第130話 交わる情報 2
その場の何人かが不思議そうに目を瞬く。しかし、すぐ真剣に考え込む様子を見せた。待ち合わせ場所に関わることだと察したのだろう。
「白鳥、白鳥か……」
「わかりませんね……そちらの方面に行ったことがないですし……」
カーターとミオンが揃ってうめく。どうしてか、顔をしかめて悩む姿がそっくりだ。
少しの沈黙の後、「そういえば」という声がこぼれる。全員の注目がその方向に向いた。声の主――ジャックは顔を上げ、学友たちにきらめく黒瞳を向ける。
「厳密には北東ではないけれど。帝都の東側、高級住宅街の近くに『くつろぎの白鳥亭』という飲食店があるはずだ。父が何度も打ち合わせでお世話になっているよ」
「――それだ」
ステラが前のめりになり、レクシオが指を鳴らす。声を揃えた幼馴染二人を見て、彼らの団長は苦笑した。
「断定するには早いんじゃないかな?」
「いやいや。いかにも密談に使いそうな場所じゃない」
「それに、ほかに『白鳥』の名がついた場所なんてあるか?」
レクシオの問いに、ジャックとシンシアが首を振る。おそらく、この十人の中ではもっとも帝都の北東方面に詳しいであろう二人だ。
その反応を見て「じゃあ決まりだな」とトニーが笑った。――その笑みは、すぐにかすんで真剣なまなざしの奥に隠れる。
「それじゃあさ、こっちの報告もしていいかな」
ナタリーがトニーの方をぱっと振り返り、残る団員たちは不思議そうにしながらもうなずく。ステラは、心の中で続く言葉を想像した。その想像は、大きく外れてはいなかった。
「魔導具部門の見学中にさ、アデレード殿下がいらっしゃったのよ。そんで、トニーに声をかけてきた」
トニーの目配せを受けて、ナタリーが気まずそうに報告する。何人かが驚きの声を上げたが、今度のそれは純粋なものではなく、いくらかの渋みが混じったものであった。
「……どうも臭うな」
「でもさ。なんで帽子くん?」
しかめっ面のオスカーを覆い隠すように、ブライスが立ち上がって飛び跳ねる。無邪気な問いに、トニーは苦笑を返した。
「俺がアデレード殿下と接点持っちゃったからだよ。この間の休みに、たまたま身分の高そうなお姉さんの落とし物を拾って、渡してあげたんだ。そのお姉さんが殿下だった、ってわけ」
「あれ、皇女様だったのか」
意外そうに呟いたのは、レクシオだ。ステラたちはぎょっとして彼を見たが、当のトニーは「そうなのよー」と気の抜けた相槌を打っている。
そこでステラは思い出した。この間の休みといえば、レクシオが壊れた武器を修理に出しにいった頃のはずだ。そこでトニーと一緒になったのだと、納得する。納得すると同時に、薄黒い靄が胸の中を覆った気がした。
「それ、ほんとに偶然?」
「さあ。こうなってくると怪しいな。腕輪を落としたのも、ひょっとしたらわざとだったかもしれない」
言葉の割に、レクシオは平然としている。ステラは無言でかぶりを振った。
第二学習室をまたも微妙な空気が覆う。先ほどまで飛び跳ねていたブライスが唇を引き結んで椅子に座り直すくらいには、居心地が悪い。
重い空気を払うように、トニーが手を叩いた。
「そんで、話を戻すけど。俺に声をかけてきたアデレード殿下が、これを渡して去ってったんだよ」
トニーは制服のポケットを探り、しわだらけの小さな紙を取り出す。折りたたんだそれを丁寧に開き、隣に座っていたジャックに渡した。そこから紙が九人の手に渡っていき、最後にレクシオがトニーへそれを返す。彼は、はあっ、とわざとらしく息を吐いた。
「『指定の場所でお会いしましょう』……ねえ。指定の場所は俺たちから聞けってか」
「そういうことだったんだろうな。さっき謎が解けてよかったよ」
トニーは乾いた笑声を漏らし、ポケットに再び紙を突っ込む。その一瞬、誰もが頭の中で示された日時を思い浮かべていたことだろう。
「十五日のお昼ごろ、『くつろぎの白鳥亭』に……ですか。いったい、なんのお話をされるんでしょう……」
「決まってるじゃん、ミオン。神様絡みのお話だよ」
生真面目に眉を寄せるミオンに対して、ブライスが軽く返す。椅子の上で体を揺すっている彼女をたしなめるように見て、シンシアが息を吐いた。
「まあ、今まで話の流れから考えると、それしかあり得ないでしょうね」
ステラは首肯して、頬をかく。
「となると、あたしは行くしかないよねえ」
「俺もだな」
レクシオがあっさりと挙手する。ステラは弾かれたように振り向いたが、彼に心底不思議そうな顔で見つめ返されると、作り笑いを浮かべた。この幼馴染は、早々に『翼』という立場を受け入れつつあるらしい。そう思うと、安堵と同時にほろ苦いものがこみ上げた。
「ステラたちが行くなら、私らも行くよ」
「も、もちろんです」
「しかたがないな」
ステラの胸中など知る由もない学友たちが、一斉に声を上げる。しかし。
「待った」
張り切る彼らをジャックが制した。右手を挙げた彼は、再び仲間たちを順繰りに見てから、咳払いする。
「『くつろぎの白鳥亭』に行くのはいい。けれど、今回は人数を絞るべきだと、僕は思う」
何人かが、なぜ、と言いたげに首をかしげる。一方で、納得しているのか眉一つ動かさない人もいた。その反応すべてを確認してから、ジャックは言葉を続ける。
「あのあたりは富裕層の人々や高級官僚が行き交う区画だ。そんな中に学生が大人数で出向けば、目立ってしまう」
「確かにな。いくら名門の学生とはいえ、貴族の子弟ばかりじゃない」
旧友の呟きに、ジャックはかたい声を返す。
「その通り。それに、『くつろぎの白鳥亭』は学生が気軽に入れるお店じゃない」
アデレードとアーサーが何の話をしたいかは予想がついている。その話の性質上、目立つのは好ましくない。ジャックの言うことはまったくの正論だ。それに――気にしなければならないのは、周囲の目だけではない。
「両殿下は味方だと思いたいところだけれど、まだ僕たちに接触する目的が見えない。もう少し用心した方がいいだろう。手札を隠しておくという意味でも、最小限――そうだね、三、四人で話し合いに臨むべきだと思うよ」
「でも、アーノルドさん経由で俺らのことは伝わってるんじゃねえの?」
「情報を知っていることと実際に見ることは、まったく別の意味がある。たとえアーノルドさんの口から僕たちのことが伝わっていたとしても、今の段階で手の内を全部見せてはいけない。情報がすべて正しかったのだと確信させてはいけないんだ」
団長の言わんとすることを察したのだろう。トニーが険しい表情でうなずく。
ステラにはそれが見えていなかった。ジャックだけに目を向けて、生唾を飲みこむ。
彼の言葉は力強かった。その強さの奥にいつもと違う、ひりつくような厳しさがにじんでいる。皇族と――この国の政治の中心にいる人々と対峙するというのはそれだけ難しいことなのだと、遠回しに突きつけられているような気がした。
「となると、問題は人選ですよね」
普段よりかたいミオンの声が響く。それで我に返ったステラは、顎を小さく動かした。
「あたしとレクは確定として、あと一人……いや、二人? どうしようか」
「それなら」
手が挙がる。九人の視線を一身に浴びたオスカーが、部員の一人を手で示した。
「『研究部』代表として、シンシアを連れていってくれ」
「わたくしですか?」
指名された少女が、目を丸くして口もとを覆う。
「セルフィラ神族に関係するお話なら、わたくしよりカーターが適任ではありませんの?」
「ラフェイリアス教代表は、すでに『翼』の二人がいる。今回より重要なのは、皇族に危険視されないこと、そして使えると思わせることだ。そういう振る舞いは、カーターよりもおまえの方が得意だろう」
「それは……そうかもしれませんけれど……」
「それに」
オスカーは、渋面になったシンシアからステラたちの方へ目を移す。それからすぐに、話題の一部になっている少年を振り返った。
「カーターを『その面子』の中に放り込むのは気の毒だ」
シンシアは、部長の言葉で目覚めたかのように息をのむ。青白い相貌を二人へ向け、明らかに縮こまっているカーターを見て、嘆息した。
「……オスカーの仰る通りですわ。わかりました。当日はわたくしも同行いたします」
「すみません、シンシアさん」
しょぼくれているカーターを再度振り返り、シンシアはほほ笑む。
「気に病むことはありません。これもまた、適材適所、ということです」
語る少女は凛としていて、その言葉もよどみない。
ステラとレクシオは顔を見合わせたのち、「よろしく」と彼女に頭を下げた。流麗な礼が返ってくる。
これで、三人は決まった。残る問題は、あと一人同行者をつけるかどうか、だ。これに関してはナタリーが意見を述べた。
「私かトニーも一緒に行った方がよくない? 一応、アデレード殿下はこっちに接触してきたわけだし。声をかけたはずの二人がどっちもいないとなったら、おかしいなって思われそう」
「それもそうだね」
ジャックが小首をかしげ、顎に指を引っかける。今さらだが、そうしていると恐ろしく絵になる人だ。トニーが、そんな親友を一瞥したのちに己の顔を指さした。
「それじゃあ、俺が行こうか。殿下の腕輪を拾ったの、俺だし」
「だね。よろしく頼む」
「ほいよ、頼まれた」
軽妙なやり取りで、最後の一人はあっさりと決まる。
『くつろぎの白鳥亭』へ赴くことになった四人は、ジャックの「どうか気をつけて。報告を待っているよ」という言葉に、それぞれ応じたのだった。
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