第129話 交わる情報 1

「――それで、より命令を細分化した構成式を研究しているそうなんです。ほんの少しですけど、資料も見せていただけました」

「そいつはうらやましい。どんな感じだった?」

「今の構成式の三倍は細かかったですね。元素エレメルというだけあって、細かい粒のひとつひとつに働きかけるものですから、しかたがないのでしょうけど。正直、見ていてめまいがしそうでした」

「……ミオンがそう言うなら、実用化はまだ難しそうだな。どんなのがあったんだ?」

「例えば――」


 第二学習室に、楽しげな声が飛び交っている。声の主はミオンとレクシオだ。先日の職場見学について話しているのはわかるのだが、詳細はまったく理解できない。この場合、理解できない方が幸せかもしれない。なので、ステラは二人の雑談を笑顔で聞き流していた。


 魔導の一族二人で盛り上がっていた会話も、やがて一段落つく。それを見計らってか、声が途切れたところで、ジャックがステラの方へ体を向けた。


「宮廷騎士団の見学は、どうだった? 得るものがあったかい?」

「うん。中等部までとは違って実践的なこともあったから、新鮮だった」


 ステラは垂れてきた前髪をかき上げて笑う。ジャックも陽気に瞳をきらめかせて「それはよかった!」と、手を叩いた。


 ――予想外の邂逅の後、職場見学はつつがなく進行した。鍛錬の見学の際には、生徒たちも少しだけ参加させてもらうことができた。宮廷騎士団の鍛錬はえりすぐりの武術科生でも悲鳴を上げるほどの厳しさだったようだ。が、ステラはさほどきついとは感じなかった。実家で祖父や父にしごかれていた頃に比べれば、楽なものだ。そう――実に楽しい鍛錬だった。


「おまえ、なんか教官と意気投合してたよな?」


 レクシオが呆れたような視線を向けてくる。ものいいたげな彼を、ステラも負けじとにらみ返した。


「そう言うレクだって、教官と仲良さそうだったじゃない。なんか褒められた?」

「褒められたっつーか、『根性あるな』って言われた。自分じゃよくわからんけどなあ」


 首をかしげるレクシオに、今度はステラが呆れの目を向ける。幼馴染から視線を外したのち、彼女は目を瞬いた。こちらを見ている『調査団』の面々が、揃って微妙な顔をしていたので。


「ん? みんな、どうしたの?」

「い、いえ……なんでもないです……」

「相変わらずだなあ、お二人さん」


 なんだか青ざめているようにも見えるミオンが、やや引きつった笑みを浮かべる。トニーがかぶりを振っていた。


「イルフォード家の常識は世間の非常識……」


 さらにナタリーなどは何事か呟いている。また何かしでかしただろうか、と眉を寄せたステラを見て、ジャックが底抜けに明るい笑声を立てた。


 第二学習室に形容しがたい空気が漂う。次の瞬間――その空気を吹き飛ばすほどの勢いで、部屋の扉が開かれた。


「やっほー! なんか面白そうな話してるじゃーん!」


 ジャックに負けない明るさをぶちまけて、小柄な少女が飛び込んでくる。『ミステール研究部』の一員、ブライスだ。転がるようにしてステラのそばまで走ってきた彼女は、しかし急停止を余儀なくされる。後ろから制服の襟をつかまれたためだった。


「ブライス、挨拶くらいしなさいな! ……ごきげんよう、皆様」


 ブライスを追いかけてきた少女が、美しい相貌を呆れと怒りで染め上げて彼女をにらむ。それから『調査団』へ向けて優雅に一礼した。ふんわりと波打っている茶髪が、動作に合わせて揺れる。友人、つまりシンシア・ネリウスに叱られたブライスが「こんちわー」と、それに追随した。


 少女たちの様子を見て、トニーがにやりと笑う。


「こっちはこっちでぶれねえなあ」

「こんにちは、二人とも」


 ステラはとりあえず挨拶だけしておいた。このやり取りは、じゃれあいようなものだ。いちいち突っ込んでいてはきりがない。


 シンシアが第二学習室の奥へやってきて、ジャックに改めて声をかける。ブライスは彼女に引きずられる格好になっていたが、ちっとも気にしていなかった。友人の背後から顔を出し、「久しぶり、団長さん!」と笑っている。


 そんな二人から少し遅れて、さらに二人の少年が部屋に入ってきた。


「えっと……こんにちは」

「来たぞ」


 ぺこぺこと頭を下げるカーター・ソフィーリヤと、無愛想な一言を放ったオスカー。ジャックは二人に気づくと顔を輝かせ、椅子から立ち上がった。


「やあ、『研究部』のみんな。来てくれてありがとう! まあ、まずは座ってくれ!」



『調査団』と『研究部』の面々は、幸いにも早めに職場見学を終えることができた。だから、ほかの生徒たちが今なお浮足立っている中で一足先に日常を取り戻した、という具合だ。


 今回、十人が第二学習室に集まったのは、ステラがジャックに招集をかけるようお願いしたからだ。アーサーのこととあの伝言のことは共有しておいた方がいい、と判断したのだった。ナタリーとトニーも「報告したいことがある」と言っていたので、ちょうどよかった。


「ステラさん。話しておきたいこと、というのはなんですの?」


 全員が着席した直後、珍しくシンシアがそう切り出した。深い緑色の瞳が鈍くきらめく。ステラはひとつうなずいた。


「あのね。職場見学のとき、アーサー殿下にお会いしたの」


 前置きなしに、事実のみを伝える。すると、学友たちは一斉に身を乗り出した。


「アーサー殿下って……あのアーサー殿下かい!?」

「信じられませんわ。ほとんど表に出られない方ですのに……」

「まじでー!?」


 詰め寄られたステラは、ひるみつつも首肯した。同時に、彼があの場に現れたことがとんでもない非常事態であることを再認識する。あのジャック・レフェーブルが目を剥いてここまで声を荒らげるなど、そうあることではない。唯一無言を貫いているオスカーですら、遠目にもわかるほど瞠目してこちらを見つめている。この後の反応が怖い。


 肩をすぼめながらも、ステラはレクシオを振り返った。彼はいつも通りの表情でみんなを見ている。


「それで……レクいわく、アーサー殿下がアーノルド捜査官の『上官』らしいの」


 それまで沸き立っていた部屋の空気が、急速に凍りつく。誰もが固まっている中で、オスカーが顔を少し動かして、レクシオをにらんだ。


「確かか? ……というか、なぜレクシオがそれを断言できるんだ」

「あー」


 レクシオは気まずげに頭をかく。


「ほら。学院祭フェスティバル前、俺が憲兵隊に捕まってたことがあっただろ」

「……ああ」

「誰かさんたちのおかげで帰してもらえることになったとき、一度会ってるんだ。アーノルドさんに引き合わせられて」


 えっ、と声を漏らしたのは、誰だっただろう。オスカーでないことは確かだ。彼は、目を見開いて硬直していた。


「あのときはアーサー・オルディアン少佐って名乗ってた。多分、学校に通うときとか仕事をするときとかは、オルディアン姓を名乗るんだろうな」

「……そういえば、今回そんなことを仰ってたわね。憲兵隊特別調査室で働いている、とも」


 ステラが思わず口を開くと、レクシオは、そうそう、とばかりに顎を動かした。本当に言いたいことは別にあったのだが、とりあえず黙っておく。自分が言わなくても誰かが言い出すだろうと確信していたからだ。


 果たして、ステラの予想は的中した。


「ちょちょ、ちょっと待って! その話、初耳なんだけど!?」

「なんでもっと早く言わなかったんだよ!」


 ナタリーとトニーが立ち上がり、レクシオの方へ身を乗り出す。その剣幕たるや、ステラですらひるむほどであった。レクシオも驚いた様子で固まっていたが、部屋にいるほぼ全員からにらみつけられると、気まずげに両手を挙げた。


「ごめん、悪かったって。あのときはめちゃくちゃ混乱してて、それを話すどころじゃなかったんだって。正直、オルディアン少佐と話したことも半分くらい覚えてないし」


 素直に謝った少年の声音は、ひどく不安定だった。心底戸惑っているようだ。それを聞いて当時のことを思い出したのか、非難の視線が少し緩む。肩をすくめたステラの横で、彼は深く息を吐いていた。


「それに、あのときはまだ確信を持ててなかった。皇子様の顔を知らなかったから、同名の別人かもって疑ってたんだ」

「……疑うのも無理はない。アーサー殿下とオルディアン少佐が同一人物だとしても、人前に現れるのは影武者、という可能性もあるからね」

「ああ。でも、本物だろうな。今回の皇子様は、あのときの少佐と同じ人に見えた。あの様子だと、むこうもこっちを覚えてる。俺と少佐とその副官しかいなかった場に偽物を出す意味はないし」

「そうか。それなら今回は、影武者の可能性は低いね」


 神妙なジャックにうなずいたレクシオは、椅子の背もたれにもたれかかる。ようやく肩の力が抜けたようだった。


「それを確かめるために、宮廷騎士団にってわけかあ。やるねえ」

「人聞きが悪いぞ、ブライスさんよ」


 無邪気に笑ったブライスを見やり、レクシオが湿っぽく両目を細める。軽いやり取りから視線を逸らしたステラは、『調査団』の面々を見渡した。


「それについて、あたしからも報告が二つある」


 右手の指を二本立てたステラは、二人の学友に目を留める。


「ひとつ。ナタリー、トニー。レク救出作戦をやってたときに、あたしたちに話しかけてきた人、覚えてる?」

「そりゃあ、もちろん」

「あの怪しい兄さんだろ。忘れようが――」


 答えた二人が、はっと顔を見合わせた。「まさか」と呟いたトニーにうなずいて、ステラは指一本を折り曲げる。


「その人が、アーサー殿下だった」

「うーわー……」


 トニーがうめいて顔を覆った。ステラは構わずもう一本の指を曲げる。


「ふたつ。その殿下から、伝言を受け取った。『明の月アウローラ十五日、太陽が頂に達する前』――待ち合わせの日時なんだと思うけど……」


 ナタリーたちが、ぎょっと目をみはる。ステラはその反応から彼らの「報告」の内容を大方察したが、それを問うことはなかった。彼女が二人に問う前に、別の問いが飛んできたからである。


「ええと……日時のみ、ですか? 場所の指定は?」


 カーターがこわごわと挙手をしていた。彼を振り返ったステラは、少し首をかしげる。


「直接の指定はなかった。まあ、人目があったからね。でも、それっぽいことは言われた」

「それっぽいこと?」

「うん。……で、みんなに聞きたいんだけど……」


 歯切れ悪く言葉を切ったステラは、こめかみを軽くつついて記憶を手繰る。


「帝都の北東に、白鳥ってついてるお店や、白鳥に関わるものがある場所って、ある?」

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