第55話 並び立つ者として

 九人の生徒は、これからやることを低い声で話して、決めた。声を潜めたのは、外を通りがかった人にうっかり聞かれないようにするためである。いずれは明かすこととしても、しっかりと準備を整えてからでなければ意味がない。


 幽霊森のときのように、組み分けもした。今回はくじではなく、それぞれの得意分野と役割を重視した人選である。それが決まると、九人の学生はばらばらと立ち上がり、あるいは帰り支度を始める。


「ようし、明日から頑張ろうね! それじゃあね!」

「……わたくしも今日はこれでおいとまいたしますわ。ごきげんよう」


 ブライスが全身を使って腕を振り、飛び跳ねるようにして第二学習室を出ていく。ため息をついたシンシアが、上品に礼をしてからその後を追った。


 ステラはそうして去っていく人を、苦笑して見送る。自分はまだ動かなかった。後ろでジャックとオスカーがまだ話し込んでいるからだった。


「そうだ、オスカー。連携の『条件』の話なのだけれどね」


 ステラは反射的に振り返る。突然、彼女自身に関する話題が出て、ぎくりとした。ジャックは彼女の視線に気づいたらしい。一瞬、にこりと笑った後、親友に目を戻す。


「近々――そうだね、またみんなが集まったときに、話をしようと思うんだ。それで構わないかな?」

「俺は構わんが。本人の許可は取ったのか」


 オスカーがステラの方に目配せする。ステラは、全身をこわばらせつつも、うなずいた。教会に話を聞きにいった次の日に、エドワーズ神父に言われたことを団長に報告していたのである。ミオンの暴走騒ぎやレクシオのことがあって、すっかり頭から抜け落ちていた。


「なら、それでいい。学院祭フェスティバルの準備もあるから、おまえたちの都合がいいときに声をかけてくれ」

「了解したよ。ありがとう!」


 すべての話がついたらしい。オスカーはほほ笑むジャックに対して小さく顎を動かした後、何も言わずに第二学習室を出て行った。手を振って見送っていた団長は、彼の姿が廊下に消えると、その手をそのまま顔の前で叩く。


「さてと。僕たちも帰ろうか」

「うん」


 ステラは微笑を作って答える。同時、背後から肩を叩かれた。ステラが目を丸くして振り返った先では、見知った少女が茶目っ気たっぷりに笑んでいる。ステラと視線がかち合うと、彼女は小さく舌を出した。


「ねえねえ、今日、私が孤児院についてってもいい?」

「ん?――いいよ」


 ナタリー・エンシアからの申し出を、ステラは首をかしげつつ受け入れた。


 ステラたちが帰る頃、帝都の通りはいつも騒がしくなる。秋の風は冷たいが、人いきれがしているおかげで、それほど寒くは感じない。


 この日、ステラは帰路きろの途上で市場に立ち寄った。昨日の時点でミントおばさんにお願いされていたお使いのためである。広い通りにずらりと露店が立ち並ぶ。色鮮やかな店の前を老若男女が絶えず行き交っていた。時折、少しざらざらとした男性の呼び声が通りを駆け抜けた。


 ステラはそんなざわめきに負けず、野菜と果物を山ほど、それから生肉と干し肉をそれぞれ指定された数だけ買い込んだ。ぱんぱんに膨らんだ袋を抱えたステラの横で、ナタリーが目をきらきら輝かせている。


「わー、この時間の市場って初めて来たかも。すごいにぎやか」

「付き合わせてごめんね。家の門限とか課題とか大丈夫?」

「平気、平気! あ、それちょっと持つよ」


 よほど楽しいらしい。上機嫌に頬を緩めたナタリーは、大量の荷物の一部をひょいっと自分の腕の中に移した。勢いのいい友人に、ステラは肩をすくめてみせた。


 買い物を終えて、いつもの道に戻る。ふだんは一人で、あるいはレクシオと二人で歩いている道。今日はそこをナタリーと歩いている。温かいような寂しいような、不思議な気分だった。


 孤児院の周辺は、案外に静かだ。民家と小さなお店がぽつぽつと立ち並んでいるが、その主たちもみんな穏やかだったり物静かだったりする。だからこそ子どもたちが遊んだりお出かけしたりするのにはうってつけなのだった。

 遠くに響く帝都のざわめきに耳を澄ませていたステラは、途中でふっと足を止めた。並んで歩いていたナタリーも、釣られるように立ち止まる。


「――レクも、昔、孤児院に入ってたんだって」

「そうなの? あんたと入れ違い?」

「うーん。ちょっとの間だけ、一緒になってたらしいけど、ほとんど覚えてないんだ」


 突然の独白に返る親友の声は、常と変わらずさっぱりと響く。そのことに感謝しつつ、ステラは笑って頬をかいた。だが、その笑みは数秒ほどでもろく崩れて、溶ける。


「ミントおばさんが教えてくれるまで、知らなかったんだ。そんな話をしてくれたこと、なかったから。……こんなに長く一緒にいたのに、本当、知らないことだらけ」


 足もとに目を落とす。石畳の上に伸びる影が、己の本体をあざ笑うかのように揺らめいている。光と宵闇よいやみの色が混ざり合い、その影を不気味で神秘的な赤紫色に染め上げていた。


 ステラが顔を上げると、考え込むような顔をしたナタリーと目が合った。彼女はステラの視線に気づいたらしく、よっ、とわざとらしい掛け声を上げて果物の山を抱えなおした。


「そうは言っても、あんたにだけ話してたことも結構あるんでしょ? それだけレクがステラを信じてたってことじゃないかな」


 言って、ナタリーが歩き出す。ステラは少し遅れて、それにならった。


「私はさあ。自分で言うのも何だけど、ふっつーの中流階級の出身で両親もめっちゃ元気だからさ、ステラやレクの抱えてるもの、全部を理解することはできないよ。せいぜい、想像するしかできない」


 語る彼女の声は、明るい。いつものように。それなのに、聴いている側のステラは、鋭い胸の痛みを感じた。


 彼女の胸中に、気づいているのか否か。ナタリーはステラの方を一瞥した後、歩調を少し緩めた。語る速さは、変わらないままだ。


「でも、想像しただけでも、レクのこれまでの生活って、すごいしんどかったんじゃないかなって思う。故郷の話も家族の話もできずに、素性がばれないようにって、気を張り続けてたってことでしょ? 一人でもそういう話ができる人間がいるってだけで、救われてたと思うよ」


 ステラはとっさに何かを返せなかった。代わりに、いつかの幼馴染の言葉を思い出す。追いかけてきてくれたのがおまえでよかったと、そう言って笑った彼の顔を。


 本当は、助けを求めていたのかもしれない。本人も気づかないうちに、彼女の前で悲鳴の一片をこぼしていたのかもしれない。


 薄々、気づいてはいたのだ。この子はとんでもなく大きな物を抱えていると。けれどステラは、そこに踏み込めなかった。踏み込むだけの勇気を持てなかったのだ。


「あんた今、気づいてやれなかった自分が悪いとか思ってない?」


 思考を割るように、少女の声が響く。ステラは頬をひきつらせた。図星だった。今度こそ言葉を返せずに黙ったステラに対し、ナタリーは悪童のような表情をちらつかせた。あいている方の指を唇に添える。


「言われなきゃわかんないのは当然でしょ。そこはちゃんと『助けて』って言わなかったレクも悪いよ。ま、それも理由あってのことだろうから、あいつを責めるつもりもないけどさ。――ステラが責任感じるなら、今度から気をつければいいんじゃない?」

「今度から……か」

「それこそ、『全部吐き出せ! そしたら全力で手伝ってやる!』とでも言ってやりなよ」


 ナタリーはまた荷物を抱え直し、それからステラを急かして足を進めた。軽やかな靴音が、静かな空へ飛び立ってゆく。影が、また揺らめいた。今度は淡く、穏やかに。


「これが今生こんじょうの別れです、なんて展開にはさせてやらないからね。そのための救出作戦なんだから」


 彼女の声や物言いは、状況や聞き方によってはきつい印象も与える。上質な柑橘類みたいなものだと、ステラは前から思っていた。その酸っぱさが、今のステラには何よりも必要なものだったのかもしれない。


 寒風にさらされた体が熱を帯びていく。ステラの中に眠る獅子のごとき一面が目覚める、それは予兆であったかもしれない。


「……ありがとう、ナタリー」

「どういたしまして。さっ、行こうかー」


 笑ったステラにあいた手を振り、ナタリーは背を向ける。ステラは少し歩調を速めて、彼女の隣に並んだ。


 そうしているうちに、夕日によって暗く彩られた孤児院の影が見えてきた。



     ※



 学生たちが帰路についた頃、帝国の中枢を担う宮殿にも、夕日は等しく差し込んでいた。燃えるような光を受けて、壁紙に散る黄金色の花々が輝きを強める。磨き抜かれた床は静謐せいひつな夕闇に沈み、さびしさを掻き起こすような神秘を抱いて沈黙していた。


 広大な宮殿の一角。この時分、ことさらにひとけの少ない廊下に、ただ一人分の足音が規則正しく反響していた。すでに火の灯されたシャンデリアが、高音の粒を反射していっそうきらめいたようにも思われる。


 ただ、靴音を立てている張本人は、そういう情景に関心を持ってはいなかった。ふだんは、自然の風景や美しい音楽を鑑賞することも多いのだが、今はそれに気を払っている場合ではないのだ。


 蜂蜜はちみつのような金髪の下で明るい碧眼に炎を宿した青年は、姿勢を正して廊下を行く。歩いている最中、体に一切のぶれを起こさない彼は、やはりぶれないままで立ち止まった。重そうな白い扉に体を向ける。


 数度、その扉を強めに叩いた後、彼は口を開いた。


「失礼します、姉上。私です」

「――どうぞ、入っていらっしゃい」


 ほとんど間を置かず、くぐもった応答がある。青年は恭しく把手に手をかけた。重厚な扉がすんなりと内側に開く。一礼して部屋に入った青年は、その後、丁寧に扉を閉めた。


 淡い色調で統一された室内には、必要最低限の調度品しか置かれていない。皇族としては質素にすぎる印象だが、それに関しては青年も人のことは言えなかった。そんな部屋の主は、まるい椅子にしゃんと腰かけ、大きな窓を背にする形で彼を待っていた。青年と同じ色彩を持った女性。彼女は青年を見るなり、立ち上がってほほ笑んだ。


「よく来てくれましたね、アーサー。かしこまってないで、座ってください」

「ありがとうございます」


 アーサーは姉のアデレードにこうべを垂れると、彼女の向かいに腰かけた。そんな彼を姉は呆れまじりに見つめている。彼女は長子で、皇位継承順位は第一位だ。アーサーにとっては家族であると同時に敬うべき対象だった。だから、どうしてもかしこまってしまうのである。


 しかたない弟だとばかりに目もとを緩めたアデレードは、みずからの手で紅茶をカップに注ぎ、アーサーに差し出した。その紅茶自体も、姉のことだ、自分で用意したのかもしれない。


「どうですか、軍務の方は」


 アーサーがカップを受け取ってから、姉は穏やかに切り出した。弟の方は、その問いの裏に潜む鋭い心を知っている。だが、表面上は家族の会話として無難に答えた。


「苦労も多いですが、最近はやりがいを感じることも増えてきました」

「それならよかった。書類仕事が多くてうんざりしているのではないか、と心配していたのですけれど」

「……まあ、うんざりすることも、時々あります」


 紅茶の湯気で顎を湿らせたままアーサーが答えると、アデレードは笑声を立てた。鈴を転がすような声である。その音色を聞くたびに自分が子どもに戻るように感じて、アーサーはくすぐったく思うのだった。


 心の揺れをごまかすように咳ばらいをして、紅茶に口をつける。それからいくらか他愛もない話をした後、彼の方から静かに本題を切り出した。


「そういえば、同じ部署の先輩から気になる話を聞きました。あくまで噂ではありますが」

「まあ、どんな噂ですか」

「皇帝陛下直属の特殊部隊が、『魔導の一族』を捕えるために動いているとか。そして、そのために小隊が壊滅させられたとか」

「物騒なお話ですね。……もしかしてそれは、例の指名手配犯のお話でもありますか」

「その通りです。そして、あの男に関する話がもう一つございます。あの男の親族を憲兵隊が拘束したそうです」


 それを聞いた瞬間、アーサーと同じ色の瞳が、冷たい炎を宿した。


「……憲兵隊が? 帝都警察ではなく?」

「そのようです。おそらく、宰相さいしょう閣下か陛下の密命でしょう」


 そうですか、と答えたアデレードは、細い指を顎に沿わせて黙りこむ。また、父のことに思いを巡らせているのだろう。二人の父親――皇帝は最近、少数民族や少数派の人々に対する政策が過激になってきている。ルーウェンの解体など、その最たるものであろう。アーサーもアデレードも、その詳細を知ったときは気分の悪さを隠し切れず、数日引きずった。アデレードに至っては、皇帝に直接抗議しに行こうとして、数名の者に止められたほどである。


 その当時のことを思い出して顔をしかめ、アーサーはカップを置いた。


「姉上。私は、この件を調べるつもりでいます」


 彼の宣言に、アデレードが目を見開いた。次に彼女が言い出すであろうことを予測して、アーサーは再び口を開く。


「ご心配なく。無謀な真似はしません。味方もいることですし、なんとか上手くやります」

「そうですか。……わかりました、わたくしもできる限りの助力はしましょう」

「ありがとうございます」


 細く呟いたアデレードに、アーサーはこうべを垂れる。彼が顔を上げた瞬間、若き皇女は悪戯を思いついた子どもみたいにほほ笑んだ。


「この機会に、憲兵隊や特殊部隊の悪行を洗い出してしまうのもよいかもしれませんね」

「そこまではしませんよ。今回は、不当に拘束されたたみを救うことができれば十分だと思っていますので」


 姉の表情は無邪気で、その声色も穏やかだ。だが、根の部分にくすぶる火種があることを、それが時々燃え上がりそうになることを、アーサーは知っていた。――その舌はいずれ、帝国の頂点に立つ男へと伸ばされるのだろう。


 白い相貌を見返して、彼はふっと笑みを消す。


「甘いとお思いですか、姉上」


 弟の問いかけを聞き、アデレードもゆっくりと笑みを押し込めた。彼女は流れるように身を乗り出す。


「いいえ」


 ささやきに流されるようにして、陽光が薄らいでいく。

 生ぬるい闇が、姉弟の外側を緩やかに包みこみはじめた。


「あなたはそれでよいのですよ、アーサー。存分にやりなさい」


 姉のささやきはその闇のように温かく、また毒刃のように鋭い。


 誰よりも――皇帝よりも――敬うべき相手の言葉を、アーサーは黙して受け入れた。

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