第128話 腕輪のお礼

 研究所、と聞くとお堅い印象があるのだが、国立魔導研究所の研究室は『魔導科』の魔導術実験室とさして変わりがなかった。むしろより雑然としていて、魔導士の卵の心をくすぐってくる。魔導具部門の研究室などは、古い絵本の一場面のようだった。高い棚の中に所狭しと魔導具が並べられていて、ときどき虹色の不思議な輝きを放っている。


 ナタリーは、しばらくその輝きに見入っていた。けれど、研究員の声を聞いてそちらに視線を戻す。先ほどまで途切れていた説明が再開されたようだ。


 つい先ほどまで、この国立魔導研究所で行われている会議を見学していた。魔導具工房から寄せられた魔導具の企画書や運用結果をまとめた報告書の共有、それから、ここ最近確認されている問題への対策を話し合う、というものだった。漏れ出るように聞こえてくる会議の内容は、理解できる部分もできない部分もあった。あの張り詰めた空気感は、正直なところ好きではない。ここは合わないかもしれないな、などと、ナタリーは会議を見ながらぼんやり考えていた。


 そして、今は最初に通された研究室へ戻ってきたところだ。案内役を務めている研究員が、何やら大きな紙を持ってきた。すでに魔導具のことを学んでいる魔導科生たちはすぐさま紙の正体に気づいて、目を輝かせる。――魔導具の設計図だ。


 ナタリーの興味も魔導具の輝きからその設計図に移った。子どものようにはしゃぐ同級生たちに混じって、部屋の真ん中にある机のそばへ寄る。たまたまトニーと隣り合い、悪童のような笑みを交わした。


「魔導通信機の試作第一号だって」

「この間新聞に載ってたやつか」

「すげえ!」


 わいわい騒ぎながら設計図ににじり寄っていく同級生たち。その波に負けじと、ナタリーとトニーも身を乗り出していた。


 確かに、人垣の隙間から見える図面は既視感のあるものだ。筐体の設計図だけではなく、構成式の案なども書き連ねてあるらしい。そして、紙の端にはどこかの工房の名前が記されていた。ナタリーたちのところからだと、細かいところまでは見えない。


「へえ。実際の設計図ってこんな感じなんだ」

「きれいなもんだなあ。さすが本職」

「そりゃあねえ」


 ナタリーとトニーは、低い声でささやきあう。


「はいはい、見終えた人は後ろに下がってください」


 引率の先生が声を上げた。それに呼応して、人の波がぐうっと動き出す。ナタリーとトニーは慌ててその波に乗った。


 何度かそうして前に出たり後ろに下がったりして、設計図を見る。じっくりながめる余裕はなかったが、現在開発が進んでいる通信機というのがいかに精密な機械であるかを感覚的に知るには、十分だった。


 全員が一応設計図を見終えたのを確認して、案内役の研究員が紙を丸める。そのとき、部屋の外がにわかに騒がしくなった。


 怪訝そうに顔を見合わせる少年少女の中で、ナタリーも首をひねる。


「なんだろ?」

「なんだろうな。雰囲気からして、偉い人が来たような感じだけど」


 独り言のつもりだった言葉に、隣から答えが返る。トニーが耳をそばだてていた。なんとなく耳がいいのは知っていたが、これだけの音からそこまでわかるとは。学友に感心しつつも、ナタリーは目を細める。


 ――なんだか、嫌な予感がした。


「では、次の部屋に行きましょうか」


 研究員も訝しげにしていたが、彼はすぐに切り替えてクレメンツ帝国学院の面々を振り返る。元気の良い応答を合図に、研究室の扉を開いた。


 外に出た瞬間、研究員がその場で凍りつく。


「こんにちは。そういえば、今日はクレメンツ帝国学院の職場見学だそうですね」


 聞き覚えのない女性の声がする。ナタリーは、好奇心に駆られて首を伸ばした。だから、トニーが顔をこわばらせていることに気づかなかった。


 少し背伸びして、研究員のむこう側をのぞく。立ち姿が美しい、不思議な女性がそこにいた。ゆるやかに波打った金髪を丁寧にまとめ、白衣を身にまとっている。穏やかに細められた瞼のむこうに見えるのは、快晴の空を思わせる青い瞳だ。


 どこかで見たことがあるような気がする。ナタリーがしかめっ面で記憶を辿っている間に、研究員が慌ててお辞儀をした。


「アデレード殿下! たいへん失礼いたしました」

「いいえ、どうか謝らないでください。大切なお仕事の邪魔をしてしまったのはわたくしの方ですから」

「とんでもございません。そのような……」


 悲鳴にも似たざわめきが、二人のやり取りを覆い隠す。ナタリーもいつかの新聞で見た彼女の絵を思い出して、目をみはった。すぐさまトニーを振り返る。


「ちょ、ちょっとトニー! アデレード殿下だって! こんなところで第一皇女様と遭遇するなんて……」


 ナタリーは、トニーの顔を見て口をつぐむ。彼は、目と口を中途半端に開いて固まっている。皇女の登場に驚いているだけには見えない。


 ナタリーは、全身を満たしていた興奮が急速に冷めていくのを感じた。


「……トニー? どしたの」

「…………ああ、いや、ごめん」


 トニーはと息をのむと、茶髪を乱暴にかく。


「まさか皇女殿下だったとは。気づかなかった。俺、新聞も雑誌も全然見ないからなあ」

「はあ?」


 眉をひそめたナタリーをよそに、トニーは「反省反省」などと呟いている。ナタリーが彼の反応に戸惑っているうちに周囲のざわめきが収まってきて、皇女と研究員のやり取りが聞こえた。


「本日はどのようなご用件で?」

「研究中の魔導具について、いくつか確認したいことがありまして……少しだけ、第三作業室にお邪魔しようかと。部門長の許可はいただいておりますので、ご安心ください」


 第三作業室の名を聞いて、周囲がまたざわついた。その部屋は、これから自分たちが行く部屋――の、隣の部屋だからだ。アデレードも研究員の口からそれを聞かされて、驚いた様子であった。しかし、すぐに楽しそうな笑声を立てる。


「それでは、帰る前に少しだけ、学生の皆様とお話ししてもよろしいでしょうか」


 そのときナタリーたちは、引率の先生がよろめきながらうなずいているのを見た。



 アデレード殿下は魔導士ではない。だが、魔導術の研究に積極的に関わっている。この国立魔導研究所は資金の一部を国からもらっているのだが、現在資金援助に関する事務や決定を行っているのも彼女なのだ。


 ナタリーもトニーも、ほかの生徒たちも魔導科生としてその程度は知っていた。が、実際にアデレードの話を聴いて、その知識の深さと広さに驚かされた。魔導理論を理解しているだけではない。研究員と対等に話ができるまでに、自身の中に落とし込んでいるのだ。さらには、新理論として広まりつつある魔元素マグノ・エレメル理論の議論や研究にも参加しているという。


 彼女の話を、驚きと憧憬を持って聴いた魔導科生たちは、そのままアデレードを見送ろうとしていた。ナタリーたちもその一部である。だから、去り際にアデレードが自分たちの方を見たとき、ナタリーは飛び上がりそうになった。体より先に飛び上がった心臓の音を聞きつつ、皇女の微笑を見つめ返す。


「あら、あなたは……」


 アデレードは小首をかしげ、歩み寄ってくる。ナタリーの方に、ではない。彼女が見ていたのは、隣にいる学友だ。トニーは、いつもより白い顔を皇女に向ける。


「やはり、あのときの。クレメンツ帝国学院の学生さんだったのですね」

「あ……ええ、はい。一応」

「先日はありがとうございました。あの腕輪は大切なものですのに、あなたに声をかけていただかなければ、そのまま失くしてしまうところでした」


 アデレードは流れるように礼をする。トニーも、どぎまぎとお辞儀をした。互いが顔を上げたところで、ナタリーは慌てて彼の袖を引く。


「トニー、どういうこと? 殿下といつ知り合ったの?」

「知り合ったってほどじゃねえよ。たまたま落とし物を拾って、たまたま落とし主が殿下だったの」


 トニーは「わけがわからない」と書かれた顔をナタリーの方へ向け、忙しなく首を振る。嘘を言っているふうではない。そもそもトニーはこんなことで嘘はつかない。ナタリーは唖然として、袖から手を離した。


「あのとき一緒にいらっしゃった方は、ご友人ですか? 今日もいらっしゃるのかしら」

「えと、はい。友人です。学科が違うんで、今日はいませんけど……」

「そうなのですね。学科を超えて仲良くなれるというのは、素敵なことです」


 す、と手袋に覆われた手が差し出される。皇女の柳眉が孤を描いた。


「大したお礼はできませんけれど、感謝だけは伝えたかったのです。今日、こうしてお会いできてよかった」

「とんでもない。お言葉を頂けただけでも、光栄なことです」


 トニーもぎこちなく己の手を差し出した。静かな握手の後、アデレードはまた一礼して、今度こそ彼らに背を向ける。すぐさま左右についた護衛の二人に、何事か話しかけているようだった。その姿もどんどん小さくなり、やがては完全に見えなくなる。


 短い沈黙の後、学生たちがどっと沸いた。こぞってトニーの方に駆け寄ってくる。


「す、すごいよ! 皇女殿下に声をかけられるなんて!」

「何したの!?」

「いいなあ。僕も直接お言葉を頂きたかった」


 などなど、同級生たちは好き勝手に言葉を投げつけてきた。トニーはおろおろと彼らを見回し、適当な返事をしているようである。ほどなく先生が割って入り、騒ぎはいったん収まった。


 制服の群れの中から抜け出してきたトニーは、よれた襟元を直している。ナタリーはその肩を軽く叩き、ついでに乱れている茶髪を少しなでた。


「お疲れ様」

「どうも。この短時間でどっと疲れたわ、ほんと……」


 ぼやきながら彼女を振り返ったトニーが、ふいに表情を引き締める。


「ナタリー」

「ん?」

「これ。殿下から」


 言うなりトニーは右手を振った。いつから持っていたのか、二つ折りの小さな紙がひらりと開く。白い紙の表面には、流麗な文字で短文が綴られていた。ナタリーは、顔を近づけて黙読する。


明の月アウローラ十五日、太陽が頂に達する前、指定の場所でお会いしましょう』


 そして、眉間にしわを寄せた。

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