第68話 クレメンツ・フェスティバル 2

 小さな騒動を積み重ねながらも、学院祭フェスティバル一日目は無事に終わった。


 ステラたちは、自分たちの催し物にかかりきりだった。もちろん、他の舞台などを見に行く時間がまったくなかったわけではないが、それでも言いようのない疲労感がある。後片付けを始めてから建物を出るまで、計十五回ほどのため息をこぼす程度には疲れていた。


 それでも門前までやってきたステラは、一緒に来てくれた友人たちを振り返る。


「ありがとね、ミオン、トニー。今日はお疲れ様」

「は、はい!」

「お疲れ」


 ミオンは顔を輝かせてうなずき、トニーは力強く腕を立てる。帽子の陰で、猫目がちかりと光った。


「ステラもだけど、レクもちゃんと休めよ」

「おう」


 釘を刺すように言われて、ステラの隣にいる少年が肩をすくめた。レクシオは、まだ孤児院からの通学だ。まだまだ悪夢に悩まされたり、人の中で体調を崩したりすることが多い。こればかりは時間をかけて少しずつ癒していくしかないのだろう。


 寮の方へ向かう二人を見送って、ステラとレクシオも学院を出る。その直前、レクシオが少しだけ警備員の男性をじっと見つめていたが、その意味は教えてくれなかった。


「いんや、今日は寒いのに大変だな、と思っただけ」


 そう笑ったのみである。ステラには、彼がなにかをはぐらかしたことがわかったものの、彼自身にかかわる重要なことではなさそうだというのも、なんとなく察した。だから、追及しようとは思わない。人には色々事情があるものだ――あの警備員の男性にも、きっと。



 クレメンツ・フェスティバル二日目。ステラはこの日、特に仕事がない。昨日とは打って変わって、暇なのだった。最初のうちは一人で適当に歩き回っていたのだが、途中で声をかけられた。


「やあ、ステラ! 一人かい?」


 底抜けに明るい声は、誰のものかすぐにわかる。ステラはちょっと苦笑して振り返った。


「ジャックもおひとり?」

「そうだね。今ちょうど、休憩をもらったんだ」


 ジャック・レフェーブルは人の波をさらりとかわす。ステラの元まで歩いてくると、笑いかけた。相変わらず、優雅な所作と陽気な表情が妙に調和している人だ。


「『魔導科』の展示は見たかい? もしまだで興味があるなら、案内するよ」

「これから行こうとは思ってたけど、いいの? ジャックも行きたいところがあるんじゃ……」


 団長の提案に、ステラは少し躊躇した。しかし、当の団長は持ち前の明るさで彼女の憂いを吹き飛ばす。


「問題ないよ! 僕の用事は急がないからね。今から行くかい?」


 ステラは思わず吹き出した。まったく、この人には敵わない。心の中では肩をすくめつつ、表では片目をつぶった。


「そうね。じゃあ、案内をお願いしていいかな、団長」

「任された! それじゃあ出発しよう!」


 観光地の案内人さながらの声色と手振りで応じたジャックは、優雅に身をひるがえす。ステラも足を弾ませて、その後を追った。


 階段をのぼり、そこから少し歩いて、また上の階へ行く。そうすると、高等部魔導科の棟へ行きついた。構造は『武術科』のそれとまったく同じはずなのだが、なぜかステラは異国に来たような気持ちになる。それは何も、今に限った話ではない。魔導士の卵たちは、自分たちとはまとう空気が少し違うような気がするのだ。


 今日は、ことさら異国感が強かった。廊下じゅうに魔導具が並べられているからだろう。壁伝いに列をなす長机を、案内人のジャックが一つひとつ手で示す。


「ここが生活に関わる魔導具。向こう一列は、どちらかというと美術品寄りだね。いずれも試作品だけど、実際に動かせるものもある」

「本当? 触っていいの?」

「展示品の前に黄色い紙が置かれたものは自由に触れるものだよ。ステラもやってみるかい?」


 ジャックの問いに、ステラは迷いなくうなずく。大人びた少年は直後、くすりと笑った。おそらく自分は相当子どもっぽい顔をしていたんだろう――とステラは思ったが、ジャックの前ならさほど恥ずかしくはない。「どれが気になる?」と訊かれると、うきうきして長机を見渡した。そして、ひとつに目をとめる。


 宝石みたいな魔導具だった。鈍色の台座に、透明な石が埋まっている。円の上に筒が少し生えたみたいな形の台座には、ステラの指三本分くらいのつまみがついていた。石は光が当たると虹色の光の粒を浮かび上がらせていて、それを見ているだけでもきれいだった。


「これ、なんなの? すっごいきらきらしてるけど」

「さすがステラ、お目が高い。試作品の中でも特に上手くできてるものだよ」


 ステラが石をのぞきこんでいると、後ろからジャックが顔を出した。彼は、台座についているつまみをつつく。


「このつまみを右に回してごらん」


 ステラは、言われたとおりにする。同時に魔力がふわふわと熱を帯びて動くのを感じた。石の中心に光が灯り、つまみを回すごとにそれは大きく、強くなる。

 ステラは目を見開いた。


「すごい、行燈ランプだ!」

「あたり。使う構成式は比較的単純だけど、使い勝手のいい魔導具だよね」


 歓声を上げたステラの横で、ジャックもにこにこしている。ステラが輝かせた瞳をそのまま横に向けると、彼は得意げに胸を張って言葉を続けた。


「もう少し構成式を工夫すると、光の色を変えたり、動かしたりすることもできそうなんだ。そっちの試作品も別の机にあるよ」

「へえ~! 見たい!」


 ステラは無邪気に声を弾ませる。案内してくれようとしたのか、ジャックが口を開きかけたとき――そばで楽しげな悲鳴が弾けた。驚いて振り返ったステラの横で、ジャックは平然としてうなずいている。


「ああ、放水機かな」

「え? 放水? 水出るの?」


 ステラはやや裏返った声でジャックに問う。そんなものを屋内で使って大丈夫なのか、と目で問うた彼女に、ジャックは片目をつぶってみせた。


「見にいってみるかい。楽しいよ!」


 今にも踊り出しそうなジャックに釣られて、ステラはうなずく。廊下の先の広間に小走りで向かう。


 広間にはちょっとした人だかりができていた。上部に穴のあいた四角い物体から水が噴き出していて、そのまわりにいる少女たちが歓声を上げている。彼女たちのまわりには金色の膜が張られていた。防壁魔導術で、水がよそへ飛び散るのを防いでいるらしい。


 ステラはその様子に嘆息した。


「おお~。こりゃまた派手な。何に使うの」

「そうだね。噴水の代わりとか、後はお風呂とかにも設置出来たらいいよね」

「なるほど……」


 腕を組んだステラは、なんとなく既視感をおぼえて視線をずらす。見たことのある顔ぶれが、防壁のそばに集まっていた。ステラは顔を輝かせて、手を振った。


「レク、ナタリー! シンシアも!」


 ステラの声掛けに、少年一人と少女二人が振り返る。友人と幼馴染はひらひらと手を振り返してきて、シンシアは優雅に一礼する。ステラとジャックがそちらへ駆け寄ったとき、レクシオが考え深げに放水機を見上げた。


「いやあ、魔導具っておもしろいもんだな。動作そのものもだけど、構成式の組み方も普通に術使うのとはちと違う」


 呟きながら、レクシオは防壁のむこう側を矯めつ眇めつながめている。その横で、ナタリーが珍しく自分からシンシアに話しかける。


「ところでシンシア、あの魔導具の上からつるせるやつを作るって話さ、どこまで進んだの?」

「今の段階では難しそう、ということでしたわ。そもそもあれは重すぎますから、まずは軽量化を考えないと……」


 その後、二人の間では何やら難しげな会話が繰り広げられる。専門用語の数々が、ステラの右耳から左耳へと通り抜けていった。それにしても、ただの議論をしているだけでも口喧嘩のような声色になるこの二人はなんなのか。険悪なようにも、なんやかんやで仲がよさそうにも見えるから不思議だ。


 頭を突き合わせている雌獅子たちを一瞥したレクシオが、ちらりと笑みをのぞかせる。


「進路とか将来とか何も考えてなかったけど、魔導具開発の道に進むってのも楽しそうだ」

「おっ、いいね。魔導の一族が作る魔導具って、なんかすごそう」

「エルデさんが参入してきたら、技師志望のみなさんは悲鳴を上げそうですわね……」


 ナタリーが楽しげに身を乗り出す一方、口論を中断したシンシアがぼそりと呟く。それぞれの反応を見た三人の間から笑い声が沸き起こった。



 その後、ステラとレクシオは魔導士の卵たちと別れて、学院の外へ出た。二人がお互いと行動することに決めた理由は、特になかった。気づいたらそうなっていた、という具合である。


 クレメンツ・フェスティバルの日は、学院周辺の通りも祭りらしい空気に染まる。街の住人と学生たちとが混じって店を開くのだった。出店でみせのある範囲までなら外出することが許されているので、学院前の通りは学生服で埋め尽くされている。


 いつもより熱のこもった喧騒の中を、ステラとレクシオは並んで歩く。取り立てて特別な会話はしない。色紙で作られた飾りが風になびくのを見て顔をほころばせたり、途中で魚の揚げ物を買って食べたりした。


 平穏そのものの時間。その途中、レクシオが唐突に足を止める。ぶつかりそうになったステラが慌てて立ち止まると、彼はそんな彼女の横を指さした。


「あの店、ステラ好きそうじゃねえ?」


 その言葉に誘われて、ステラは自分の横を顧みる。山吹色の屋根を立てた露店があった。やる気のなさそうな壮年の男性が店主のようで、彼の後ろには年季の入った武器や盾がいくつか置いてある。それを視界に入れた瞬間、少女は頬を紅潮させた。


「わー! 何あそこ! すごい!」

「あーあ。そういう反応すると思ったよ。にだけは気をつけろよー」

「わかってるー!」


 あきれ顔の幼馴染を振り返りもせず、ステラはその露店に駆け込む。「見ていっていいですか?」と店主に尋ねると、彼は少し頬をひきつらせて「いいよ」と答えた。


 武器の山の前にしゃがみこんだステラは、その一つひとつに見入った。どれも古いが、きちんと手入れされていてまだまだ使えそうだ。複雑な紋章が柄に刻まれた剣や、宝石が埋め込まれた槍など、いかにも価値ありげな雰囲気を漂わせるものも多い。そんな中、ステラの目をひいたのは、華美なものでも実用性の高いものでもなかった。いかにも古そうな二振りの細剣さいけん。正確には、その柄だった。存外きれいな柄にはなにかが刻みこまれている。一瞬、模様かとも思ったが、よく見ればそれは文字だった。


「なんて書いてあるんだろ、これ。古代文字……?」


 ステラはひとりごちて、ぐっと顔を近づける。どんなによく見ても、知らない文字であることに代わりはなかった。全く読めない――はずだったが。


『古い誓約に従い、あなたに忠誠を誓う。あなたの手となり足となり刃となり、この身を捧げよう』

『古き誓約に従い、あなたと契りをかわす。あなたを一生の従者とみなし、共に歩み、共に戦おう』


 なぜか、ステラにはその文字が読めた。正確には、内容が頭の中に流れ込んでくるような感覚があった。


 息をのむ。思わず、勢いよく顔を離した。言いようのない緊張感が全身を駆け巡る。


「――気になるのかい?」


 今のはなんだったのかとステラが考え込んでいると、背後からけだるそうな声がかかる。ステラが飛び上がって振り向くと、無精ひげを生やした店主が、わずかに首をかしげていた。ステラが返答に窮していると、彼は急に何かを納得したような風情でうなずく。


「気になるなら持っていけばいい」

 彼は突然そう言って、虫を追い払うかのごとく手を振る。ステラは、目を白黒させた。


「え、でも、お金が」

「いらないよ。もってけ泥棒」

「お金がない……って、え?」


 ステラは素っ頓狂な声を上げる。己の耳を本気で疑った。だが、不思議そうにしていたのは彼女だけではない。追いついていたレクシオまでが、胡乱な目をやる気のない店主に向けていた。彼は面倒くさいといわんばかりに、ぼさぼさの黒髪をかく。一度、確かめるように周囲の喧騒に耳を傾け、それがいつもと変わらないものと知ると口を開いた。


「これはな。つい二日前に、見知らぬおっさんに押しつけられた剣なんだよ。そのおっさんはこう言ってた。『この剣を決して売ってはならん。ただしこの剣に、この柄に惹かれる者があれば無料ただでくれてやれ。そいつにはこれを持つ資格がある』――ってな」


 彼は一方的に言い終えると二本を持ちあげ、ステラに手渡す。いささか強引だった。持った剣は意外にも重く、ステラは軽く後ろによろめく。その様子を無感動にながめていた店主が、思い出したように言葉を足した。


「あと、そのおっさん、その『資格がある』奴にこう伝えてくれって言ってたな。――『二つの剣は、時が来れば真の姿を取り戻すだろう』」


 時が来れば、真の姿、取り戻す。


 妙に引っかかる言葉を聞いた学生二人は、目を見開いた。彼の言う「謎のおっさん」にはまったく見当がつかない。だが、その人物がなにに関わっている存在なのかを、おぼろげながら察したのだ。


 ステラは二振りの剣を見下ろす。腕にかかる重みを確かめると、ひとつうなずいて、店主を見た。


「――そ、それじゃあ、本当に持っていきますよ? 後から代金請求とかされても困りますからね」


 彼女が念を押すと、男性は鼻を鳴らす。


「そんなこすい手使わねえよ。持ってけ」


 やはりだるそうな声でそう言って、彼は学生たちから視線を外した。



「思わぬ収穫だったな」


 レクシオが呟いたのは、その奇妙な邂逅から五分と経たない頃だった。うん、と生返事をしたステラは改めて細剣を見つめる。


 文字が刻まれた柄と、恐らく鋭利な刃を収めているだろう鞘。使われなくなって久しいであろう様をながめていると、その裏にある別の姿が見えてくるような気がしていた。


 自分にだけわかる姿を目に映しながら、彼女は顔を上げる。幼馴染の横顔を瞳に映し、細く息を吸った。


「レク、これ」


 呼びかけると、レクシオは怪訝そうに振り返る。ステラは彼に、二本の剣を押し付けた。


「はっ?」

「これは、レクが持ってて」


 ステラは真剣そのもののまなざしをレクシオに向ける。そのレクシオは、かすかな戸惑いを漂わせつつも、いつもの調子で問うてきた。緑の瞳が怪しく光る。


「なんでまた」

「その方がいい気がしたから」


 ステラは自然と笑っていた。


 答えには胸を張れる根拠も、確かな理由もない。ただ、その方がいい、と彼女自身の心がささやくのだ。ステラにとってそれは、十分な理由であった。


 レクシオは、肩をすくめる。怪しい光はなりを潜め、毒気を抜かれたように口もとが笑んでいた。


「なんだそりゃ」


 力の抜けた声で呟いた彼は、しかしステラの方に手を伸ばす。右手で剣の柄部分を、左手で鞘の部分を支えて持つと、慎重に自分の方へ引き寄せた。


 彼は二振りの剣をしっかりと抱えると、ステラに向かって白い歯を見せる。


「りょーかいしたよ。俺が持っておく」


 屈託のない言葉を聞いて、ステラも相好を崩した。


「ありがと。お守りだと思って持っといて」

「お、そりゃいいな。理不尽な軍人が来ても追い返せるように、ってか」

「そーゆーこと」


 ステラが軽く肩を小突くと、レクシオは声を立てて笑う。


 並んで歩く二人の上を、どこからか響いた笛の音が通り過ぎていった。あちらこちらで笑い声が弾け、けれどそれもすぐに空気の中へ溶けてゆく。少年と少女は、心地よい沈黙に身をゆだねている。


 こんな時間がいつまでも続けばいい。そう願いながらも、少女はそれを口には出さない。ただ静かに、けれど強い意志をもって、大切な人の隣にい続ける。


 祭が終わりつつあることを知らせるかのように、学び舎の方で花火の音が弾けた。

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