第67話 クレメンツ・フェスティバル 1

 その後も、いくらかレクシオから話を聞いた。事情聴取中のこと、特別調査室の人々が来たときのこと。そして、ステラたちもレクシオがいない間のことを話した。シャルロッテのことや、著名活動のこと、ジャックたちが出会った神族のこと――。


「なんと、まあ。神様は暇なのかね?」


 ギーメルとダレットのことを知ったレクシオは、いつかのトニーとまったく同じ感想を漏らした。だが、彼はわずかに視線を鋭くして、こうも付け加える。


「でも、親父は連中と敵対してるみたいだからなあ。目のかたきにされてもしゃーないか」

「そうなのかい?」


 率直な驚きを表したのは、ジャックだった。腰を浮かせた彼を見て、レクシオは平然とうなずく。


「確かに、面識があるようなことは言っていたけれど……」

「俺も具体的に何をやらかしたのかは知らないぞ。ただ、よく思われてないのは確かだな」


 二人の会話を聞きながら、ステラはふと遠い記憶を拾い上げる。


 黄の月フラーウス、初めて教会を訪ねた日。ギーメルは、現れたレクシオをにらんで、「あいつに似ている」というようなことを呟いていた。彼の言葉がヴィントの存在を暗示していたのだろうか。


 考え込むステラをよそに、レクシオはどことなくほっとしたような表情で第二学習室を見渡した。


「でも、これで全員が『銀の選定』と神話のことを知ったってことか。喜べることばっかりじゃないけど、味方が増えたのは嬉しいね」

「うちにはカーターもいるしな」


 珍しく、オスカーが冗談じみたことを言う。話題に上げられたカーターは、気の毒なほどにひっくり返った声を上げて飛び上がった。


「ぼ、ぼくは何もできないですよ!」

「いや、神様に詳しいってだけでもありがたいもんよ。頼りにしてるぜ」

「え、ええ?」


 レクシオが部長の冗談に乗ったものだから、カーターはさらに驚いてしまったらしい。顔じゅうを震わせる彼のまわりで、温かい笑声が起こった。



 十人の少年少女が解散する頃には、太陽は地平線にかかりはじめていた。暗くなる前に帰らなければならないが、レクシオはその前に、テイラー先生と少しだけ話をするらしい。よってステラは、彼の用事が終わるまで学院の門前で待機することになった。


「やっほう、ステラ。レク待ち?」


 鞄をぶら下げて立っていた彼女に声をかけてきたのは、ナタリーだった。まわりには誰もいない。彼女もこれから帰宅するのだろう。ステラは、友人に手をあげて答える。


「うん。レクは先生となにか話すみたい」

「そっかあ。今日が初日だし、色々あったしね」


 ナタリーはさりげない足取りで近づいてくると、ステラのすぐ隣で足を止めた。夕方の光でやや赤く染まった瞳で、ステラのことをのぞきこんでくる。その中にひとかけら、真剣な光を見て取って、ステラはわずかに首をかしげた。


「ね、ちゃんと話できた?」


 ナタリーの唐突な質問が、いつかの帰り道に話したことの延長だということは、すぐにわかった。だからステラは、強くうなずく。


「いつもよりは話せたよ。――伝えたいことは、ちゃんと言ったつもり」

「ふうん。ならよかった」

「……レクがあんなふうに自分のことを話すの、初めて見た」


 昨夜あったことは誰にも話していない。話すつもりもない。ステラはだから、それだけを口にした。十数年、抱え続けた不安と恐怖を吐き出した、その声を思い出しながら。


 ナタリーは、すべてを知らないながらも、なにかを感じ取ったらしい。少し神妙な面持ちで、けれど安心したように、空を仰いだ。


「そっか。あいつも、ちゃんと話してくれたか」

「うん」


 ナタリーは、空に向けていた顔をステラの方に戻す。なぜかステラには、彼女が泣いているように見えた。


「ねえ、ステラ。あんた、何もできなかったって思ってたみたいだけどさ。私らから言わせれば、そんなことはないんだよ。ステラがそばにいるだけで、元気になれる人もいるんだ。きっと、レクもそうだったんじゃないかな」

「……え?」

「私も、最初は、あのイルフォード家のご令嬢ってどんなもんだろうって身構えてた。けど、あんたと話したり、一緒に帰ったり、遊んだりしているうちに、そんなことはどーでもよくなったよ。あんたがあんまり無邪気に笑うからさ、見てるこっちも勝手に前向きになってくるんだ」


 それは、今まで一度も聞いたことのない話だった。周囲から敬遠されていた初等部のステラに、あまりにも自然に声をかけてきた少女が、そんなことを考えていたなんて。


 唖然としているステラに、ナタリーは遊びを思い付いた子どもみたいな表情を向ける。


「ステラは何かしようって気張らなくていいんじゃないかな。堂々と、自然体でいればいい。私はそう思う」


 ステラは、ぎゅっと唇を結んだ。


 レクシオも、似たようなことを思っていたのだろうか。

 彼になにかを与えることができていたのだろうか。


 そうだったらいいと、思ってしまう。


 自分が自分でいるだけで、大事な人を救えるのなら。友の言う通り、胸を張っていたい。


 だからステラは、ナタリーの顔をまっすぐに見据え、どこまでも単純な感謝を伝える。


「……ありがとう、ナタリー」


――夕日がひときわ強く光って、二人の影を深く濃くした。



     ※



 仲間の帰還に胸をなでおろした数日後。ついに、学院祭フェスティバルの当日がやってきた。


 学院祭フェスティバル――正式名称クレメンツ・フェスティバルは、二日間に渡って行われる盛大なお祭りだ。一日目は舞台発表と芸術系の展示、二日目はその他の展示と出店が中心となる。『武術科』の武術教室も『魔導科』の展示発表も両日行われるが、ステラたちの出番は一日目に集中する見込みだった。


 祭りの始まりを告げる式典は、毎年奇妙な高揚感に包まれる。ステラが高等部に上がってからは、これが初めての学院祭フェスティバルとなるが、独特の空気感は去年とさほど変わりなかった。


「それでは、これより第百三十一回クレメンツ・フェスティバルを開催いたします」


 祭の実行委員を務める先輩の言葉で、式典が締めくくられる。同時に、建物の外で数発の花火が打ちあがった。拍手と歓声に包まれる武道場で、ステラはちょっとほほ笑んだ。


 ただ、感慨にひたっている暇は与えられない。生徒たちが動き出すと同時に、ステラはすばやく『武術科』のある棟へと向かわなければならなかった。今日、武術教室を担当する人は、生徒の波の中でもすぐにわかる。彼らは、軍人さながらに機敏かつ統率のとれた動きをしているからだ。ステラは、波の中に見知った顔を見つける。人垣から抜け出した後、すぐさまそちらへ駆け寄った。


「レク!」


 手を挙げて、呼ぶ。ステラの幼馴染は、振り返ると嬉しそうに目を細めた。すでに少し疲労のにじんだ顔は、それでも彼らしく明るかった。


「おう、ステラ。行くか」

「うん!」


 幼馴染の言葉に、ステラは右上で結んだ髪を揺らしてうなずく。彼の手を取ると、すぐに駆け出した。


 教室に向かう途中、ミオンやブライス、オスカーとも合流する。五人で剣術専攻の教室にたどり着くと、すでに二、三人の生徒がいた。シャルロッテの姿もある。


 専攻の違うオスカーと一度別れ、武術教室の最後の打ち合わせをした。今回、思わぬ出来事によってあまり準備に参加できなかったレクシオは、裏方に回ることになっていた。ミオンもミオンで、せっかく魔導術が使えるなら、と事故防止のための防壁を張るという役目を仰せつかったようだ。ステラたちが自分たちのやることを確認している間に、彼女は教室じゅうを動き回って防壁を展開していた。


「それ、ずっと維持するの大変なんじゃない? 大丈夫?」


 ひととおり作業が終わったらしい少女に、ステラは率直な疑問と憂いをぶつける。しかし、ミオンは笑顔でかぶりを振った。


「このくらいなら大丈夫です。魔力は有り余ってるので」

「そ、そっか……」


 ステラは頬をひきつらせた。さすが魔導の一族、といったところか。並みの魔導士やそうでない人とは、感覚が違うらしかった。


「そこまできっぱり言われると、いっそすがすがしいねえ」


 笑うしかないステラの横で、ブライス・コナーが屈伸運動をしながら呟いた。



 そうこうしているうちに、武術教室が始まる時間となる。まずは、事前に募った受講希望者が、ちらほらと顔を出した。受講希望者はほとんどが外の人だ。まだ幼い少年から壮年の男性までさまざまだが、彼らは見慣れない学び舎に目を輝かせている。


「お客様」に満点の笑顔で挨拶をした男子生徒が、彼らを一か所に集める。それから、シャルロッテが理路整然と今回の教室の説明を行った。


 剣術に関しては、受講者と教える側の生徒が一対一で向かい合う形だ。まずは簡単に剣を打ち合わせてみる。それから、受講者の改善点を生徒が一つひとつ教えていく。


 ステラはシャルロッテが説明を行っている間、無言で決められた位置についていた。横を見ると、かなり離れたところに男子生徒が一人立っている。彼はすでに練習用の剣をにぎっていて、気合十分だった。


「それでは、まず、受付番号一番と二番の方、こちらへどうぞ」

 シャルロッテがはきはきと受講者を案内する。


 ステラの前に連れてこられたのは、八歳か九歳くらいの少年だった。とてとてと歩いてくるその子を見て、ステラは瞠目した。


 帝都のあたりではあまり見かけない顔だちの子だ。顔だけでなく、髪色も少々不思議で、光の当たり方によって銀色にも淡い金色にも見える。宵の空のような青瞳が、じっとステラを見上げる。


 つかのまの驚愕から立ち直ったステラは、少年に向かって礼をする。


「初めまして。ステラ・イルフォードです。今日はよろしくね」

「あ……せ、セシル・ウィージアです。よろしくお願いします」


 セシルと名乗った少年は、一生懸命にお辞儀をした。その様子を見てステラは内心頬を緩めていたが、表面上はまじめな剣士を装って、かたわらに立てかけてある練習用の剣を示した。


「それじゃあ、まずは剣を構えるところから始めてみましょう。ちゃんと教えるし、危ないときは支えるから、安心してね」

「は、はい」


 少年は緊張の面持ちでうなずいて、小さな手を柄に伸ばす。その様子を見守りながら、ステラは右手で握った剣を軽やかに振った。


 そうしている間にも、教室内は陽気なざわめきに包まれる。『武術科』の催し物はにぎやかに始まった。


 ステラが担当したセシル少年は、筋がよかった。構え方も剣の基本動作も大きな問題はなく、ステラが教えたこともするすると吸収した。


 実戦により近い打ち合いをすることになり、ステラとセシルは互いに向き合う。


「それじゃあ――はじめ!」


 二人の横に立ったレクシオが、強く手を叩いた。二人は同時に、大きく踏み込む。刃の潰された剣を三度ほど重ねたところで、ステラは背筋が粟立つのを感じた。目の前にいる不思議な少年が、急に恐ろしいものに見えたのだ。


 手首を軽くひねった。刃が鈍い音を立ててこすれ、少年の剣が高い音を立てて跳ね飛んだ。悲鳴を上げた少年が、大きく後ろによろめく。そのまま転びそうになった体を、しかし寸前で金色の膜が受け止めた。


「……あれ?」


 きょとんとした少年に、レクシオが「怪我はないかい?」と笑いかける。その笑顔を見て、少年は青い瞳を輝かせた。


「おにいさん、魔法使いさんなんですね! すごい!」

「魔法使いとか言われると照れるなあ。ま、無事ならよかった」


 二人の少年のやり取りに胸をなでおろしつつ、ステラはセシル少年に駆け寄る。なぜか嬉しそうな彼に、大慌てで目線を合わせた。


「ごめんなさい! どこも怪我してない?」

「へいきです。それより、おねえさん、つよいですね! やっぱり本物の剣士さんはすごいなあ」


 危険なことへの怖さよりも、剣士に対するあこがれの念がまさったらしい。少年はむしろ、最初よりも元気になっていた。ステラが差し出した手を取ると、飛び跳ねるように立ち上がった。


 その様子を見て、ステラは安堵に肩を落とす。彼女の背中を、幼馴染が強く叩いた。


「気をつけろよ、イルフォード嬢」

「う、うん……さっきはありがとう」


 いい仕事をしてくれた幼馴染に、ステラは小さく頭を下げる。彼は悪童のような微笑で、それに応えた。

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