第54話 僕たちにできること

 放課後。ステラは『武術科』の少女たちとともに、第二学習室へ向かった。


 正直なところ、今みんなと顔を合わせても、ろくに会話できる気がしない。一方で、みんなと話がしたいと思っている自分がいることも、よくわかっていた。


 生徒の流れに逆らって、夕焼けの色に染まっている廊下を歩く。そのうち、なじみのある扉と看板が見えてくる。ステラは、己の左手が震え出したことに気づいた。右手でそれを強引に押さえ込んで、息をのむ。


 三人揃って扉の前に立つ。ぴりりとした、一瞬の沈黙。それが通り過ぎると、ブライスが扉に手をかけた。


「たのもーっ!」


 赤毛の少女は腹の底から声を出し、第二学習室へ飛び込む。扉がけたたましい音を立てた。


「こりゃあ、また派手な道場破りが来たもんだわ」

「ブライス! 声が大きいですわよ!」

 

 窓辺にもたれかかっているナタリーが、意地悪そうに目を細める。一方、そのそばで姿勢正しく椅子に座っている茶髪の少女が、目じりと眉を吊り上げた。ステラは第二学習室に勢ぞろいしている面子を見て、唖然とする。


『クレメンツ怪奇現象調査団』と『ミステール研究部』、それぞれに所属する六人が、ひとつの部屋に集合している。どうやら、ステラたちが最後だったらしい。


「やあ、三人とも! よく来てくれたね」


 ナタリーの隣で立っているジャックが、変わらず明るい笑顔を咲かせる。


 曖昧な言葉を返した少女たちは、一礼して部屋に入った。そんな必要はないのだが、礼儀正しくしなければならないような気分にさせられたのだ。


「ほいよ。まあまあ、座りなさい」


 トニーが部屋の端から椅子を運んでくる。顔色は相変わらずよくないが、昼間よりは元気そうだ。それがたとえ空元気であったとしても、ステラとしては安堵せずにいられない。胸の内を微笑で隠して、ステラは彼に頭を下げた。


「ありがと、トニー」

「おっと。ブライスの分の椅子がないんだわ。シンシアのまわりにでも立っておいて」

「えっ!? ちょっと帽子くん、それひどくない?」


 赤毛の少女は唇を突き出して、帽子をかぶっていないトニーに苦言を呈する。しかし、彼が笑顔で手を振ると、あっさりシンシア・ネリウスの元へ駆けていった。


 ジャックが、教室中をぐるりと見渡す。全員がそれぞれに落ち着いたことを確かめると、一度手を叩いた。


「さて。そろそろ本題に入るとしよう。今日は怪奇現象の話ではないけれど、重要な話だよ」

「ここにいない人のことね」


 ナタリーが合いの手を入れると、ジャックはその通りとばかりにうなずいた。


「みんな、今朝の話は聞いたね」

「聞きましたけど……なにか、問題なんですか?」


 カーターがおずおずと挙手をする。わずかに首をかしげた少年に、シンシアが呆れたような目を向けた。


「軍が動いた時点で大問題ですわ。そもそも、一般人から話を聞くのは一般警察――この場合は帝都警察の仕事。エルデさんを拘束する権利は、憲兵隊にはありません」

「そ、そういうことですか……」


 シンシアの言葉を聞いて、カーターはようやっと悲壮な表情をした。元々どこか心細げにしている人なので、見ていて哀れになってしまう。


 彼をなだめるようにほほ笑んだジャックが、話の筋を少し戻した。

「ずいぶんと大きなことが起きてしまった。だから、一度みんなで集まって、情報の共有をしておこうと思ったんだ」

「きょーゆーしたとして、どうなんのさー」

「正直、何とも言えない。だけど、バラバラに不安を抱えて過ごすよりはいいと思うよ。学院祭フェスティバルまで時間がなくて、ただでさえ気持ちが焦りやすいからね」

「それもそうか」


 シンシアの後ろで飛び跳ねていたブライスは、団長の説明に一応納得したらしく、動きを止めた。榛色ヘーゼルの瞳が一瞬ステラを見たが、ステラ自身はあえて目を返さない。


 微妙な空気の中で、一同は今わかっていることの整理をした。


 ヴィント・エルデの手配書が更新されたこと。今まで彼の名前はレクシオとステラしか知らなかったわけだが、状況が変わった。


 もうひとつは、今朝、憲兵隊の少佐がレクシオを連れていったこと。ヴィントの話を聞くため、という名目らしいが、不自然な点がある。先ほどシンシアが指摘した通りのことだ。


 そして、三つ目。ジャックが神妙な顔で呟いた。


「生徒の目につくような場所で堂々と同行を求めてきた、というのも気になる点だ。トニーから話を聞いた後、僕もそれとなく情報を集めたんだけど、現場を遠目から見たという人が結構な数いたんだよ」

「事情聴取以外の目的があるのかもしれないな」


 うっそりと呟いたオスカーを見て、彼の親友たる少年はうなずく。ふだんからは想像もつかない真剣なまなざしは、そのまま他の学友たちにも向けられた。


「僕も同じように考えていた。これに関して、なにか心当たりのある人はいるかな? どんな些細なことでもいいんだ」


 そう問われた団員五人と、『ミステール研究部』の三人は困惑に彩られた顔を互いに向ける。彼らを代表するように、ナタリーが顔を歪めた。


「と、言われてもねえ……。あいつ、ほとんど自分のこと話さないじゃん。私らだって、わかんなくて困るくらいよ」

「改めて考えてみると、レクのこと、なんも知らねえもんなあ」


 トニーが椅子を軽く揺らしながらぼやく。その後、彼らの視線は自然な流れでステラの方に向いた。見られた方は、張り詰めた空気を感じながらもかぶりを振る。


 確かに、ステラはこの九人の中ではもっともレクシオのことを知っている。だが、それもせいぜい彼が魔導士であることと、父の名がヴィントであることを前から知っていた程度だ。この議論、あるいは情報共有の助けにはならないだろう。


 訪れる沈黙。苦悩と嘆きによどんだ空気。――それを、少女の一声が揺らした。


「あの……みなさんに、お尋ねしたいことがあるんですが……」


 八人の視線が、声の主に集中する。左手を挙げていたミオンは、視線に怖気づいたのか、華奢な肩を上下させた。膝の上で握られた拳が小刻みに震えている。


「なんだ?」


 ミオンがすぐに内容を言わなかったので、オスカーがうながした。それでも彼女は口を開かない。何かをためらっているかのように。それでも八人が待ち続けると、ようやく彼女は唇を薄くこじ開けた。


「みなさんは、レクシオさんの魔力を感じたことがありますか?」


 その問いが耳に届いた瞬間、ステラは心臓が跳ねる音を聞いた気がした。



 ミオンの質問に、学生たちは当惑と緊張のざわめきを返す。その中で、ナタリーとトニーが顔を見合わせた。


「レクの、魔力? 感じたことないよ?」

「っていうか、あいつ、魔導士じゃないはずだよな」


 ステラは、彼らの疑問に答えられる数少ない一人だ。だが、無言を貫いた。今ここで口を開くことが正しいのかどうか、彼女にはわからなかったからだ。


 そして、数少ないもう一人も、はっきりとした答えは口にしなかった。友人の陰から顔を出したブライスは、青ざめているミオンをじっと見つめる。


「なんでまた、そんなこと言い出したの?」

「それは……」


 ミオンは少し目を伏せる。そのまま静かに瞼を閉じて、深く、呼吸した。――二度目の深呼吸のとき、部屋の空気がごっそりと入れ替わった。


 ステラは反射的に身構える。指先がぴりぴりして、全身の毛が逆立つのを感じた。それ自体は、以前から何度か経験したことのある感覚だ。けれど、今の彼女は、その経験とは別のところで異変の正体を察していた。


 今、室内に広がっているのは、ミオンの魔力だ。魔導術が暴走したときの圧倒的な力と似ている。けれど、それよりも静かで透き通っていた。だからこそ、畏怖の念をおぼえて戦慄する。


 ステラは一瞬の忘我から立ち直ると、学習室を見回した。所属している学科ではっきりと学友たちの反応が分かれていた。『武術科』の二人は、警戒しているが冷静だ。『魔導科』の人たちは、唖然として固まったきり動かない。


 異様な雰囲気の中心で座る少女は、閉じていた目を薄く開くと、さざ波のような言葉を紡いだ。


「わたしは、レクシオさんがこんなふうに魔力を隠している気配を感じていたんです。最初は気のせいかとも思いましたが、名前を知って確信しました」


 一呼吸分の静寂。そのとき、黒茶の瞳の中に切なげな光が宿った。


「レクシオさんは魔導の一族です。わたしと同じ」


――わずかな間、第二学習室からあらゆる音が消えた。誰も何も言わない。今にもはち切れそうな緊張の中、何もしないことで危うい均衡を保っているようだった。ステラもまた、その一人だ。詰めた息を吐きだせず、膝の上でかたく拳をにぎっているしかなかった。


 その均衡を崩したのも、ミオンだ。もはや、話ができるのは彼女しかいないように思われた。


「魔導の一族の中には、特殊な術の開発などで歴史に名を残しているような家がいくつかあるんです。エルデ家は、そのひとつで――彼らが開発した物体の魔力情報を読み取る術は、かつて大国同士の戦争に使われたこともあるそうです」


 ステラはやっと、細く息を吐きだした。だからと言って落ち着きを取り戻せたわけではない。落雷のような衝撃が、幾度も体の中で反響する。


 神の実在を知ったときでさえ、これほど動揺はしなかった。


 どうしていいかわからない。ただ、戸惑う一方で、ステラは納得してもいた。


 初めてステラの前で魔導術を使ったとき、あれほど怯えていたのも。自分のことをまったく話さないのも。ヴィントのことを明かしてくれたとき、「事情」の方をかたくなに伏せたのも。すべてが、素性を隠しているがゆえのことだったとしたら――。


「……勝手な推測になってしまいますけれど」


 震え声が室内にこだまする。沈黙を守り、人形のように座っていたシンシアが、口を開いていた。濃い緑の瞳には、烈しい炎が灯っている。


「今回、そのメンデス少佐という方がエルデさんを連れていったのは……彼がデルタ、いえ、魔導の一族だからなのでしょうか」

「わかりません。だけど、その可能性は高いと思います」


 ミオンはこわばった顔をシンシアの方に向ける。その間にも彼女は何度か膝の上で手を組みかえていた。また一度、五指を組みなおしてから、彼女は細く息を吸う。


「これは、あくまで親族が話していたことなんですが……帝国が、ルーウェンの解体から逃れた人を捕えるために動いているらしいんです。今までに十人以上捕まるか殺されるかしていて、捕まった人は誰も帰ってこないそうです」


 捕まった人々がどうなったかは、誰も知らないという。ミオンのまわりでは不穏な憶測ばかりがささやかれていた。拷問の末に殺されたとか、まとめて毒殺されたとか、魔導術の実験に利用されているとか――いずれにしろ、確たる証拠があるわけではない。わかるのは、生き証人がいないということだけ。


 暗い話題が上乗せされて、『調査団』の四人はますます口を閉ざすしかなくなっていた。ジャックでさえもそうなのだから、残る団員が気丈に振る舞えるわけもない。ステラも、頭が重くなるのを感じてうつむく。


 彼らの胸中を代弁するように、オスカーがため息をついた。


「結局、絶望的な状況を再確認しただけのようだが」

「でも、幼馴染くんがこうなった理由には見当がついたよね」


 シンシアの後ろからひょっこりのぞいたブライスが、部長の方に顔を突き出す。当の部長はというと、よく動く少女に感情の読めない目を返していた。


「見当がついたからといって、どうするんだ。デルタ絡みとなると、いよいよ俺たちには手出しできないだろ」

「――そうだね。僕たちにできることをするしかない」


 どこかいらだっているようでもあった少年が、親友の声を聞いて眉を動かす。もの言いたげに自分の方を見たオスカーに対し、ジャックがいつもより元気のない顔で、それでも目を細めた。


「もちろん、できることは限られているよ。でも、皆無じゃない」

「――何をするんだ?」

「大したことではないさ。例えば、ステラはイルフォード家の出身だ」


 いきなり名指しされて、ステラはひっくり返りそうになった。顔を上げてうなずく。団長の発言の意味を測りかねている彼女に、ジャックは片目をつぶってみせた。


「ということは、軍や警察の関係者に多少顔がくんじゃないかと思っているんだけれど……実際はどうなんだい?」

「え? いや、そんな、顔が利くってほどじゃないわよ。まあ確かに、一般人よりは軍人の知り合いが多いだろうとは思うけど」


 ステラの答えに満足したのか、ジャックは何度かうなずく。それから、『ミステール研究部』の少女に視線を移した。


「ネリウスさんの実家は男爵家だったよね。イルフォード家ほど軍とのつながりはないかもしれないけれど、ステラよりは貴族社会で上手に立ち回れそうだ」

「そ、それは、そうかもしれませんわね」

「逆に、トニーは路上生活者とかなり親しいよね。彼らの情報網と人脈は侮れないから、活用したいところだ」


 流れるようにトニーを見たジャックが、自分のことのように胸を張る。そのときになると、ステラも団長が言わんとしていることを理解しはじめていた。じんわりと体の中が温かくなってくる。


 彼女が唇をかみしめている横で、ジャックは己を指さした。


「そして僕も、帝国上層部に通じている知り合いから噂を拾うくらいはできる」


 彼の親友たちも、その言葉にひそむ意味を察したらしい。高揚する心を隠そうともせず、不敵に笑った。


「なるほどねえ」

「俺たちにはジャックたちほどの影響力はないが……学院内でなら、十分に火おこしできるな」


 二人が楽しげに呟いたことで、残る人たちの間にも理解が広がったらしい。それぞれ、感嘆の吐息をこぼした。第二学習室の変化を見渡したジャックが、さらに言葉を紡ぐ。


「学生一人が騒いだところで何も変わらない――それは、確かにその通りだ。けれど、九人が一斉に騒ぎ立てれば、興味をひかれる人も出てくるかもしれない。騒ぐ人が十人、五十人、百人に増えれば、湖に波紋を起こす一石くらいにはなるだろう」


 ステラは両手を胸の前でにぎりしめた。

 震えが走る。熱が、足元から頭のてっぺんへ駆けのぼってくる。


「――ここ、『クレメンツ帝国学院』ではそれが可能なんだよ! みんな、誰かの危機に黙っていられる人ではないだろう? その誰かが友達ならばなおのこと。どうせなら、一緒に声を上げないか?」


 そうだ。これがジャック・レフェーブルだ。これこそが、『クレメンツ怪奇現象調査団』だった。


 全身を使って意志を広めたジャックは、第二学習室に集う人々を見渡している。その視線を受けた団員たちは、考えるまでもなく、首を縦に振っていた。


「いっちょやってやろうじゃないの! レク救出作戦!」

「当然だな。俺、あいつに言ってやりたいことが山ほどあるんだ」


 ナタリーが手のひらに拳を打ち付け、トニーがわざとらしく口角を上げる。彼らの意気込みに、ステラも自然とのみこまれていた。


「それはあたしもよ。一度がつんと怒ってやる!」


 本人が聞いたら曖昧に笑って頭をかきそうなことを言い合い、ステラたちは空元気の笑顔を振りまいた。それを見て、ミオンが顔をほころばせ、『ミステール研究部』の人々が肩をすくめる。

『研究部』の中で最初に挙手したのは、ブライスだった。


「私もやるー! 幼馴染くんがいなきゃ、つまんないもん!」

「それなら、わたくしも参加させていただきます。ブライスにはお目付け役が必要ですからね」


 シンシアは、ステラたちから顔を逸らして意志を表す。その拍子に満面の笑みのジャックと目が合って、さらに気まずそうにしていた。その様子をおろおろと見ていたカーターは、当人に見つかる前に部長を見つめる。


「あの……ぼくも協力したいです。部長、よろしいですか」

「好きなようにすればいい。俺もそうするからな」


 オスカーがそう答えると、カーターは幼い子どものように顔を輝かせる。それに何を思ったか、不愛想な少年はぼそりと付け足した。


「憲兵隊のやり口が気に食わないだけだ」


 それが本心か照れ隠しか、ステラには判断できない。だが、オスカーが協力してくれること自体が、なぜか嬉しかった。


「みんな。ありがとう! そうと決まれば、さっそく作戦会議だ」


 みんなの意見表明を受けて、ジャックが優雅に髪を払った。その姿はいつもの団長だ。だから団員たちも、いつものように拳を突き上げ、元気よく応じた。

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