第5話
「やってくれたわね、あのハゲオヤジ!」
後ろで
さっきまでの上機嫌は何処へやら。
まあ、その気持ちは分からないでもない。
「七万八千よ! 七万八千! とんでもないでしょ! ありえないでしょ!」
『正確には七万八千五百二十二個でございます』
ご丁寧にもノインが訂正を入れてきた。
でもそれって、火に油と灯油とガソリンを注ぎまくって、さらに火薬を振りまくようなものだから止めようね?
と、言ってあげたかったのだがそんな口を挟む間もなく、楓さんの雄叫びがオフィスの中に響き渡る。
「そんな端数なんかどうでもいいの! 七万八千よ? 仮にファイル一つを一秒で確認できたとしても、全部で二十時間以上かかる計算になるのよ! そんなのやってられないわよ!」
まるでそこらの椅子でも蹴飛ばしそうな勢いだ。
まあ、確かにな。
そんな地道な作業を長時間なんて、とてもやってられない。
それにそもそもそんな悠長なことをしてる時間も無い。
壁の時計は現在零時十六分。
今回の作業は朝の午前六時までだ。それがタイムリミット。
そういう契約のハズだ。
ノインの解析能力ならファイル一つに一秒もかからないだろう。
だがそれでも、七万八千ものファイルを全て解析していては、さすがに六時までに完了させるのは難しいと思う。
もちろんギブアップなんてのは論外だが。
さて、どうするかなぁ。
「やっぱり、文句言ってやる!」
ドンドンッと足を踏み鳴らしたと思ったら、楓さんは今度は胸ポケットからスマホを取り出した。
「どうする気です?」
なんとなく察してはいたが、一応聞いてみた。
「決まってるじゃない! 電話して文句言ってやるのよ!」
あ、やっぱり。
「こんなのズルよ! ルール違反よ! 契約違反よっ!」
「夜中の零時過ぎですよ?」
「そんなの関係無いわ!」
これだけ憤慨してる楓さんを見るのは久しぶりかも知れない。
オレにこの楓さんが止められるだろうか?
いや、自信無いなぁ。
こんなとき桜さんがいてくれれば……
そうだ!
桜さんに電話してみるか?
例の深夜アニメを見てるなら、まだ起きてるだろうしな。
……いや待て。
今日はそのアニメの最終回なんだ。
それをリアルタイムで見たいがために、今桜さんはここにいないんだ。
もしかしたら今ちょうどクライマックスかもしれない。
そんなところに電話なんかしたら……?
オレには視える。
桜さんを超絶不機嫌にさせてしまう未来が。
もし……もしもだよ?
それで嫌われたりなんかしたら?
そこまでいかなくても、冷たい視線を向けられたりなんかしたら?
背筋に何かヒヤリとしたものを感じた。
……ダメだ。ぜったいダメ!
この案は無し!
ってことは結局、オレが楓さんをなんとか止めないといけないわけで。
「……少し落ち着きましょう? 楓さん?」
「なんでコレが落ち着いてられるのよ!」
楓さんがマジでスマホを操作し始めてる。
本気で怒鳴り込むつもりらしい。
「気持ちはよーく分かります。でも今相手の会社に電話したって、その部長さんはいないでしょう。夜勤の技術担当者はいるかもしれませんけど、あまり事情は知らされてないかもしれませんし、だとしたら怒鳴り込んでも意味無いでしょうし、ちょっと可哀想ですよ」
「それは……。じゃあハゲオヤジの自宅の電話番号を……」
「教えてくれませんよ、ふつー」
個人情報ってやつだ。
このご時世、よっぽどのアホでもない限り、社員の個人宅の電話番号を他人に教えるなんてことはしないだろう。
楓さんもそれは理解したらしく、スマホを操作する指の動きが止まった。
だけど、まだ左目あたりがピクピクしてる。
そのままスマホを睨んでる。
まるで、そこに憎き
「……じゃあ、
……へ?
おいおいおい。
それってもう、ハッキングじゃなくて、立派なクラッキングですって。
一発アウトの完全な違法行為ですって。
……そりゃあ、まあ、できないとは言わない。
むしろ十分にやれちゃう気さえしてくる。
その場合気を付けなきゃいけないのは身バレしてしまうことだ。
完全完璧な隠蔽工作が必要になる。
海外の
いやいやいや!
しないから!
そんなこと、絶対しないから!
ちょっと面白そうかもとか、一度くらいは挑戦してみようとか、全然これっぽっちも考えてないから!
危ない危ない。
危うく
「……ぜったいしませんからね?」
なんか、楓さんの恨みがましい視線がオレに突き刺さってくるような……
話を変えよう。
っていうか、元に戻そう。
「一応確認しますけど、取り交わした契約には、ターゲットと同名のファイルは他に存在しない、と書かれてたりしますか?」
「そんな細かいこと、条項には書いて無いわよ!」
ですよねぇ。
だとしたら……
「残念ながらこういうのは別にルール違反ってわけじゃないんですよ。〝木を隠すなら森の中〟って、よく言うでしょ? 昔からの常套手段ではあるんですよ」
「それ……は、そうかもしれない、けど……」
少しは落ち着いてきてもらえた……かな?
でも、まだ全然納得できてないみたいだ。
そりゃそうだろうな。
言ってみれば、じゃんけんで後出しされたようなモノ……かな?
しかもそれは、厳密な意味ではルール違反じゃないときてる。
そして同時に、なんとなく察した。
これがハゲオヤジ……もとい、部長さんの奥の手ってやつだったんだと。
物量作戦……とでも言うのか?
これがあるから、絶対無理だと自信満々に言い切ったんだろう。
これを打開する手段。
もちろん無いわけじゃ、ない。
オレなら……?
たぶん、できる。
ちらっとモニタに視線を向けてみる。
どうやらノインは次の指示を待っているみたいだ。
もちろんこの後の作業はオレがやってしまってもいいんだけど。
でも、発想を変えてみれば、これは良い学習機会かもしれないんだよな。
だったら、この
壁の時計は現在零時二十分。
あと十分で終われるかな? うーん……微妙かな。
「楓さん。ちょっと、任せてもらえませんか?」
「……そりゃあ、もともとこの仕事は優クンにお願いしてたんだからそれはいいんだけど。でも、どうするの?」
オレはそれに答えず、ノインに向かって口を開く。
「ノイン」
『はい。マスター』
「オレたちが欲しいのは七つの数字が書かれている画像ファイルだ。この七万八千以上のファイルの中から、それを見付けるにはどうすればいいかな? 検討してみてくれる? 制限時間は十分。もしそれを過ぎたら……」
オレはわざとそこで一旦言葉を区切った。
両肘をテーブルに突き、組んだ手の甲の上に顎を載せる。
そんな頬杖をついた姿勢で、ゆっくりとノインに向かって言葉を続けた。
「あとはオレがやるから」
……ちょっと、意地の悪い言い方をしてしまったかな?
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