六法殺人事件(仮)

雨音

六法殺人事件(仮)

登場人物

KP 美青年探偵

SH 裁判官になりたくて司法試験を受けて合格して司法修習まで受けたが自分に法曹は向いていないと悟り、色々あって今はKPの助手をしている


 A県B市にあるC駅は、都心に近いが都心のような煩雑さはなく、ベッドタウンとして人気の町だった。

 KP探偵事務所はC駅そばの雑居ビルの三階にあった。

 その雑居ビルの一階は牛丼屋、二階は不動産会社、三階は胡散臭い探偵事務所と、まさしく雑多なものがひしめき合うビルである。

 自他ともに認める美青年探偵KPは、事務所の中で、窓際のアームチェアにゆったり腰かけていた。美青年探偵だけあって、彼はそれだけでも絵になるのである。それとは反対に、SHはあくせくと書類の整理をさせられていた。ちなみに、SHは諸事情あってKPが拾ってきた助手なので、SHは探偵に頭が上がらないのである。

 そのうちに、暇になったKPが声をかけた。

「やぁやぁSH。ちょっとしたゲームをしないかい」

 KPの性格の悪さを知っているSHは、一目見ればわかるほどに顔をゆがめた。

 しかし、彼の返事は運命づけられているのだ。

「ゲームってなんだい」

「最近私は小説を書くのにはまっていてね。探偵小説だよ。どうだ、君も挑戦してみないかい」

「君と知恵比べをするのか。私に勝てる見込みなんてないだろう」

「そんなことはないさ。この小説は未完成なのだ。君に考えてもらうのは、『どうやったら犯人を見つけられるか』だよ。この小説の中の探偵になりきって捜査方針を考えようじゃないか。もちろん私の中に答えはあるが、君がより良い答えを思いつけば勝ちだ。どうかな」

 KPに勝てる気がしないSHは気が進まなかった。

 しかし、もう一度言うが、彼の返事は運命づけられているのだ。

「わかった。小説を読ませてくれ」


     〇●〇●〇

 平成三十二年十一月三十日、甲野法律事務所で甲野弁護士の死体が発見された。

 被害者は甲野太郎。甲野法律事務所の代表を務める弁護士だ。甲野法律事務所は5年前に設立した新しい事務所だが、甲野の真面目な仕事ぶりが受け、顧客への評判もよかった。甲野に関して悪い噂も特にない。

 甲野法律事務所はA駅から徒歩数分の五階建て雑居ビルの五階の一角にある。事務所の入口には防犯カメラが設置されている。事務所内は、まず入ると正面入り口スペースがあり、奥の扉が二人の秘書たちの仕事スペースとなっている。秘書のスペースのさらに奥には、甲野弁護士の執務室と、甲野法律事務所のもう一人の弁護士、乙野花子弁護士の執務室にそれぞれつながる扉がある。それぞれの執務室へ入るには秘書スペースの扉を通るしかない。執務室は扉を閉めれば密室となり、執務室内の様子は外からは分からない。物音もあまり聞こえないらしい。執務室の扉には鍵をかけることもできるが、秘書が出入りする都合上、鍵をかけることはなかった。

 甲野の死体は彼の事務所内の執務室で見つかった。執務室の机のそばに、彼はうつぶせにして倒れていた。後頭部からは多量の出血、殴られた跡があった。

 甲野の死体が発見されたのは、平成三十二年十一月三十日午後五時三十分。甲野を呼びに来た秘書の丙山が発見した。丙山が甲野の執務室を訪れた時、執務室の扉の鍵はかかっていなかった。

 元気な甲野が最後に目撃されたのは同日の午後三時。クライアントとの打ち合わせが終わり、事務所に戻り、執務室に入った甲野を、丙山と、もう一人の秘書の丁川が見ている。

     〇●〇●〇


 SHはKPの直筆原稿の束をぱらぱらとめくった。

「被害者は甲野太郎ね。名無しの権兵衛か」

 SHが小説を読んでいる間、窓の外を眺めていたKPがそのままの状態で答えた。ちなみに窓の外には殺風景な建物の屋根が並んでいるだけだ。

「被害者の本名がきちんと甲野太郎というのだよ。被害者は『弁護士甲野太郎』という肩書きを使っている誰か、とかいう陳腐なトリックは用いていないゆえ、安心したまえ」

「偽造文書もないってわけか。ところで、KP。これは小説といえるのか?」

 KPはようやくSHに振り返った。その顔には呆れた表情が浮かんでいる。

「君は小説という言葉の由来を知らないのかい。『小』とは中国語で取るに足らないという意味だ。小説というのは取るに足らない話ということだ。小説がたいそうな物をさすと思うのは気のせいだよ。つまり、小説なんて立派な定義はないのさ。話になっていれば小説といえるんだよ」

 SHを馬鹿にするためなのか何なのか、KPがこのように長い話を繰り広げるのはよくあることである。KPのフィールドに相手を巻き込むことにもなり、KPの得意技と言ってもいい。

 SHはむきになって反論する。こうしてわざわざKPの得意なフィールドに入ってしまうところが馬鹿にされているのだが、本人は気づいていない。

「じゃあこれは話になっているのか?今まで読んだところだとひたすら状況説明だぞ」

「それは探偵小説のお約束だろう。君は地の文で現場の説明をする探偵小説は全て小説だと認めないのか?天の声はやけに親切なものなのさ」

「そんなものなのか?」

「そんなものだよ」

 疑問をぼやかされ、KPにまるめこまれたSHは、仕方なく小説を読み進めることにした。


     〇●〇●〇

 丙山の通報を機に、警察が現場にかけつけたのは同日午後六時。

 駆け付けた警官の一人、A刑事は現場となった甲野法律事務所を一通り捜索した。その結果、事務所からなくなったものはなかった。

 甲野の執務室の床や机には書類が散乱していたため、当初は物盗りの犯行かと思われたが、どうも違うらしい。貴重品をしまっていた金庫は鍵が閉められたままで、念のため中を開けても中身はちゃんと残っていた。なくなった書類はなかったし、仕事で使うパソコンも操作された形跡はない。甲野法律事務所には大量の本があり、執務室の壁には参考書が詰め込まれた壮大な本棚があるが、びっしりと詰められた本棚に欠けはなかった。もちろん、六法も事務所の創立年度のものから平成三十二年度まで揃っている。

 また、事務所入り口の防犯カメラ映像を確認すると、甲野が午後三時頃に事務所に入ってから、午後六時に警察が来るまで、事務所に入った者はいなかった。

 A刑事は一緒に駆け付けた上司――B刑事に、前記の事柄も含めて、姿勢正しく報告を始めた。

「……とのことです。また、事務所内を捜索しましたが、凶器様のものは発見されませんでした。関係者へのアリバイ確認は順次進めております」

「わかった。アリバイ確認を進めてくれ」

 A刑事が関係者にアリバイを尋ねた結果は次の通りだ。

 午後三時から午後五時三十分までに事務所の中にいた人物は、甲野以外には乙野弁護士、秘書の丙山、丁川の三人であった。三人とも事務所から出入りしていない。

 まず、乙野は午後三時から午後五時三十分までずっと自身の執務室にいた。甲野の執務室の異変には気づかなかったという。

 次に丙山と丁川は基本的には秘書スペースで向かい合わせの机で仕事をしていたが、何度か乙野弁護士に相談するために乙野の執務室に入っていたという。細かく言うと、午後三時三十分に丁川が五分程度、午後四時二十分頃に丙山が十分程度、午後四時四十分頃に丁川が五分程度、乙野弁護士の執務室に入り、乙野弁護士と会話をしていた。なお、これは乙野弁護士の供述とも一致する。

 甲野弁護士の執務室は秘書のスペースのすぐ隣なので、数分あれば甲野弁護士を殺害して戻ってくることはできる。また、乙野が執務室から出て秘書たちに気づかれずに甲野の執務室に入ることはできるか尋ねたところ、丙山も丁川も一度集中すると周りの様子に気づきにくくなるタイプのため、それぞれ向いあわせに座っている秘書が移動したら気づくものの、乙野が秘書たちの後ろでこっそり甲野の執務室に入った可能性はゼロではないらしい。もちろん乙野は否定していたが。

 つまるところ、乙野、丙山、丁川の三人とも犯行は可能だったということだ。

 また、警察は平行して事務所内にいた三人についても捜査を進めていた。

 まず、乙野弁護士は、弁護士二年目の若手であり、いわゆるノキ弁である。甲野弁護士に教えをこいながら仕事を進めていたという。乙野は弁護士として未熟であり、今回甲野が死亡して甲野の仕事をそのまま引き継ぐのは難しいようだ。また、甲野との関係は健全で良好なものであり、乙野が転職活動をしていた形跡もなかった。

 次に、秘書の丙山は、甲野法律事務所の設立時から働いている女性である。秘書として優秀であり、甲野にも頼りにされていた。念のため、甲野と関係があったとの情報はない。

 最後にもう一人の秘書の丁川は、半年ほど前に雇われたばかりの男性である。司法試験に失敗し、合格を諦めて秘書になったらしい。そうは言っても甲野を目の敵にしていたわけではなく、素直に甲野を尊敬している節がある。彼も人間関係で特に問題はなかったという。

 このように、警察が調べた範囲では、甲野殺害につながるような事情は見つからなかった。

 なお、この時点ではわかっていなかったが、後日、司法解剖の結果、後頭部を重くて角がある物――例えばレンガのような――で殴られ、それによる脳挫滅が原因で死亡したとわかった。しかし、司法解剖によっても、死亡推定時刻は午後三時から午後五時三十分より縮めることはできなかった。読者諸君はこの情報も考慮に入れてよいことにする。

     〇●〇●〇


 SHは皮肉を込めてKPに告げた。

「やれやれ。ずいぶんお優しい天の声だな。未来のことまでわかるし」

「だいたい私はずっと前から思っていたのだよ。小説のようにそんなすぐ司法解剖が終わるかと。もちろん迅速には努めてるだろうがね。でも探偵小説で読者のためには解剖の話は欠かせないだろう。だから私の小説では地の文特権を使わせてもらったということさ」

「地の文特権ねぇ……」

 SHにはKPが何を言っているのかよくわからなかったが、KPは一聞くと十話し出すところがあるので、適当に流しておくことにした。

「ついでに言っておくが、司法解剖で死亡推定時刻が正確にわかるというのも幻想だよ。現実の解剖ではそんな都合よく細かく死亡推定時刻は割り出せないんだ。よく探偵小説で探偵やら医者やらがちょっと死体を見ただけで数十分単位で死亡推定時刻を割り出しているが、あれこそ作者が登場人物に与えたチートの能力だよ。裏返して言えば、登場人物が絞れる死亡推定時刻は、作者が認めた範囲、トリックに都合がいい範囲だけなのさ」

 KPの長い話を無視してSHは気づいた点を尋ねた。

「そういえばこれ、平成三十二年の話なのか。パラレルワールドだな」

「ん?そうだな。君もたまにはいいところに気づくね。平成三十二年だということは、わざわざ冒頭で明示しなくてもこの作品が確実にフィクションだと示していることになるのさ。私は情緒もなく『この作品は実在の人物出来事などと一切関係ありません』などと書きたくなかったからね。冒頭に『平成三十二年』と書いただけでその役割を果たしてくれるんだ」

 KPに思いついたことを聞いた方が馬鹿であった。


     〇●〇●〇

しこうして警察は捜査を進めたが、犯人を特定することはできなかった。

 そのため、警察はかの有名な美青年探偵に捜査協力を依頼することとした。

 美青年探偵――KPは、甲野法律事務所に着くなり、現場を一通り観察した。

「なるほど。それで、今どうなっているんだい?」

 KPの隣にいた若い刑事が現状判明したことを一通り説明する。

「そういうわけでありまして、凶器の面からもアリバイの面からも動機の面からも、犯人が特定できないのです」

 その言葉を聞いたKPはちっちっと指をふった。

「甘いね。そんな状態だから警察は馬鹿にされるのさ。私にはもう糸口は見えているよ」

     〇●〇●〇


ここでKPの書いた小説は終わっていた。

SHは眉をひそめた。

「なんだこの中途半端な終わり方は?」

「最後まで書いたらゲームにならないだろう。言うならばここまでが“問題”だね」

 確かにこれはゲームである。歯切れの悪い小説に大目をつぶってゲームに挑むしかなさそうだ。

「『どうやったら犯人を見つけられるか』を考えるのでいいんだよな。作中のKPが思い付いたことだな」

「私はいつも観察し、論理的に考え抜いた果てに言葉にしているのだ。思い付いたとかその場しのぎのような表現をして欲しくないな」

「ああそうかい」

「それはそうとして、問いはそれで合っているよ。ゲームスタートだ」

と言うが同時、KPは指をパチンと鳴らした。

 SHは格好つけているKPが嫌いだ。しかし自他共に認める美青年探偵だけあって――見た目のよさだけは認めてやろう――格好つけていても様になるのだ。それがまたSHは嫌いだった。

 そんなSHの個人的な感情はさておき、ゲームだ。たまにはKPをぎゃふんと言わせてやろうとSHは思っていた。

 幸い、小説はさほど長くない。SHは情報を整理することにした。

「平成三十二年十一月三十日に甲野弁護士が殺されたんだよな。確認なんだが、本当に殺されたのか?まさか事故だなんておちはないよな」

KPはニヤリと笑った。

「それも悪くないな。しかし、作中の探偵はきちんと甲野弁護士の殺人犯の手がかりを見つけたのだ。事故の可能性は除外してもいい。付言しておくと、甲野弁護士が死んだことは殺人犯が仕組んだことだが、全てはそうとは限らない、つまり偶然も組み込まれている可能性は残っているからね。例えば殺害した時に物音がしたが偶然近くには誰もいなかったとか」

「犯人に都合のいい偶然が起きたら犯罪し放題じゃないか」

「都合のいい偶然が起こるのはフィクションだからいいじゃないか。ともかく、どのような偶然が怒ったのか突き止めるのも探偵の役目だよ」

 KPの言うことは分かったような分からないような気がするが、ゲームにおいてSHがやることは変わらないだろう。

 KPはぱらぱらと小説を何度か読み返す。

「なぁKP。確認したいことがある」

「なんだい?」

「甲野法律事務所は雑居ビルの一角にあるんだろう。他のテナントの関係者は何か見ていないのか?入り口の防犯カメラ映像からすれば犯行に及んだのは事務所内の人間だろうが、外部に協力者がいるかもしれないだろう」

「私は自分が書いた小説でゲームを挑んでいるのだ。きちんとフェアにしているよ。小説内の情報のみで考えたまえ。といっても君には難しすぎるだろうから君の質問には答えてやってもいい。他のテナントの関係者は関係ないよ。誰も何も見ていないし、誰も何も犯行に関わっていない」

「そうか。本当なんだな?」

「小説の外でも私が吹っ掛けていたら、君は到底勝てっこないだろう」

「……ああ、わかった」

遠回しにKPに馬鹿にされたことに気づいたSHは話を切り上げた。

 真面目に考えよう。口に出しながら整理の続きをすることにした。

「警察が犯行を特定できない理由は凶器、アリバイ、動機だ。動機で犯人を絞るのは私は好きではないし、メタ的な視点になってしまうが、現時点で犯行につながりそうな動機が見つかっていないということは、ゲームをクリアするにはわからなくても問題ないはずだ」

「現に殺人事件が起こっている以上、何かしらの隠れた動機はあるだろうが、これはゲームだ。君の言う通りだね」

 となれば動機は考察の対象から除外される。

「残りは凶器とアリバイか。凶器だが、警察が捜索しても発見されなかった。凶器はもはや外部に持ち出されたのか?でもさっき外部に協力者はいないと言った。……こういうのはどうだ。犯人は凶器を窓から捨てた」

「君は問いを忘れていないかい。問いに対応して答えてごらん」

「そうだったな。犯人は凶器を窓から捨てた。だからビルの窓の下を調べれば凶器を発見して犯人が特定できるかもしれない。指紋とか血痕とか調べればよいからな。事務所内を捜索したとはあったが、まだビルの外まで捜索してないのだろう」

 KPは驚いた素振りもなく「そうだね」と告げた。

「その答えはありうる。否定するつもりはないよ。ただ私はもっと面白くかつ美しい回答を提示できるね。このゲームのミソは回答がいくつも考えられるところだ。私よりいい回答を見つけられたら君の勝ち。私をぎゃふんと言わせたいと思っている君にはちょうどいいだろう」

 一応褒められているのかもしれないが、SHはまったく嬉しくなかった。内心を見透かされているようなのも気に食わない。

 このゲームに挑むことはKPの手のひらの上のことにすぎないかもしれないが、だからこそ勝ったときの感動はひとしおだろう。SHは正攻法でKPに勝つために、思考を続けることにした。

「アリバイについては、今回全員にないことが問題なんだよな。死亡推定時間をもっと絞り込めないものなのか?甲野が仕事していれば電話やメールの履歴が残っているかもしれないだろう」

「とすればどうなるんだ?」

「甲野の通話履歴やメールを調べるんだ。例えば、午後五時に通話履歴があったとする。午後五時以降の時間は丙山と丁川にはアリバイがあるから、犯人は乙野ということになる。ああ、丙山と丁川が共犯だったら特定にはならないのか」

「まぁ、悪くないよ。通話履歴やメールで死亡推定時間を絞れる可能性はあるだろう。ただ、君が言うとおり、犯人特定のためには弱いよね。現実的にはする捜査だろうが、もっといい方法はないのかい?」

 どうもぱっとした答えが思い浮かばない。SHは歯がゆかった。何か突拍子もない案は思いつかないものか。

「事務員内にいた三人とも共犯だっていうのはどうだい。それならアリバイなんて意味がないだろう」

「それは否定できないが、君自身はそんな回答で満足できるのかい?」

「……。今のはナシだ」

「時計が狂っていたとか事務所内に第三者とかいたとか甲野は死んでいなかったとか、そういうつまらないものはやめてくれよ」

KPに先手を封じられた。

真面目に考えたが、SHにはこれ以上妙案が浮かばなかった。

SHがKPをぎゃふんと言わせることができないことも、運命付けられているのだ。

「もうお手上げだ。君の答えを教えてくれ」

 SHが両手を上げてKPに懇願すると、彼はニヤリと笑った。

「凶器だよ。君は気づいていなかったようだが、ここは法律事務所だよ。君ならどういう場所がわかるだろう。レンガ状の物なんていくらでもあるじゃないか」

「は?……ああ、そういうことか」

 KPに指摘され、SHは初めて気づいた。

「法律事務所には法律書が山のようにあるのが大抵だ。確かに最近では書籍の電子化が進んでいるが、甲野法律事務所には『大量の本があり』という文章があっただろう。その中でも特に凶器に向いている本といえば」

「六法か」

 KPは大きくうなずいた。

「六法はソフトカバーだからそのままだと凶器には向かないかもしれない。しかし、ケースに入れてあればどうだろう。おあつらえ向きにレンガのような凶器になるだろう。重さも申し分ない。甲野の執務室には事務所の創立時から平成三十二年度の六法までそろっていたという文章があったね。これから六法が持ち出されたことがわかるのだよ」

「なぜだ?事件が起きたのは平成三十二年十一月三十日だろう」

「君は最新版の六法を買わない不真面目な人間だったのか?六法は前年度の10月や十一月に次年度版が発売されるのが常だ。当然、事件当日には平成三十三年度版の六法が発売されていたはずだ。甲野は真面目な仕事ぶりがうけていた弁護士だよね。きちんとした弁護士なら、事件当日、執務室には平成三十三年度版の六法があるはずだ。でもそれがない。六法は机上に置いておくもので、常日頃持ち歩くものでもない。なら平成三十三年度版の六法は凶器とし使用され、犯人が持ち去ったと考えるのが自然だろう」

「本棚にはびっしりと本が詰められていたはずじゃなかったか」

「最新年度の六法は本棚ではなく、机上の上に置くものだろう」

「あと、警察の捜査で事務所からなくなったものはないと書いてあったじゃないか」

「そうだよ。六法は事務所からは持ち出されていない。甲野の執務室から持ち出され、事務所内の犯人の手元にあるんだ。法律事務所に六法があってもなんら不自然ではないし、警察も死体発見直後の捜査で本の一冊一冊を調べるとは限らないからね」

KPはそこで一度言葉を切った。

「問いに対する答えを述べるならば、同じ年度の六法を二冊持っている者がいるはずだ。そのうちの一冊が凶器のね。警察には容疑者の六法をもう一度調べてみろ、そうすれば犯人が特定できるはずだと伝えることになるだろう」

 SHはぐっと唇をかんで押し黙った。

 法律事務所という場所を生かした発想。警察がミスしても不自然ではない凶器。指紋なんかよりも確実に犯人が特定できる方法。自分の回答よりKPの回答の方がずっと面白くかつ美しいことは認めなければならなかった。

 KPはさらに追い打ちをかける。

「私としては、君がここで何か反論してくれると嬉しかったのだが。例えば、新民法は平成三十一年公布、平成三十四年施行だとしよう。六法は公布された法律を基準に記載するよね。だから平成三十三年度版六法には施行後の法律が記載されていて、仕事で使うには使いにくかったんだ。結果甲野は平成三十三年度版六法を購入しておらず、平成三十二年度版の六法を机の上に置いていた。そうなれば本棚に平成三十二年度版まで揃っていたことこそが奇妙で、平成三十二年度版の六法は犯人が凶器として使用した後に本棚に隠したんだ。だから本棚の平成三十二年度版六法を調べてみれば犯人がわかるはず。こういうのはどうだい?」

 SHの完敗だった。

 KPはアームチェアにより深く腰掛けると、もうSHに興味はないかのように窓の外を眺め始めた。

 SHはそんなKPを見ると腹立たしく、最後に一矢向いてやりたくなった。

「君は先ほどフェアなゲームにしたと言っていたな。君が言うような六法の発売日だとか置き場所だとかはみんなが知っているような情報じゃないだろう。君の回答は推理小説として著しくアンフェアだ」

 KPは窓の外を眺めたまま何の迷いもなく答えた。

「君という読者は六法の発売日やら置き場所やら当然に知っている。推理小説でいちいち一日は朝から始まって夜で終わるという説明をしなければいけないのかい。読者に知りうる限りの情報の中の回答なのだから、非常にフェアな小説だ」

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