32.終焉(4)
――俺たちはしばらくの間、神殿の前で茫然としていた。
何が起こったのか分からなかった。水那はどうなったんだ?
「わらわ……わらわの失態だ」
ネイアが声を震わせた。目に見えない力に押さえつけられたかのように、全く身動きできなかったようだ。
「ネイア! 一体、何が……。浄化って!?」
「……そもそもは……ジャスラの民でないミズナがヤハトラに留まるために、理由が必要だった」
「理由……?」
ネイアがコクリと頷く。
「ジャスラはミュービュリと関わらない。その大原則を覆すために……。ジャスラの民の誰にもできない浄化の力があれば、ミュービュリに帰さずに、済むと……」
ミュービュリに帰る場所がない水那を守るために、ネイアが考えたことなのだろう。
「しかし……ソータと結ばれ、トーマが生まれ……ミズナには帰る場所ができた。浄化など……もうせずともよかったのに……」
ネイアがわなわなと震える。
「わらわが……ミズナとジャスラの涙、勾玉を結びつけてしまった。わらわが……」
「どういうことだ?」
ネイアの言っている意味がわからない。
それに、水那がネイアを押さえつける程の力を発揮するとは思わなかった。
「カガリが奪ったジャスラの涙……わらわは、その力を使う許可をミズナに出した。その時には……ミズナのお腹にはすでにトーマがいた。ジャスラの涙に残っていた勾玉の力と、ミズナの中のソータから分けられた勾玉の力。そして……二人の間の子供。これらの条件が重なり……勾玉が、三種の神器に愛された男、ヒコヤイノミコトの正式な伴侶として……ミズナを認めたのだ。ひょっとすると、ミズナは女神テスラの血を引いているのかもしれん」
「……?」
話が複雑すぎて、俺にはよくわからなかった。
「つまり……ソータ、お前と同じく……三種の神器の力を最大限引き出せる存在になったということだ」
ネイアは両手で顔を覆った。
「闇は増えることはあっても、減ることはない。減らすには……浄化で消すしかない。そうしなければ……何百年か後には、勾玉にも限界が来る。それは、確かにそうだ。でも、それはジャスラの民の……ヤハトラの試練だ。ミズナ一人が背負うことでは……ないのだ……!」
いつも毅然としていたネイアが……肩を震わせて泣いていた。
俺はネイアの下に駆け寄ると、両手でネイアの肩を掴んだ。
「俺が助ける。俺ならできることがあるだろう。ネイア、言えよ。何をすればいいか教えてくれ!」
どんな手段でもいい。わずかでも可能性があるなら、俺がやるから!
しかし期待も空しく、ネイアは首を横に振った。
「……ミズナは浄化し続ける命令を自らに下した。恐らく……各地の祠とこの神殿が再び繋がるぐらいまで闇が減らない限り……術は解けん」
ネイアの台詞で……俺は、ラティブの祠で自分が説明したことを思い出した。
昔は繋がって直接闇を引き付けていたけど……今は、できなくなったから旅に出たんだと。
――ヤハトラの勾玉で抑えている闇が多くなりすぎたってことだな。
――じゃあ、ヤハトラの闇が減ればうまく力が働くようになるの?
――理屈はそうだが、闇は増えることはあっても減ることはないと言ってたな。
俺とセッカの会話だ。
あのとき水那は黙って聞いていたが……ひょっとしたら、それがきっかけで自分の可能性を考え始めたのかもしれない。
実際、あの後……水那は泣かなくなった。じっと何か考え込んでいた。
ネイアのいう「伴侶の契約」は終えた後だ。気づいても、おかしくはない。
「それでも……二千年以上かかって集めた闇だ。容易には……消せまい。ミズナは神殿の中で、ひたすら浄化し続ける。勾玉の力を引き出し……おそらく、何百年もの間……」
「何百年!?」
「……そうだ」
ネイアが涙を拭いながら神殿を見上げた。
「闇は女神の産物……フェルティガを纏うのと同じだ。身体の時を止め……ひたすら自分の使命を全うする」
じゃあ、ずっと若いまま、この中で浄化し続けるのか。
自分に
「だから……
俺はガックリと膝を落とした。
やっと捕まえたと思ったのに……するりと抜けて行ってしまった。
もう……取り返せない。
「ねぇ……じゃあ……じゃあさ!」
セッカが不意に叫んだ。
「浄化が進めば、ミズナを助けられるんだよね! 無理矢理じゃなくて!」
「……!」
ネイアがハッとしたようにセッカの顔を見た。
「その……何百年もかかる浄化を、縮める方法ってないの!?」
「……」
ネイアが何かを考え込んでいた。セッカの言葉がヒントになって、何かを思いついたのかもしれない。
「……あるのか」
「……途方もないが……何十年かに縮めることは……できるかもしれん」
ネイアは呟くように言った。
「しかし、どれもわらわにはできん。ソータにしかできないことばかりだ……」
「じゃあ、俺がやる!」
「……親父殿とトーマはどうする気だ」
「……!」
俺は後ろを振り返った。
親父は十馬を抱え、扉のすぐ前で俺たちを黙って見つめていた。沈痛な面持ちをしている。
水那が消えていくところを、見ていたのだろう。
俺たちの会話がどのくらい理解できたのかは分からないが……。
「今回の旅とは違う。どの方法も……どれくらいの月日がかかるかはわからん」
「じゃあ、トーマは俺が育てるから、親父はミュービュリに戻して……」
「赤ん坊を育てながらできるようなことではないぞ。長い……長い旅になる」
「……!」
俺は思わず息を呑んだ。
水那を救いたい。でも……それは、水那との間の息子を捨てることになるのか?
『……ネイア殿』
ずっと黙っていた親父が口を開いた。
『……何だ』
『十馬はわたしが育てる。わたしたちを元の世界に戻してもらえるか』
『えっ……』
俺はゆっくりと立ち上がった。親父を見つめる。
『話……わかったのか』
『水那さんがジャスラのために身を挺して消えた。水那さんを助けるためには……颯太、お前がやるしかない……といったところか』
俺たちの会話の端々の単語を拾って……雰囲気から、わかったんだろうか。
俺は親父の下に歩み寄った。
『そうだけど……何十年とかかるかも知れない』
『……二十年ぐらいなら、待てそうだがな』
親父が淋しそうに笑った。
『この国で一年近く過ごして……お前の存在意義が、この国にあるのだと感じた』
『……』
『水那さんには、大きな借りがある。そしてお前が、このまま諦めるとも思えん。それは……わたしにとっても、心苦しい』
親父が俺の肩にポンと手を乗せた。
『十馬はわたしが育てる。それはもう、厳しくな。将来……お前たちを助けられるように。それが……わたしの残りの人生の、意味なのだろう』
『おや……じ……』
親父は微笑むと、俺の横を通り過ぎた。
ネイアの前までゆっくりと歩み寄る。
『ネイア殿。大変、お世話になった。不肖の息子だが……よろしく頼む』
『親父殿。……よいのか』
『ジャスラからは、わたしの世界が覗けると聞いている。わたしに何かあれば……十馬をよろしく頼む』
『……わかった』
ネイアがゆっくりと頷いた。
「ソータ。今から親父殿とトーマに……帰還の術をかける」
「……!」
俺は駆け寄ると、親父に抱きついた。
『ごめん……!』
『こういうときは、ありがとう、だ』
『そっか……』
手の甲で涙を拭う。
これから俺は、途方もない旅に出る。ベソベソ泣いていたらみっともない。
ちゃんと覚悟を決めた姿を……親父とトーマに、見せなくては。
『親父……ありがとう。いつか……必ず、水那を連れて帰るから』
『……うむ』
『……十馬』
俺は親父から十馬を受け取ると、ぎゅっと抱きしめた。
『ごめんな。ママを助けたら……会いに行くからな』
十馬は「あー」と言ってニコッと笑った。俺は泣くのを堪えて親父に十馬を渡した。
『ビシバシ鍛えてやってくれ。俺は……そうしようと思ってたんだ』
『……わかった』
ネイアが深く息をついた。
「――参る」
最初に会ったとき……ネイアは言っていた。
ヤハトラの巫女が一生に一度しか使えない大技だと。
俺が帰るとしたら、稀にできる穴に飛び込むか、次の巫女に頼むしかない。
つまり……もう、会えないかもしれない。
「……!」
親父と十馬が見えなくなるまで我慢しようと思ったのに……涙が零れるのを抑えることができなかった。
『さよなら……!』
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