオウム返しにした。

 その後お父さんは色々な所に電話した。たらい回しにされて、明らかに苛立って居た。結論としては「緊急避難」と言う事になった。何を示すのかはよく分からなかった。

 両親は遅刻して仕事に出勤した。


 男の子が今入って居る狭いシャワー室に潜り込む「真広だっけかな、ふふん」これは意外とドキドキするミッションだ。真広はちょうどボディソープの泡で体を覆った所だ。このミッションは私にしか出来ない。

 「やめろ、女が入って来るな」

 「いや、確認しなきゃいけなくてさ。シャワー渡してくれるかな」

 真広はシャワーヘッドを握って真横に突きだした。私はスカートを捲って結ぶと膝立ちになって背中を流した。

 「痩せてるな」それ以上に目を覆う物もあった。

 「食べてないからな」

 「家では食わせてやるよ。また焼きそばだけどな」

 私の頬を涙が伝った。憐憫が真広の為にならないと理解して居ても、どうしようも無く気持ちが溢れた。

 「何歳だっけ?」

 「十歳」頭と体の大きさが不釣り合いだ。もっと低学年に見える。

 そのまま真広の頭も洗ってあげた。

 「自分で洗えるよ」

 「人に洗って貰うのも良いものさ。小さい頃はよく洗って貰った」

 「そう言うものなのか?」

 「そう言うもの」

 更衣室からは叩き出されたので、昼食を作る。今日は豚細切れ肉がある。ラード少なめで細切れ肉自身の油で炒める。

 「すっきりしたか、ご飯出来たぞ」更衣室からタオルを被って出てきた真広に声を掛ける。

 「色々してくれて悪いな」

 「今は言うな」テーブルに皿とコップを並べる。

 「そういえば昨日水を出し忘れた。喉渇かなかったか?」

 「猛烈に乾いたよ。焼きそばだしな」

 「ははは、それは悪かった」

 いただきますをした。

 やはり真広は早食いをする「もっと噛め」「分かって居る」身に付いた癖か。

 「後で買い物に行こう。今日は私が当番だ」

 「当番?」

 「家事を分担するのさ」


 近所のアイオンに出かける。自転車で行く事の出来る距離だ。

 団地の駐輪場から自転車を引き出す。

 「二人乗りは出来るか?」

 「握力無いから落ちると思う」あの筋肉では仕方が無い。

 「私の腰に手を回せ」

 行きは楽だ、坂道を大型ショッピングセンターまで勢いを付けて降りるだけだ。

 「速いよ、えとえと、お、お姉さん」

 「いいね、お姉さんと呼んで」お姉さんと言われて悪く無かった。幼い頃は猛烈に妹が欲しかった。この際、弟で良いや。

 「お姉さん、速い」

 「普通だよ」

 真広の悲鳴を聞きながら、アイオンに到着した。

 駐輪場から買い物メモを見ながら地上に出ると、日葵と五十嵐に会った。

 「香織かおり、昨日は有り難う。足痛く無い?」

 「むちゃ、痛い」

 日葵は、真広の事を見つけ、吟味する様に見詰めた。

 「綺麗な瞳の男の子」日葵はたまに意味不明な事を言う。

 「真広って言って、親戚の子さ」

 「そう」その手の事には興味なさそうだ。それが日葵の良い所で有り、悪い所でも有る。

 日葵は真広の目の高さまで屈むと、その目を覗き込んだ

 「楓若葉なつは 日葵です。香織をよろしく」

 「私は五十嵐 皐月さつき

 今まで日葵と繋いで居た右手を離すと、五十嵐はその手を真広に向けて広げた。

 「何買いに来たんだ?」日葵と五十嵐をアイオンの生鮮食品棟で見る事は少ない。

 「花火を、今度花火しない?」

 悪く無い。でも、夏をいて居る感じだ。

 「考えておくよ」

 「真広君も来る?」

 「行ってみたい」

 真広はあっさり、日葵に籠絡されてしまった。

 「分かったよ、行くよ。日程教えてね」手を振って別れる。

 「ドキドキした、凄い美人だな」

 「本当は怖いんだぜ」実際怒って相手を泣かした事が何回かある。

 「それに女同士で恋人繋ぎしてた」

 「小学校ではやらないか?」

 「高校生でもやるのか」

 「あー、人それぞれだろ」


 その晩は、真広を迎えての最初の夕食だった。普段より一皿多いのに加えてローストチキンが用意されて居た。もちろん材料は全て私達が買いに行った物だ。調理も私だ。

 「真広君、取り敢えず君を保護する事になった。何時までか、今後どうなるかは不明だが歓迎するよ」

 お父さんは食卓に身を乗り出して宣言すると、食前の祈りを主導した。


  続く

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