エルメレム商会

「まだ話してなかったの?」

「…忘れてた」

「あなたが連れて来たんでしょうに」


 ジーナに咎められたイーオスはぷいっとそっぽを向いた。一体ジーナは……このオベルジーヌと言う人物は何を隠しているんだろう。

 短くふっとため息をついた後、ジーナはどうでも良さそうにひらひらと手を振った。


「まあ、どちらでも良いわ。私はね、世界各地に支店を持つエルメレムの一族なの。見ての通りイーオスみたいな貴族とも取引のある商会でね。ディカーテにもお店を出していたけれども、知らない?」


 基本的にアトリエに籠って絵ばっかり描いていたから、実はディカーテにどんなお店があったのかほとんど知らない。トープに聞けば分かるかもしれないけれど、今はあははと乾いた笑いをもらすに留める。

 ジーナは表情を変えることなく続けた。度量が大きいと言うか、些末な事なんだろう。


「私達一族はね、興味を持った分野を徹底して商売的に盛り上げていく血筋なの。父は武具、母はグルメ、他にもファッションや装飾品など、扱う分野は多岐に亘るの。支店にオベルジーヌ宛てで預けてくれれば、輸送は完璧だから心配ないわよ」


 馬車での旅なので、絵の在庫を持ち歩くのはそれ程苦痛では無い。けれどここへ戻って来なくても支店へで売買できる事はかなり魅力的だ。支店には連絡する手段もあるので、お金のやり取りもスムーズに出来るそうだ。


 その代わり、専属の契約なので描いた絵は全てエルメレム商会を通すことになる。


 一か所にずっと住んで絵を描くならぜひとも契約は結んでおきたい。だけど私は旅をする。その上で考えられる限りの絵の依頼を受けるパターンを上げてみた。


「例えば通りすがりの小説家に挿絵を頼まれたりとか」

「どう考えたって原稿はそれなりの規模の街に持ち込まなければならないんだから、支店に連れてきてくれれば一枚当たりの妥当な値段で交渉してあげる。もちろん、描いた後でも良いわよ。私が捕まらなくても、交渉事に向いた人員を配置しているから、大丈夫」


 要は交渉の段階をエルメレム商会で行うと言う話だ。依頼を受けるのを全く禁止するわけではない。だったらこんな場合はどうだろう?


「洞窟に住むドラゴンに絵を描くのと引き換えに命を助けてやると言われたら?交渉人を待つ前に死んでしまうかもしれません」

「……一体どこまで絵を描きに行くのよ」

「出来れば世界の果てまで、です。元々いろいろな生物や景色を描きたくて画家に成りましたから」


 ほんの少し前まで落ち込んで萎みかけていた夢は元通りに膨らんでいる。描きたい生物を片っ端から上げて言ったら、二人とも呆れてしまった。


「やっぱり私なんかと専属契約を結びたくない?」


 ジーナはそれを遠回しな契約の拒絶と受け取ったようだ。自信満々に見えるのに急に弱気になってしまい、見ているこっちが慌てる。


「いえ、結びたいのは山々なんですが縛られるのは嫌なんです。カーマインの時の様に国家権力が相手の時は商会が危なくなるかもしれません。サーカスのチラシの依頼では、ついでに故郷が恋しい人魚に海の絵を描いてあげたこともありましたし。機会があった時に誰かを呼び寄せて交渉するのは煩わしいですよ」

「そうね……私もこんな画家は初めてだから……アトリエには旅をする画家もいたって言っていたわよね?その人はどうしていたの?」

「えっと、アトリエの方に絵が送られてきて、事務員が売るって形でした。そう言えばスマルトさん、他に依頼を受けるってことしなかったのかな?」


 大森林へ行ったのもコンテストの為だったし、依頼を受けずに自分で描きたい絵だけを描いていたんだろうか。もう少し詳しく聞いておけば良かった。

 ジーナはしばらく顎に手を当てて考えた後、パンっと両手を叩いた。


「こうしましょう。専属契約は結ぶわ。ただし、緊急時や画家としてではなくあなたが個人的に受けたい仕事の場合は、あなたの好きなように交渉しなさい。けれど、どこかの団体が関わってくるようなら必ず連絡して」

「随分と都合の良い契約だな。他にこっそり取引相手を作るかもしれんぞ」

「それは信じるしかないわね。だって、この子の才能、余所へ流すのもったいないもの。多少融通を利かせても確保しておきたいわ」


 ジーナの言葉に私は息を飲んだ。


「そこまで私を買っていただけるんですか」

「ええ、だから貴女は何も考えずに絵を描きなさい。売れるか売れないかは私の手腕の問題だから」


 ジーナは自分の二の腕をポンとたたいて見せる。


 ……ちょっと、感動した。


 アトリエを出てから売ることに関しては不安だらけだったから、これほど心強いことは無い。しかも認めてくれた上での言葉。

 苦労らしい苦労なんてまだしていないけれど、それでも報われた気がする。そして、少しだけ鳥肌。

 私は深々と頭を下げた。


「どうぞ、これからお願いします」

「やぁん、長い付き合いにするつもりなんだから堅苦しい挨拶より、こっち」


 私の両手をぎゅっと包み込むようにした握手。商談が成立した!って感じがひしひしと伝わってくる。軽く二、三度そのまま振った後、離れ時を計っていたら画廊の扉が勢いよく開かれた。


「ノアールっっっ!!」


 入ってきたのは何やら必死な形相をしたカーマインだった。


「カーマイン、今寝ている時間じゃないの?何かあった―――」

「ベルタから石を置いて行ったと聞いて、心配で心配で」


 ああ、その事か。


「持ち歩く精霊石は一つだけにしたの。魔力をため込んだってそれほど使う機会が無いし、そっちの方が良いかなって」

「だったらその一つにゴーレムの石を選ばなかったのはどうして?」


 言葉も声色も表情だって優しいのに、なんだか妙な威圧感。知らない間にまた何かやらかしているのかと怖くなった。ちなみに両手は既に解放されている……と言うか、カーマインに両肩を掴まれて自然と外れてしまった。


「イーオスがいるし、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

「画商は男だと聞いた。取引の為に無理難題でも吹っかけられたら……」


 と、そこまで言って漸く隣に立つジーナに気が付いたらしい。今日のジーナもかなり派手な格好だ。画廊に入って真っ先に目に入りそうなものなのに、余程私を心配してくれていたんだなぁ。

 ジーナはニコニコ笑顔を輝かせている。……怖いくらいに。

 

「あら、あらあらまあまあまあ……………アナタ、いい男ね」


 カーマインはたじろいだ。獲物を狙う狩人の目になっているジーナに睨ま…見つめられて、私の肩から手を離して後ずさりした。カーマインはこういうタイプが苦手なのかな?

 ギギギと音がしそうな動作で首を私の方に向けた。心なしか脂汗が見えるような気がする。


「ノ…ア……」

「こちらオベルジーヌさん。エルメレム商会の人なんだって」

「ジーナって呼んで」


 ジーナはカーマインに触れようと手を延ばそうとしたけれど、嫌がる相手の体に安易に触れるのは性別がどうであろうとダメだと思うんだ。

 カーマインが心の悲鳴を上げた気がする。助けなくちゃっっ!


 私はジーナとカーマインの間にすくっと立ちふさがった。背が小さいから首から上は守れないかもしれないけれど。自分を大きく見せるのが野生動物の撃退方法だって聞いたのを思い出し、無い胸を反らして仁王立ちをした。


 カーマインは私が守る。そんな気持ちでジーナをふんぬっと睨みつけた。精一杯の威嚇にジーナはきょとんとした後、にやにやし始めた。


「なるほど、成る程。作品の質が一気に向上したのは彼とナニカがあったからなのね」

「な、何もありませんよ」

「嘘おっしゃい。たくさんの芸術家を見てきた私には分かるのよ」


 こう言った場合はムキになった方が負けだ。いろいろな情報を伏せながら、私は素直に魔力をため込んでスランプに陥ってしまった件を話した。

 絵が描けなくなった理由の一つにイーオスが関わっていると知るや否や、ジーナは蛇のようにイーオスを責めた。


「ふうん?先ほどごちゃごちゃ言っていたのはそれだったの。私の商売を邪魔しようとしたのね、幼馴染殿は」

「別に邪魔しようとしたわけでは―――」

「画商は画家を助けつつ育てる役目もあるの。それを契約をする前に潰そうとしたのよ、アンタは」


 見ているこっちまで手に汗握るほどの迫力。激昂するよりもこうやってじっとり低い声でねちねち責める方が怖いと初めて知った。そう言えば、ベレンス先生も静かに迫力のある怒り方をしていたな。


「恩を仇で返すの。騙されそうになったのを助けてあげたのに。ん?どうする?商会丸ごと敵に回しとく?国の中枢部に関わるアンタが大きな火種、作っとく?」

「ス、スミマセンデシタ……」

「謝るのはあっち」

「済みませんでした」


 凄い。あっさりと謝られて終わってしまった私の不発弾が、ジーナによって見事に命中した。溜飲も下げられて、本当にすっきりした。

 ジーナはとても頼もしい味方だ。でも、怒らせたらダメだね。気を付けようっと。


 許さないと言ったら土下座をしかけない顔面蒼白なイーオスに、両手を振って見せた。


「いえ、もう復活できましたし。先ほども謝られているので大丈夫ですよ」

「ってわけでノアちゃんもこう言っているし、許してあげて頂戴、赤い髪のお兄さん」


 怒らせたらダメな人、もっと近くにいたーっ!!

 カーマインの顔をそろそろと見上げるけれど、それほど怒っているようには見えなかった。

 ……あれ?


「ああ、ノアが許すって言っているなら。ただ、次は物理的な報復を覚悟していてくれ。国外追放を受けた身だし、戦争になる心配ないから手加減無しでいいよな?ストーンゴーレムはなんだか物足りなくて。あ、全力で行ったら多分ミリア村くらいまで攻撃届くから、先に陛下に謝っておいた方が良いかも」


 貴族ならではの怒り方なのだろうか。涼し気な顔をしたままカーマインが脅しの文句を口にしたので、イーオスは結局土下座する羽目になった。

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