終章 叛乱者の集い

第69話 ある洞窟にて

 帝国領内のどこかにある、深い深い洞窟。その最奥でギーメルは沈黙していた。そばにはほかの仲間がいるが、なんとなく口をきく気分にはなれない。幸い、そのうちの一人は寡黙であるから、よほどのことがない限り自分から口を開くことはないのだった。今も黙ってひとり剣を磨いている。


 そしてもう一人はさらに寡黙だ。いや、それどころか、まともな言語を発しているところを見たことがない。彼はひたすら闇の中に巨体をうずめ、時々なにかを気にするように仲間の集まる方を振り返るだけだった。顔を見たこともほとんどないから、ギーメルにも彼のことはよくわからない。死した者の魂と語らう力があるという事実だけを知っている。


 問題は、最後の一人だ。童女の体を持つまがいものの神族。彼女はみずからの保護者である男のまわりを走り回ったり、ギーメルに対して舌を出したりと忙しい。いちいち反応するのも面倒くさい――はずなのだが、彼女の甲高い声を聞いていると無性に腹が立って、噛みつきたくなるのだった。


 その童女が、また口を開く。


「ねえラメド。ラメドはこうぞくって見たことあるの?」


 彼女の問いかけに、男が少し顔を上げた。


「皇族か。遠くから見たことがある」

「ふうん。どんな感じ?」

「そうだな……」


 つかのま黙った後、彼は言葉を選ぶように答える。


「底が知れない――何を考えているかわからない感じではある」

「へえ。ヌンよりわからない?」

「いや、ヌンよりはましだな」


 まばたきした彼女、アインの頭をラメドはそっとなでる。生真面目で沈黙の多いこの男は、アインの相手をしているときだけは表情がやわらかくなる。それは、彼がアインをこちらに引き込んだ張本人だから、というだけが理由ではないだろう。


 何にせよ、ギーメルには理解できない感覚だ。


 彼がひそかに鼻を鳴らし、顔をそむけたとき、洞窟に甲高い靴音が響く。最初小さかったそれは、じょじょに近づいてきた。ギーメルが入口の方に視線を投げると、予想した通りの者が予想通りの表情で立っている。


「ただいま。遅くなってごめんなさいね」

「ダレットか。処理とやらは済んだのか?」

「ええ。なんとか」


 うっすらと笑んだ女は、長い黒髪を軽く払う。今の彼女は人間の国の正装ではなく、群青色のドレスを身にまとっている。それとよく似た色のため息が、口唇からこぼれ落ちた。


「まさか、アーサー殿下があそこまで積極的に動くと思っていなかったわ。おかげでちょっと手間取っちゃったわね」


 彼女が言っているのは、今回の件――魔導の一族の子どもを憲兵隊に捕まえさせた一件のことだ。ギーメルは一瞬、軍部前で出くわした少年たちのことを思い出すが、すぐに頭から追い出す。『翼』でもない人間のことを考えてもしょうがない。


 しかしダレットは、そんなギーメルを一瞥してから、弾むような笑声を立てた。


「いつまでもかわいらしい子犬だと思っていたら……いつの間に、ああも鋭い目をするようになったのかしらね。人の親というのは、こういう気分なのかしら」


 暗がりの中で、礼服の男がわずかに頬を動かす。それを見つけたギーメルの心に、わずかな火花が熾った。


「おい、ダレット。あの皇子のこともそうだけどさ。今回、なんでヴィントの息子にあそこまでこだわったんだ。『翼』でもない人間に構う必要はねえだろ」


 ダレットはギーメルの問いに対して、少し考えこむようなそぶりを見せた。


 北風のような静寂が洞窟を包む。それが破られたのは、退屈なやり取りに飽きた童女が、保護者に向かって手を伸ばした頃だった。


「――『金の選定』」


 さりげないダレットの言葉は、しかし洞窟内を確かに揺らした。ラメドが目を見開き、アインが動きを止め、あのヌンが身じろぎする。ギーメルも、まじまじと女を見返した。彼女は青年の三白眼に向かってほほ笑む。


「『金の選定』の仕組みは、みんな知ってるでしょ」

「まさか、あのガキがだってのか?」

「候補の一人ではあるでしょうね。そうでなくても、魔導の一族であの男の血を継ぐ者よ。危険な存在には違いないから、潰せるうちに潰してしまおうと思っていたの」


 まあ、見事に邪魔されてしまったわけだけれど。そう付け足したダレットの声は軽かったが、目は決して笑っていない。ギーメルも表情を引き締めた。


「つい昨日、セルフィラ様が仰っていたな。『金の選定は近い』と」


 低い声が暗がりを揺らす。ラメドが、刃のような目をダレットに向けていた。彼女は静かにうなずき、両腕を広げる。


「ええ。あのお言葉を受けて、レーシュはすでに指定された場所へ向かったわ。私たちも、そろそろ準備をしましょう。候補を潰せなかった以上、全力をもって事にあたらなければならないわ」

「――もとより、そのつもりだ」


 ラメドが呟き、といだ剣を鞘に収める。同時、剣は光と化して消えた。彼が立ち上がると、その隣にアインがくっついて、彼の手をつかむ。


 ギーメルはまた鼻を鳴らして、大男のいる方へ向かった。彼と一瞬目を合わせた後、ちろりと女を振り返る。


「そういえば、ダレット。『金の選定』が始まる場所はわかってるのか?」

「ええ」


 あっさりと応じたダレットは、愉快そうに彼の質問に対する答えを落とした。


「『選定』の地はシュトラーゼの聖堂よ。――確か、シュトラーゼは、今の『銀の翼』のふるさとだったわね」


 笑声は、寒々しい闇をかき乱す。ギーメルはそれに答えず、闇をまとった大男の方へ視線を戻した。



(Ⅲ 魔導の一族・終)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る