第陸話〈花霞邸襲撃事件〉

(事前)


 師走とはよく言ったもので。年末の多忙さ、そして百鬼椿ひとでなしをして『胃を痛めそうだ』と言わしめた面倒事の数々。


 虎ノ門事件を皮切りに、統制された霊魔による襲撃。〈山郷決戦〉にて前線花守の二大筆頭の一、朝霞あさか神鷹じんようの脱落。〈夕京五家〉の山郷さんごう、その〈三本刀〉である山郷家長男雄一郎ゆういちろうの死亡。次男信次しんじ、長女初雨うめの裏切り――浮き彫りになった


 同じく五家、深山みやま家唯一の生き残り、深山杏李あんりの覚醒。


 後見人になった覚えもないが、ちと安請やすういをした気もする。こちらも唯一の生き残りである霧原きりはら灯花とうかと霧原家の刀霊〈霧渡キリワタリ〉の正式な契約。



 ……実は椿つばきが普段から吸っている紙巻煙草は今上天皇依花よるかからの下賜品かしひんであり、結構な高級品なのだが――こうも状況が押し寄せると『喫する』とは言えない、作業について回る動作のようなもの、に成り下がっていた。


功勲こうくん在らねどこうべ存野ありしの】……打ち立てる霊魔討伐の功績に対するほまれはその一切を受けず、代わりにまつりごとの一切に関わらない――そんな百鬼なきり家が夕京にて迫間はざまに下る条件として持ち出した契約も既に破綻しつつある。


 契約を交わした迫間家は〈霊境崩壊〉に際し一族郎党全てが死亡している。加えて現況……御旗であった朝霞家の失墜。べて〈鬼神〉と呼ばれた椿と、彼が率いる一門をいる余裕はもう、どこにもなかった。


 ヒトの身でありながら幽世かくりよの力で永らえ、神気を以って霊魔を討つことのできるようになった……なって杏李の目付け役兼、万一の暴走に際しては『その首を落とせと』命じられたひとでなし。


 明けて慶永けいえい七年二月。神守かんもり翁寺おうじ両区奪還戦――通称〈神翁かんおう奪還作戦〉を経て、百鬼椿は花守の本拠地であり現在の居住、花霞かすみ邸の禁裏に呼び出された。





「それでは椿、後は頼みます」


『ンなもん頼まないでください』……などとは口が裂けても言えない。相手は今上天皇である。幼少期に神鷹と二人で遊び役を賜っていた頃ならともかく。正式な場にいて椿にできるのは平服したままの姿勢で無言の是を表すことだけだ。


 依花はこれより、出雲いずもへとつ。立場上神事をないがしろにもできず、また幽世との戦闘が絶えない夕京に留まり続けるよりも、神霊の加護厚き地にて神気を養い瘴気を落とすには都合が良い。懸念けねん材料と言えば去年起こった暗殺未遂だが……神事なれば軍部を退け、精鋭たる近衛このえの面々で固めた以上は再発があっても防げよう――少なくとも、ヒトと霊魔が同時に襲い掛かる事態だけは避けられる。



「……何か、他にありますか?」


 十以上も年下の、自分を労わる声。


「畏れながら」


 ややあって、椿は依花のいなくなる花霞邸への懸念を口にした。




「――


 夕京五家、朝霞家の長であり幼馴染でありかつての戦サ場での相棒であり親友。


 瘴気に身を侵され床に伏した神鷹をこそ警戒しろ、と。


「椿……おもてを」


 ままに上げられ、交差する視線。そこに在る冷徹。


 対象が誰であれその区別をしない鬼の無感動。


 自身を慕った者。共に戦った者。好意を寄せてきた者。それらが敵方に堕ちても鈍ることのない、鈍ることなどできない、



 ――魔を狩る一門の長は、付き合いが長かろうが夕京五家であろうがその刃を振るうことに躊躇ためらいを持たない。


 視線を受けて依花は悲痛に眉を寄せたが、小さく、けれどしっかりと頷いた。


「……わかりました。くれぐれも、もう無茶はしないでください、椿」


「確約は致しかねます、陛下。お戻りになられた時に、この夕京を取り戻せているかどうかも怪しい」


 ですが、と非礼を承知で椿は続けた。



「少しはマシに、しておきます」


 それが、この場に於いて椿が出せる精一杯の冗句じょうくと取れて、依花も少しだけ笑顔を浮かべた。



 椿の懸念に嘘はない。


 深山杏李の暴走もそうだが、この少女は例外と言える。


 普通に考えて現世においては瘴気に侵されきって、その魂の護り全てを剝がされた者が先ず霊魔へと成るのだから。覚醒の機にもなった、杏李の護衛だった花守がなったように。


 半年近く前、迫間にて戦い続けていた時に、多くの迫間家の花守たちがそうであったように。


 禁裏から辞した椿は足早に廊下を進み、煙草をくわえて燐寸マッチを擦る。


 やはり、くゆらせた紫煙をゆっくりと味わうほどの余裕は無かった。



 先の神翁奪還において、とは出くわさなかった。


 自分が首を落とした、山郷初雨のように――山郷霊脈の結界の中で、それを隠しおおせすような〈魔〉は。


(さて、どう出る――)



 二月。春には遠く、雪化粧も落ちることを知らない長い冬。


 吐く息は煙を混ぜずとも、ただ白かった。

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