第131話 くつろぎの白鳥亭

 指定された明の月アウローラ十五日、当日。ステラはいつもより早く孤児院を出て、中央通りへと向かった。この帝都でもっとも大きな中央広場で落ち合って店に行こう、という話になったのだ。


 ステラが中央広場に着いたのは、普段であれば朝食の片づけが一段落したような頃である。にも関わらず、広場にはすでに多くの人がいた。


 地図を片手に何かを探しているふうな紳士、長椅子に腰かけて談笑する男女、隅の方で身を縮めるようにしてパンをかじる青年――色合いも雰囲気も様々な人々の姿がある。


 近くでいちでもやっているのか、時折呼びこみの声や値切り交渉らしき会話も聞こえた。これだけにぎやかなら、学生たちがこそこそやっていても目立たないだろう。


 広場の中心には、古い時計台がある。見上げれば首がつりそうなほど立派な帝都の象徴は、目印に最適だ。ステラが時計台の方へ駆けていくと、案の定、その下に見覚えのある人の姿があった。ちょうど、茶髪の少女も到着したところらしい。


「みんな、お待たせ!」


 声を上げ、手を振ると、三人が一斉に振り向く。少女――シンシアが一礼し、レクシオとトニーが手を振り返してきた。


「おう、おはよう。ステラも来たな」

「ごきげんよう、ステラさん」


 レクシオとシンシア、二人の挨拶に答えるように、ステラはうなずく。


 駆け寄ってきた彼女を見ていたトニーが、それから全員に視線を巡らせた。


「よし、揃ったな。ちょっと早いけど、出発するか?」

「それがよろしいと思いますわ。帝都内とはいえ、初めて足を運ぶ場所ですもの」


 真剣に応じたシンシアを見て、ステラたちもうなずく。トニーは「よし」と笑って、手元で帽子をくるりと回した。ちなみに、いつもの茶色い帽子ではなく濃紺の落ち着いた意匠のものだ。


 その帽子を乗せるようにかぶった彼は、手に持った鞄から小さな紙を取り出した。


「えーと。ここから『くつろぎの白鳥亭』まで……まずは広場の東に、だから、あのでっかい建物の方だな」


 紙を見ながら呟いていた少年が、少し離れた建物を指さす。人混みの中からでもよく見える、四階建ての建物だ。確か、百貨店だっただろうか。足を運ぶ機会がないステラたちは、詳しいことを知らないが。時計台と同じく、目印には最適である。


「じゃ、行こうか!」


 意識して明るく言い放ち、ステラは弾むように駆けだす。残る三人もそれに続いた。


 大きな建物を見ながら歩いて広場を出た彼らは、トニーの案内に従って幅広の道を歩いていく。途中、黒い外衣コートに身を包んだ人物とすれ違いかけて――その人に呼び止められた。


「やあ、みなさん」


 低く朗らかな声には、聞き覚えがある。振り返ったステラは、目を丸くした。


「アーノルドさん!」

「冬の大祭以来だな。お久しぶり」


 セドリック・アーノルドは、やはり人相がいいとは言えない顔の上にやわらかな笑みを乗せる。警察官というより、観光馬車の御者のようだ。


 このやり取りでほかの三人もアーノルドに気づいたらしい。続々と取って返してきた。


「お久しぶりです、アーノルド捜査官」

「公共の場でもないんだから、そう畏まらないでくれ」


 アーノルドは苦笑しながらも、三人それぞれに再会の挨拶をする。ひと通り形式的な応酬が済むと、トニーが悪戯っぽく目を細めた。


「で。アーノルドさんがここにいらっしゃるってことは、ってことでいいんすかね?」

「ご明察。今日の私はアーサー殿下の使いだ」


 ステラたち四人は目を合わせる。オルディアン少佐ではなく、アーサー殿下と、捜査官は呼んだ。ということは、当人も軍人としてではなく皇子として彼らと話したいのだろう。


 ますます思惑が読めなくなってきた。が、だからと言ってここで引き返すわけにもいかない。そもそも、そんな選択肢は彼らの中にない。


 だから、あくまでも平静を装う。三人からの目配せに気づいて、ステラは半歩前に踏み出した。


「そういうことなら……案内をお願いしてもいいですか? 初めて行く場所で無事に辿り着ける自信がない、って話をしていたところなんです」


 ステラは肩をすくめる。口にしたことは真実ではないが嘘でもない。アーノルドも、学生たちの態度から何かを察したのだろう。困ったようにほほ笑みながらも、胸に手を当てた。


「もちろん。もともと、そのために来たのだからね」


 アーノルドを新たな案内人として、ステラたちは再び帝都へ分け入っていく。進めば進むほど人通りが減ってきて、周囲の雰囲気も変質した。


 観光客向けの大型店舗や土産物屋を見なくなり、瀟洒な建物が通りの両側に増えていく。行き交う人々の足取りにも余裕が感じられる気がする。通り全体の雰囲気がやわらかく、それでいて華やかに色づいたようであった。


 実家を飛び出してから長いステラにとっては、なんとなく座りの悪さを覚えるような道だ。お上りさんよろしく、あたりを見回しそうになってしまう。それは、レクシオやトニーにしても同様のようだ。


 逆に馴染み切っているのがシンシアである。彼女はひとつも臆することなく、しゃんと背筋を伸ばし、前を見て歩いていた。ステラは彼女のこういう姿を密かに尊敬している。ナタリーなどは逆に思うところがあるようなので、決して人前では言わないけれど。


 そんなことを考えながらも、ひたすら足を動かし続ける。アーノルドと遭遇した場所から二百五十マレ(約七百五十メートル)は歩いただろうか。やがて、前を行く黒い背中が止まった。ステラも足を止め――右前方に見えた看板に気づき、息をのむ。


 群青色の看板に、翼を畳んだ白鳥の姿が描かれている。そして、その下には白鳥と同じく目の覚めるような白色で刻まれた、『くつろぎの白鳥亭』の文字。


 一行の間に緊張が走った。


「ここが目的地――『くつろぎの白鳥亭』だ」


 アーノルドは、いつもと変わらぬ口調でそう告げる。四人とも、ひとまずは彼に頭を下げた。


「ありがとうございます、アーノルドさん」


 お辞儀したステラの隣で、シンシアが貴族式の礼をする。人相の悪い捜査官は、人の好さげな笑みを浮かべて「いーえ」と手を振った。


「結構歩きましたねえ。俺らだけだったら、どっかで迷ってたかもしれません」


 二人の横で、トニーが猫目をくりくりさせて建物を見上げている。ステラは「そうかもね」と相槌を打って彼に倣った。


 高級住宅街のそばにある飲食店、と聞いていたので身構えていたのだが、ステラの予想に反して小ぢんまりとした店舗だった。ただし、庶民が集う大衆食堂の雰囲気ではない。白い外壁も窓もきれいに磨き上げられていて、扉はつややかな黒色だ。営業時間が書かれた金縁の看板が、その中央で鈍い光を放っている。


 堅い沈黙を守る扉を見つめ、ステラは深呼吸した。そのとき、彼女の鋭敏な耳が、聞き覚えのある足音を捉える。


「アーノルド捜査官」


 涼やかな声が唯一の大人の名を呼ぶ。全員が一斉にそちらを振り返った。落ち着き払ってお辞儀をするアーノルドのかたわらで、シンシアとレクシオが少し顔をこわばらせ、トニーがわずかに目を細める。


 第一皇子アーサーその人が、歩いてきたところだった。いや、外では『アーサー・オルディアン』として振る舞っているのだろうか。一見して皇子とはわからないような、飾りのない外衣コートと帽子を身に着けている。


「早くから呼び出して済まなかったな。ご苦労だった」


 彼はにこやかに片手を挙げる。『上官』の労いに、アーノルドはどこか悪戯っぽい微笑で応じた。


「いえ。これは私にしかできないことですから」

「確かに。私と学生諸君の仲介などという任務は、あなたにしかお願いできない」

「重要な仕事を任せていただき、光栄でございます」


 上官と部下の会話にしてはいささか軽い。ステラたちが戸惑って顔を見合わせたとき、アーサーの視線が彼らに向いた。


も、ご足労いただき感謝する。正直、警戒されて終わることも覚悟していたから、応じてくれて嬉しいよ」


 まっさきに、シンシアが半歩前に出た。左足を少し引き、軽く上半身を曲げて、最上級の礼をする。


「とんでもございません。こちらこそ、お話する機会をいただきありがとうございます」


 薄紅色の唇が、よどみなく口上を述べる。声が落ち着いているせいか、その立ち居振る舞いのせいか、ステラにはシンシアが別人のように見えた。


 とはいえ、いつまでも呆気にとられているわけにはいかない。一応お辞儀をして名乗った後、ステラは『くつろぎの白鳥亭』を振り返った。


「アーサー殿下、アデレード殿下はどちらに?」

「ああ。姉上なら先に入っていらっしゃるはずだ。我々も行こうか」


 アーサーはさらりと答え、黒い扉の方につま先を向ける。それを見て取ったアーノルドが敬礼した。


「では、私はこれで」

「ああ、ありがとう。話がまとまったら連絡する」

「了解しました」


 アーノルドは、帽子のつばを軽く持ち上げて学生たちを見る。「それでは、よい時間を」とだけ彼らにささやいて、鮮やかに身をひるがえした。


 少しの間だけ去りゆく捜査官を見送った五人は、改めて『くつろぎの白鳥亭』の前に立つ。金色の把手に手をかけたアーサーが、ふと学生たちを振り返り、片目をつぶった。


「各々、楽にしてくれてよい。今日は私も姉上も、お忍びで来ているからな」


 四人は店を見上げ、アーサーを見つめ、形だけうなずく。それは無理な相談だ――とは誰もが思っただろうが、誰も言わなかった。



「お待ちしておりました、オルディアン様」


 入店と同時、礼服をきっちり着込んだ男性が出迎える。店員であることは理解できるのだが、恭しく頭を下げるその姿が執事のようで、これまたステラとしては落ち着かなかった。しかし、名を呼ばれた当人は慣れたものである。


「二階は空いているかな?」

「もちろんでございます。『お客様』もすでにお待ちです」

「そうか。ありがとう」


 店員は後ろについていたステラたちにも丁寧に礼をした。さすがというべきか、その態度から驚きや動揺はみじんも読み取れない。


 そんな店員に案内されて、一行は奥へと踏み込む。


 わざわざ貸し切りにしたのだろうか。落ち着いた雰囲気の店内に客の姿はなく、どこかがらんとした印象だ。さりとて無人でも無音でもなく、厨房の方からは食器の澄んだ音や水音が漏れ出ていた。


 狭い階段を上って二階へ行き、少し歩いた先で立ち止まる。店員がこれまた恭しく目の前の扉を開くと、広々とした部屋が現れた。大きな机を囲うようにして長椅子が置かれている。机の中央には銀色の燭台があるものの、それ以外の余計な飾り物はない。


 ――そして、店員の言葉通り、この部屋には先客がいた。


「失礼します。お連れ様をご案内いたしました」

「ありがとうございます」


 店員に対して丁寧に頭を下げた彼女――アデレードは、視線を滑らせて上品にほほ笑む。


「いらっしゃい、アーサー」

「お待たせいたしました、姉上」


 慇懃に答えた皇子は、突っ立っているステラたちを振り返ると、目もとをやわらげた。


「さあ、好きなように座ってくれ」


 四人は、はいともええともつかぬ返事をしてから、おずおずと個室に入った。ステラとシンシアが席順を決めてレクシオとトニーがそれに従う、というやり取りが暗黙のうちに行われる。礼儀作法の勉強をしていてよかった、とステラはこんなときだけ実家の教育に感謝した。


 ステラ、レクシオが机を挟んでシンシア、トニーと向き合い、最奥にアデレードとアーサーが座る。各々が飲み物を、そしてアデレードが軽食を注文すると、店員は一礼して去っていった。


 足音が遠ざかり、完全に消えた頃、アデレードが切り出す。


「突然お呼び立てして申し訳ありません。本日はお越しいただき、ありがとうございます。改めまして、帝国第一皇女、アデレードと申します」


 よく知っています、と誰もが思っただろう。が、それを口に出す人は一人もいなかった。


 ステラたち四人も、それぞれ頭を下げて、簡潔に名乗る。一番最後に名乗ったレクシオを見ると、皇女は青い瞳を見開いた。けれど、それは一瞬のことで、レクシオが怪訝そうに見つめ返しても明確な答えは返ってこなかった。


 その代わり、アデレードは厳かに本題を切り出す。


「今回、あなた方をこちらへお呼びしたのは……お願いしたいことがあるからです」

「お願い、でございますか。それは、どのような?」


 学生四人の間に緊張が走った。すぐさまシンシアが相手の言葉を復唱し、切り返す。アデレードは「ええ」とうなずき、ほんの少し瞼を狭めた。


わたくしたちは、ある人物の正体と思惑を暴きたいと考えております。あなた方には、そのお手伝いをお願いしたいのです」

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