第9話

「ほぇ……」


 かえでさんが机に寄りかかった姿勢のまま、ほうけたかのような、少し間の抜けた声をこぼした。


 壁の時計は午前一時を少し過ぎたところだ。


 さすがにちょっと長話しすぎたかな?

 明日は……いやもう今日だけど、日曜日だから学校は無い。

 オレの交通手段は自転車だし、帰っても寝るだけだから、オレは構わないと言えば構わないんだけど。


 でも楓さんは確か地下鉄じゃなかったか?

 この時間だと、さすがに終電も終わってるだろう。

 今更だけど、ホントに良かったのかな?


 そりゃあ、もともとは朝まで徹夜の作業も覚悟してたんだし、楓さんも構わないのかもしれないけど。

 でもせっかく仕事が早く終わったのに、いつまでも職場にいるというのもねぇ。


 視線を向けると、彼女はさっき入れ直したばかりの湯気が立ち上るマグカップを両手で持ち、それに口をつけながら何かぶつぶつと呟いている。


「きっかけとなった論文があったとはいえ、それをたった一人で磨き上げブラッシュアップして、たった一人で作り上げちゃうなんて……。やっぱりゆうクンって……」


 声が小さくて最後のほうはよく聞き取れなかった。


 ……ま、いいか。


 オレも、さっき一緒に入れ直してもらったコーヒーに口をつけた。


 少しお腹も空いてきたな。

 もう話もほとんど終わりだろう。

 帰りにコンビニに寄って、おにぎりでも買って帰ろうか。


 そんなことを考えていた時――


「で? どうなったの?」


 いつの間にか楓さんの視線はオレに向けられていた。


「どうなった、とは?」

「話の中にあった、優クンの抱えていた問題ってやつよ。解決できたの?」


 ああ、そのことか。


 オレはゆっくりと首を横に振った。


「まだ途中の段階ですね。解決までにはいたってません」

「そっか……」


 楓さんはちょっと困ったような微妙な笑みを浮かべた。

 オレの当初の目的が既に達成されているならば「もしや……?」と考えたのかもしれない。


 残念ながら、オレが抱えている問題は、そう単純じゃないんだ。

 彼女AIたちの力を借りても、まだまだ解決までには時間が掛かりそうなんだよなぁ。


 そもそも、解決なんてできるんだろうか……?

 最近そんな気がしてきてるくらいだ。


「つまり、優クンにとって人工知能AIは、あくまで手段であって目的ではないってことよね?」

「ええ。まあ、そういうことです」

「そっか。うん。そこまでは分かったよ。……じゃあ、その目的って何? それは、例えばこの会社で、私達と一緒に成し遂げることは出来ないの……かな? もちろん私だってできる限りのサポートはするよ? ……公序良俗こうじょりょうぞくに反しない範囲で」


 ……その予防線はどういう意味ですかね?

 さっき自分で〝両手に花〟とか言ってませんでしたかね?


 まあいいや。

 それは置いとこう。


 オレはマグカップをそっとテーブルに置いた。


 オレの目的。

 彼女AIたちを作った目的。


 そう。

 その話がまだだった。

 それが一番大事な話だ。

 彼女AIたちを作ったという話は、その前振りに過ぎないんだった。


 オレは一度目を閉じた。


 別に秘密にしているわけじゃない。

 それを口にするのが恥ずかしいというわけでもない。

 ましてや公序良俗に反するような話じゃ、もちろんない。


 ただ、今までそれを話したことがあるのは桜さんとAIたちと、アイツだけだ。

 親父にも、他の友達にも言ったことはない。


 だからちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、なんとなく躊躇ためらってしまう。


 でも、これをちゃんと言っておかないと、楓さんも納得してくれないかもしれない。

 何故楓さんの会社で働くことが出来ないのか。

 何故オレはそれを断っているか。


 オレは目を開き、そしてゆっくりと口にした。


「……オレには目標があります。オレの夢、それは書籍化作家になることです。そして人工知能AIを作った目的は、オレのその目標を手伝わせることなんです」


 口にしながら楓さんを見上げる。

 オレと楓さんの視線が交わる。

 そして楓さんの口がゆっくりと開き……


 …………あれ? 何も言わない?

 中途半端に口が開いたまま、オレを凝視したまま、なんか楓さんってば固まってフリーズしてる?


 驚いてる……のか?

 そりゃあ、楓さんにはオレが小説を書いてるなんて言ったことないからな。

 多少は驚くかもしれない。

 でも、そこまで驚くことか?


 軽く十数秒ほどの時間が経過して、ようやく楓さんはフリーズ状態から再起動できたらしい。


「……ゴメン優クン。なんか私、聞き間違えたのかも。悪いけど、もう一度言ってくれる?」

「ですから、オレの目標は物語を作る人、作家になることで、それを手伝ってもらうために彼女AIたちを作ったんです」

「……聞き間違いじゃ、なかったよ」


 なんか楓さんの左頬あたりがヒクヒクしてる。

 なんでだろう?


「よく分からないんだけど、それって、彼女たちに小説を書かせてるってこと?」

「まさか。違いますよ。それじゃあ意味無いです。オレは自分で物語を作りたいんです。自分で考えた、自分が面白いと思える物語を、そしてみんなにも面白いと言ってもらえる作品をね」

「えっと……じゃあ、彼女たちの役目は何?」

「ネタ探しとか、誤字脱字などの間違いの指摘とか、いろいろあるんですが、一番必要なのが〝分析〟ですね」


 楓さんが頭をひねった。

 彼女の頭の上に疑問符クエスチョンマークが見えそうだ。


「……分析? 何の?」

「もちろん小説の、です。特に世の中に出回っている人気作品の分析です。より多くの人に楽しんでもらえるにはどうすればいいか。どういう展開が喜ばれるのか、楽しんでもらえるのか、今の流行りはどういうものなのか、などなど」

「……それはつまり、自分の小説の人気を上げるために?」

「そりゃそうですよ」


 オレは自分の好きなことを自由に書きたい。

 とはいえ、世の中から全く見向きもされないのは非常に悲しいものがある。


 せっかく書くんだ。

 できるだけ多くの人に読んでもらいたい。

 楽しんでもらいたい。


 人気取りだけして自分では面白くもない作品を書くつもりはないが、かといって自分一人だけが面白いと思える独りよがりな作品じゃダメだ。

 誰にも読んでもらえなければモチベーションは続かないし、第一そんなんじゃ書籍化作家になんてなれっこない。


 多くの人に受け入れられる要素を取り入れつつ、自分が面白いと思える作品を創り出したい。


 そのために、どうすればいいのかを彼女たちに分析させている。

 人気作品の分析をして、そこから何かしらのヒントを掴むために。


「誰でも投稿できる小説投稿サイトってあるよね? もしかして優クンも、そこに投稿してたり、する?」

「ええもちろんです。実はもう三年くらい投稿し続けてるんですよ」

「へぇ……で、優クンの小説は、人気が無いの?」


 ――ッ!?


 一瞬息が止まるかと思った。

 今、何気ない言葉の刃でマジ背中をグサッと刺された気がした。


 否定は、しない。

 つうか、できない。

 まったくもってその通りなんだけどさ!

 でも頼むよ、楓さん。

 少しは言葉を慎重に選ぶとか、オブラートで包むとかしてくれよっ!



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