手合わせ
廊下の明かりを受けて周囲から浮かび上がっていた影は、病室の闇の中に一瞬で溶け込む。私の目がその形をきちんと認識する前に、激しい金属音が鳴り響いた。
いきなり始まった戦闘に、私はただ、息を殺すしかできない。
カーマインが腹部を狙って薙いだ一撃を敵は紙一重で躱し、体勢も崩さずに顔めがけての突きを繰り出す。顔をわずかにずらしただけで避けたカーマインが、返し刀で逆袈裟に切り上げた。
敵はそれをベッドの上に予備動作無しで飛び乗って避ける。
先ほど来た三人組と違って、かなりの手練れだと思う。だって、カーマインに誰何を問う余裕が無い。
ベッドを足場にした事からも、スクワルを殺すためにやって来たのではないみたい。
狙いは、カーマイン?
病院の個室の中、しかも富裕層向けに造られていない広さだ。先ほどの三人組では気にならなかったが、二人が動き回るとかなり狭く感じる。それをものともせずただ無言で打ち合っている姿を、魔法円の中は安全とは言え、間近で見るのは流石に怖い。只ゴーレムの時よりも慣れて来たのか、涙が出てくる事は無かった。
互いに打ち合い、弾いたタイミングでもう一度打ち合う。そのままつばぜり合いが長く続き、二人がにらみ合ったところで、敵が初めて言葉を発した。
「女の声がしていたわね、誰と話していたの?」
どこかで聞いた事のある、女性の声。私は記憶を探るが、カーマインは直ぐに思い出したようだ。
「シャモア!?」
「私の元婚約者を守っていたのは、私に殺されるかもしれないと思ったから?」
「いや、まさか本人が来るとは思いもしなかったけれど。道理で太刀筋が綺麗すぎると思った」
戦争では補給部隊で活躍の場が無いみたいだったけれど、十分に戦えている。話に聞いて居た限りだと、なんだかお飾りみたいだったのに。
太刀筋が暗殺者のものか騎士のものかなんて私には分からない。余裕が無かったのではなく、カーマインは確認しながら切り結んでいたみたいだ。
「スクワルは元に戻ったんだからそのまま嫁にしてもらえば良いじゃないか」
「そんな事できるわけないでしょっ。スクワルを当てがって自分は逃げるつもりっ?」
「そんなつもりじゃ……」
「嫌よ、あんな弱い人」
仕掛けるのはシャモアで、防ぐのがカーマインと言う形に落ち着いてきた。ここまで来るとカーマインが手加減をしているのが、私にもわかる。
剣戟の合間に会話を交わす。まるで殺陣のある舞台劇を見ているみたい。
「戦えるばかりが強さじゃないだろ」
「自分がゴブリンになったからと言って婚約者に会いに来る勇気も無いのに?」
カーマインが手加減を間違えたのか、弾かれたシャモアの剣がこちらに飛んできた。魔法円の結界にぶつかってキンッと硬質な音を立てた後、カランと力なく床に転がる。
――――――怖っっ。
一拍おいてから状況を漸く理解した私は、足の震えを止める為に踏ん張った。
痛めた手首を押さえているシャモアの視界には入っていないけれど、カーマインが心配そうにこちらを見ている。
「んえ……」
気付かないうちにガガエを両手で握りしめていた私は、うめき声に慌てて手を緩めた。
シャモアは、顔に巻いて居た布を取って、ふうっとため息をつく。髪がはらりと肩口に落ちた。
「やっぱり、あなたは強い。あなたみたいな人の隣に立ちたかったのに」
「何故そこまで……だって、少し話しただけだろ」
「女である私が戦場に立つことをとやかく言わなかったのは、あなただけなの」
前に会った時とは違う、大人の女の人の雰囲気。父親の前で被る令嬢の仮面は外されているんだろう。ここからでは見えないけれど、声色から微笑んでいるように思えた。
「領主の娘としての立場を捨てる覚悟で来たわ。身分や立場を理由にしないで。諦めきれないから」
本気でカーマインを好きだったんだ。カーマインのちょっとした言葉で勘違いしちゃった、イタい人だとばかり思ってた。
カーマインが飛ばされた剣を取りに来る。拾い上げた後に気遣わしげな視線をこちらへ向けた後、戻って剣の柄をシャモアに向ける。
「攻撃してきたのはどうしてだ」
「手合わせする約束もしてたじゃない。勝てないと思ったから闇討ちしてみようかと思って」
「うっかりこっちが手加減せずに戦ったらどうするつもりだ」
「あなたなら分かってくれると思ったの」
ちょっと、面白くない。シャモアは私の存在を知らないから仕方ないとは言え、なんだか二人の世界に入っている気がする。剣を合わせただけで互いに分かりあうなんて、浅い仲なら簡単に出来ないはずだ。
そのままラブシーンに突入しようとしたらどうしようとハラハラしながら、やっぱり見ていることしかできなくて。
私が見えない場所でほんのり胸を痛めていることを、何も知らないシャモアは嬉しそうにカーマインから剣を受け取って鞘に納めた。
「いろいろ言われているけれど、破棄してきたのはトリエーレ側よ。だから、私はあなたに懸けたの」
「だとしたら、スクワル本人の意思はまだ聞いていないんだな?」
「それは……」
言葉に詰まるシャモア。暫しの間が開く。
まだ、元婚約者に心を残しているのかも知れない。会話の流れから待っていたのはカーマインではなくスクワルなのかもしれないと思った。弱い人と言ったのも身内を低く言うような感覚で。
だとしたらカーマインに迫らなければいいのに、そうもいかなかったんだろう。貴族令嬢だから、婚約破棄をされたら次を見つけなくてはならない。丁度そこへ戦場で気の合った優良物件が来てしまったのなら、盛り上がる周囲に困った顔をしつつも期待をしてしまうのは、何となく分かる。
「あんなになっても石を持ち続けていたのは、つまりそう言うことなんじゃないか」
「けど、私はあなたを」
「俺にとって君は単なる護衛対象
ぼろぼろにされたベッドに腰掛けたカーマインは、シャモアを真っ直ぐに見た。
「テスケーノへ行った時から俺は君を軽蔑しているから、好きになるなんてあり得ない」
底冷えのするような声。割と柔らかめな声と口調のカーマインが感情を削ぎ落して無機質に答えると、こんなにも冷たい印象を受けるのだと初めて知った。
聞きたくなかった。自分に向けられているみたいで、なんだか少し、怖い。
シャモアも怯えているのかと思ったら、ふっと笑う気配がした。
「スクワルはどこ?元婚約者として見舞いに行かないと。どうするかはそれからね」
「明日またここに来てくれ。案内する」
「分かった」
強い。したたか。大人。フラれた次の瞬間に先の事を考えている。節操がないとも言えるけれど、元々カーマインとは運が良ければって感じだったのかもしれない。
見ているのに分からない。見えていない部分を見ていなかったイーオスをとやかく言えないかも。
シャモアが部屋から出ようとしたところで、医者が戻ってきた。
「運んできたぞーって、何だ、邪魔したか?って言うか誰だ。あの白い嬢ちゃんは帰ったのか?」
「あ、そうだ!ノア、大丈夫だったか?」
先刻みたく誤魔化せばいいのに、深く考えずに返事をしてしまったらしい。しまった、と言う顔をして口を押えたカーマインをシャモアが不思議そうに見る。
「誰かいるの?何も見えないけど」
私はガガエと顔を見合わせ、出た方が良いのか迷う。名前を呼ばれてしまったのでガガエだけを行かせるわけにも行かない。
暫しの逡巡のあと、愛想笑いを浮かべながらしずしずと魔法円の外に出た。
「こんばんは……」
「悪趣味。やっぱりあなたとは仲良くなれそうにないわ」
ぐうの音も出ない。絵を描くためで覗きが目的ではないと言っても、理解できないだろう。何とか弁解をしようと妥当な理由を探していると、シャモアにため息をつかれてしまった。
呆れたのかと思ったら、どうやら違うらしい。
「それはそれとして、取り敢えずお礼を言っておくわ。有り難う、スクワルを治してくれて」
「どうして治したんだって怒られるかと思いました」
「……祖父や父様はスクワルをどう思っているか知らないけれど、私、そんな酷い女に見えるかしら?」
あまり悪役と言うイメージをシャモアに対して持てない私は首を振った―――のに。
「復縁を迫られると厄介だからてっきり殺しに来たのかと……」
カーマインが余計なひと言、もとい本音を洩らすと、シャモアはキッと睨みつけた。
恨みもあってそこから怒涛の文句が始まるかと思いきや、直ぐにふっと力なさげに笑う。
「自業自得、か。―――違うわよ。戦争が終わって武官よりも文官が重視されるはずだから、これからはスクワルを支えようと思って来たの。しっかりフラれて、ついでに手合わせする最初で最後のチャンスだと思って。あなたが彼の傍にいることはおじい様に聞いていたから」
本当に、最初に会った頃と随分と印象が違う。あの時は周りに流されるご令嬢って印象しかなかったのに、今の私には自分の意思をきっちり持った女性にしか見えない。
シャモアはぱんっと両手を打って、言った。
「はい、これでおしまい。明日、またここへ来ればいいのね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます