第12話
オレに母親は、いない。
オレが四歳の時、交通事故に巻き込まれて亡くなった。
親父にとっては突然の悲報で、最愛の人を亡くしたばかりだったというのに、悲しみにくれる暇もなく、さしせまった生活について色々と真剣に悩んだそうだ。
会社ではそれなりに責任のある立場を任されていたらしく、夜遅くなってしまうことも頻繁にある。
まだ四歳のオレを一人、誰もいない家に置いとくわけにもいかないし、そんな遅くまで預かってくれる保育所もそうはない。
いっそのこと会社を辞めて、近場で定時に上がれる仕事に変えようかとか、オレと一緒に北海道の実家のほうへ引っ越そうかとか。
かなり悩んでいたそうだ。
そんな親父に提案してくれたのが、隣の、桜さんと
親父が仕事に行ってる間、隣の家でオレの面倒をみることを。
桜さんと梓の母親である
オレは全く覚えてないが、母さんが生きていた頃は両家の行き来は頻繁だったし、温泉旅行なんかも一緒に行くほど元々両家の仲が良かったこと。
そんな環境だったせいもあり、当時小学生高学年だった桜さんにオレがよく懐いていたこと、さらにはオレと梓も同い年で仲も良かったこと、等など。
理由を挙げればそんなところだろうか。
もちろん突然母親を亡くしたオレや、途方に暮れていた親父に対する同情という面もかなり大きかったとは思う。
桜さんに似て、優しい人だからな、葵さんは。
……いや逆か。桜さんが葵さんに似たのか。
まあ、それはともかく。
親父はかなり悩んだみたいだが、結局はその申し出に甘えることにした。
そしてオレは隣の家で、生活のほとんどを過ごすようになった。
寝るのも隣の家。起きるのも隣の家。食事も隣の家。
週末くらいじゃなかったかな。
自分の家で親父と過ごしたのなんて。
ちなみに、当然ながら風呂も隣の家。
ホントに小さい頃は桜さんとも一緒に入ったことがあるそうだ。
残念ながら全く覚えてないが。
どうでもいいことだが、梓とも一緒に入ったこともあるそうだ。
けど、もちろんこちらも全く覚えてない。
それでも学校の連中に知られたら、袋叩きに合いそうだな。
中学に上がる頃になると、さすがに寝るのは自分の家でするようになった。
あと、風呂もな。
葵さんと桜さんには「遠慮すること無いのに。家族のようなものなのだから」と何度も言われたが、梓はおそらくホッとしてたと思う。別に嫌われていたとは思ってない。ただやはり同年代の異性がずっと寝食を共にするというのは、な。
実はオレもだ。
なんとなく気恥ずかしくて、な。
たぶんオレは、その頃から桜さんを異性として意識し始めてたんだと思う。
桜さんが自宅から通っていた大学を卒業し、オレと梓が中学を卒業したとき、オレの親父は仕事でスイスへ赴任することになった。
というか、何年も前からそういう話はあったのだが、せめてオレが中学を卒業するまでは、と待ってもらっていたらしい。
親父に「一緒に行くか?」と聞かれた。
だが、オレは首を横に振った。
スイスなんてとんでもない。
その頃のオレにはもう書籍化作家になりたいという夢があったし、何よりも離れたくない人だっていたのだから。
親父もその答えは何となく察していたのかもな。
だから「一緒に行こう」とかじゃなく「一緒に行くか?」と尋ねてきたんだろうし、オレの答えにあっさり納得して、オレが日本に残ることを了承してくれたんだろう。
同じ頃、桜さんと梓の父親も九州の方へ転勤になった。
こちらも、桜さんはもう大学を卒業して社会人になったのだし、梓も高校入学が決まったところだったしで、二人は残り、葵さんだけが付いていくことになった。
こうしてオレは自分の家で一人暮らしを、そして隣の家では桜さんと梓が二人暮らしをすることになった。
ちなみに、高校生になってから食事も自分で、とは思っていたんだが、夏休みにAI作成という作業に没頭しすぎて堕落した生活を送ってしまったため、桜さんの厳命により、朝食だけはいまだに隣の家でやっかいになっている状態だったりする。
朝食はしっかり摂るということと、一日一回はちゃんと元気な顔を見せること、という意味で。
今朝は寝坊して桜さんに会えなかった。
夜にでも、ちゃんと顔を出さないとな。
◇
梓が持ってきてくれたバスケットの中身はサンドイッチだった。
卵焼きと、あとおにぎりかなと思ってたんだけど、ちょっと違ったみたいだ。
バターの芳しい匂いの正体は、炒り卵だった。
ふっわふわな炒り卵と、野菜などのサンドイッチ。
すっごく美味しそう。
オレは早速一つつまんで食いついた。
美味い!
さすが桜さん!
「……作ったのは姉さんだけど、持ってきてあげたのは私なのよ? 寝坊して遅刻しそうな優を起こしてもあげたんだし、少しくらいは感謝してくれてもバチは当たらないわよ?」
そういいながら、足元の本などを拾い上げていく梓。
確かにそうかもしれない、とは思う。
でもあれは「起こした」じゃなく「叩き起こした」じゃないか、とも思う。
頭を枕で叩かれ、フュンフに桜さんの真似をさせて起こすという悪行を、にやついた顔でやられたことを考えると、とても素直に礼を言う気になれん。
それに……
サンドイッチを頬張りながらチラッと梓の方に視線を向ける。
幼馴染というより、ずっと
そんな相手に改めて感謝の言葉なんて、むず痒いほどの気恥ずかしさがある。
「ってか、何やってんの梓?」
「何って、見れば分かるでしょ。優の部屋があまりにも散らかっているから、少し片付けてあげてるのよ。もう何よコレ。ホント足の踏み場もない。よくもまあ、こんなゴミ部屋に平気でいられるわね」
ゴミ部屋は酷くね?
「いいよそんなことしなくても」
「優は良くでも、私が嫌なの。こんな部屋に足踏み入れたくないわ。うわっ靴下も脱ぎ散らかして。いつのよこれ。ちゃんと洗濯しなさいよ」
別にオレが部屋に来てくれと頼んだわけじゃない、とか。
もう勝手に踏み入れてるじゃん、とか。
そもそもここはオレの部屋なんだが、とか。
色々言ってやりたいことは無いわけじゃないが。
ほんの少し散らかっていたのは事実だし、オレは朝食を食べるのが忙しいし、好きにさせてあげよう。
あ、このレタスとチーズとハムのサンドイッチも美味い!
一通り散らばっていた本を拾い上げ、本棚にしまいこんだ梓がボソッと呟いた。
「……無かったわね」
「ん? 何が?」
部屋の片付けをしてくれていたとばかり思っていたんだが、何か捜し物でもしていたのか?
「いかがわしい本」
……は? 何言ってんだ、こいつ。
「あったら姉さんに報告しようと思ってたんだけど、残念」
――悪魔かキサマ!
「そんなことより、早く食べ終わって、顔洗って着替えなさいよ。あ、歯磨きも忘れずにね。早くしないと遅刻するわよ?」
お前っ! いつの間にオレのおかんにジョブチェンジしたんだよっ!
そんなセリフが思わず口から出そうになったが、なんとか呑み込んだ。
◇
既に靴を履いた梓が、ドアを開けてもたれかかり、オレを待っている。
「早くしなさいよ、優。ホントに遅刻するわよ」
「はいはい」
バスケットは台所に置いといた。
学校から帰ったら取りに来るそうだ。
教科書などが入ったリュックを一旦置き、オレも靴を履きながら口を開いた。
「梓。サンドイッチ、めちゃ美味かった、ありがとうって桜さんに言っといて」
「自分で言えばいいじゃない、そんなこと」
「もちろん言うよ。当たり前だろう? それでも、梓からも言っといてって言ってるんだよ」
「当たり前? 今、当たり前って言った? ……この扱いの差はなんなのかしら。ぜったい納得出来ないわ」
梓がなんかぶつぶつ言ってる。
よく聞こえなかったな、うん。
「全く。さっさと告白でもしちゃえばいいのに」
梓のそんな声が聞こえ、オレの視線が思わず梓に向けられる。
オレと梓の視線が交わる。
「姉さんが好きなんでしょ? もしかして隠してるつもりだった? 見ててバレバレなのよ。姉さんだって薄々気付いてるんじゃないかしら。そんなに好きなら、さっさと告白でもしちゃいなさいよ」
梓の瞳には、からかう様子は感じられない。
なんか、当たり前のことを普通に口にしてるって感じだ。
……そっか。
梓は知らないんだ。
そりゃそうだよな。
オレも梓に話したことはなかったし、桜さんだって、いくら仲の良い姉妹でもそんなこと話すわけないよな。
さらに梓は、余計な一言を追加してきた。
「……そして、派手に玉砕してくればいいのよ」
一瞬、オレの頬がひくついた。
玉砕するって決めつけるなっ!
と言い返したいところではあるが。
まあ、その通りだったんだけどさ。
「告白なら、もうとっくにしたよ」
「………………え?」
梓の目は、これ以上ないってくらい大きく開かれてた。
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