価値

 画廊のテーブルの上に三枚の絵を並べる。鬱金を題材として描いた物なので、中心には黄色い狼。金銭的な豊穣を司る女神の化身。

 橙の女神だけでは値崩れを起こして豊作貧乏になってしまう。黄色の女神がいることでバランスがとれているんだろう。この世界の人がそれに気づいているのかは、知らない。


「これは―――」

「調子に乗って三枚も描きましたけれど、同じように描いたのではつまらないので画風をそれぞれ変えてみました」


 自分の画風、未だ検討中?ううん、これは強みでもあると思う。


 作風に関してはアトリエにいるころから悩んでた。描きたい物は今でも一貫して同じなんだけど、題材の持ち味を生かすにはいろいろ描けた方が良いと言う考えに変わってきたのだ。

 宮廷画家のように固定のパトロンが付いていないので、画風も題材も自由に描ける。熱狂的なファンはつかないかもしれないけれど、旅をしながら好きな絵を描きつつ、どんな仕事でも受けられれば画力も上がっていくはず。


「画風を七変化させられるタイプの画家ね。でも根底にはあなたの色が感じられる」

「そうですか?」

「個性と画風は違うものよ。うーん、ちょっと面白いことになりそう」


 驚くことに、自分でも気づかない内に個性は築かれていたみたい。トープが色使いを見抜いていたように、クセみたいなものかな。


 ジーナはしばらく見比べていたが、画廊の奥から展示用のイーゼルを三つ持ってきて絵を立てかけた。それを近くで見たり離れてみたりしながら、注意深く観察する。


 絵画の価格の基本は、大きさを表す号で基準となる数字がある。


 素人絵画は号当たり二千から五千。画家は最低でも号一万。絵画展で受賞したり需要が増えると上がっていく。

 美人画で人気のあるメイズさんが描いた私の絵は二百万で落札された四号の絵なので号五十万。これは飽く迄オークション価格だけれど、ヴァレルノ王族と繋がりがあると考えればおそらく高くは無い買い物だろう。

 カーマインの肖像画は十号が一億で売れたから号当たり一千万にもなるけれど、当然問題外。蘇芳将軍、後で周りに怒られなかっただろうか。


 ミリア村の風景とゴーレムの絵は八号で描いた。ミリア村は三十万だから三万七千五百。私の経歴をしっかり鑑みてくれた最低限の評価。ゴーレムの絵は短い期限で描いた特殊な絵だから五十万は妥当だと思う。 ―――払ってもらえなかったけれど。


 私はドキドキしながら評価が下されるのを待つだけだ。イーオスもジーナと同じように眺めながらぽつりとつぶやいた。


「やはり数十万も払う気がしない」

「一度騙されたならそのくらい慎重で良いと思いますよ」


 判断のつかない素人が偽物や印刷物を高値でつかまされるのは、前世でだってよくあった。買い手の好みに合うものだったとしても、それは許されない事だ。けれど自衛もせずにひょいひょい買う方も問題はある。

 良い作品をたくさん見て目を養うのが一番だが、絵画そのものの価値を低く見積もっておくのも一つの手だと思う。

 価値があると思えないから買わない。投資と考えてもかなりの博打だから、損をしない為の意識を持っておくのは大切だ。

 イーオスは、分かりにくいけれどほんの少しだけ驚いた顔をしている。


「馬鹿にされたとは思わないのか」

「芸術って食べ物の好みと似たようなものかもしれません。それにどれだけ価値があるかは、個人の判断によると思ってます」


 百人いたら全員が美味しいと思える料理なんてあるわけがない。一人一人が食の好みや味覚の育つ環境が違うのだから、評価も違って当たり前だ。

 料理は食材や料理人の技術力で金額が決まるけれど、絵画は画家の技術の他に人気や好みが加わる。歴史やその絵が描かれた背景などが価値として加わるのは、おそらく画家が死んだ後。


「料理は食材の値段とお店の場所代などの経費、それから儲け分を考慮して店側が値段を決めるでしょう?絵画の場合は現物が一つしかない上に、価値は買い手が決めます。只のノアールが描いた物よりも、ベレンスの弟子が描いた物、受賞者が描いた物、同じものでも価値は違ってきます。街の庶民的ケーキ屋さんが王室御用達になったら、同じ価格でも買う人にとっての意味合いは変わって来るでしょう?絵画はその部分が価格に反映されます」


 更に闇の日生まれ、転生者なんて肩書がついたらどうなるのか。どちらも試してみたいと言う気すら起きない。


「……なるほど、分かった気がする。芸術の価値を理解しようとすることは食べ物の好みを理解しようとする事と同じか。七色お焼きを食べるヤツの気が知れないが、売っているからには買うヤツがいるのだろう」

「美味しいですよ、七色お焼き。野菜もいろいろ食べられてお得です」


 好きな食べ物を突然貶されてむっとした私は、遠慮なく反論した。と言うか屋台で売っている食べ物をイーオスが知っていることが驚きだった。


「七つも野菜を入れる意味が分からん。細かい味が分かるのか?」

「食べたことあるんですか?」

「いや、無い」

「食べもしないのに批判するのは良くないです。絵を見ない内から画家を批判するのと同じです」

「食べたらまずいと言ってもいいのか」

「お店の前以外でお願いします」


 不用意な一言で閉店してしまうのは嫌だ。

 話はかなり逸れてしまったが、本題は別の所に有る。私は一人の画家として背筋を伸ばし、イーオスに話しかけた。


「私は絵の好みや価値を食べ物でたとえましたが、それは飽く迄買い手側の理屈です」

「ああ。買い手側の価値感で値段が変動すると言うのは理解した。でもそれが高額になる理由はまだだ」

「描き始めて一月で仕上げましたが、私がこの絵を描く為に必要なものを育てるのは、十八年かかっています」


 前世を含めてしまえば、三十六年分。

 イーオスは、目を見開いた。


 魔力を溜め込み過ぎて鬱状態になった時、たくさんの『もしも』を思い浮かべた。逆に言えば、それだけ多くの人との出来事が私を作り上げているわけで。

 どれかが一つ欠けていたとしたら、また違った絵になっていただろう。


「トープが準備してくれた画材です。カーマインが私を立ち直らせてくれました。モデルになった鬱金は、パーシモンさんがミリア村の出身で無かったら会えませんでした。画風を変えた絵に挑戦したいと感じたジーナの画廊を紹介してくれたのは、あなたです。苦しみも喜びも出会いも別れも、他にもたくさん……それらを全て詰め込んだ、世界にたった一枚しかない物の価値、分かりますよね?」


 イーオスは静かに頷いた。


「そうか。……済まなかった。目に見えない部分、形になって無いものを含めての価値、か」

「見て描くだけなら、それなりの技術があればできます。見る者の意識を考えて曖昧なものを表そうとすることほど、難しいことはありません」


 イーオスは決して馬鹿ではない。頑なに理解しようとしないわけではなく、寧ろその逆だ。学ぶことに貪欲で、けれど答えを知る機会が無かっただけ。

 それは仕方がないと思う。でも。


「知りたいことを知ろうとするのは悪くないですけれど、言葉を選ばないとダメですよ。暴力を振るわなくとも、いくらでも人を殺せますからね」


 絵の価値を理解してもらったところで反撃開始。今までの鬱憤を晴らそうとお腹に貯めていたものを吐き出す。

 魔力のせいもあってか負のベクトルは内側に向かってしまったけれど、今になって思えばこうして外側に出すべきだったんだ。

 イーオスが誰かと喧嘩になりやすいのが、すごく良く分かった。


「相手の立場を考慮した上で正論を言ったつもりでも、絵画の様に私から見えていない部分もあるのか。道理で反論を受けやすいと思ったが、あれは一種の自己防衛なのだな。なるほど、分かった。……有り難う、礼を言う」


 何やらすっきりした、下手をすれば笑顔にも見える険の抜けた顔でお礼を言われてしまった。

 もっともっと、どれだけ私が苦しんだかを並べて相手を責めるつもりだったのに拍子抜けしてしまう。「わ、分かればいいんです、分かれば」なんて、負け惜しみのような言葉しか出てこない自分が腹立たしかった。




 イーオスと話をしている間に、ジーナが動かなくなってしまった。面白いと言われたから評価は高くなる物だと思ったのに、不安になってきた。

 イーオスに偉そうなことを言った手前、耐えきれずにジーナに話しかける。


「そんなにダメですか?私の絵」

「ううん、これとこれは多分かなり金額を上げても直ぐに買い手が付くと思うわ。鬱金イコール豊穣のイメージを覆す素晴らしい出来だもの。大体はあんな感じで麦畑を描くのよ」


 そう言って、ジーナは展示されている内の一枚を指した。鬱金を主題として描くなら背景に畑を持ってくるのはおかしいと思うんだけどな。導くと言う意味では合っているのかもしれないけれど。


「これの判断が難しいの」


 そう言って、キュビスム風の鬱金を指した。ヘタウマ、ポップ、斬新。ジーナの反応が見たくて描いた、かなりの冒険作だ。


「私の勘なんだけれど、大当たりしそうな気はするのよ。芸術として見てもらえれば、新進気鋭の画家の作品として、多分爆発する。でも、小火ぼやで終わってしまいそうな危険な感じもプンプンするわ」


 表現の仕方がキナ臭いけれど、言いたいことは分かる。


「このタッチの絵を何枚か描いて、美術界に仕掛けてみる?」

「えーっと」


 このポップな感じを自分の作風として看板にするのにはいささか抵抗がある。絵画よりもイラストを扱っているような感覚に近い。


「偶に描くのは良いですけれど、これを定着させたら他の雰囲気の作品が売れなくなりますよね」

「別の名前で描くってのもありだけど覚えてもらうのが一番の近道だからね。誰々の新作はあるかって買いに来るお客さんだっているから」

「だったら、買い手の反応を見てから時々描くようにする、でも良いですか?まだちょっと怖いです」

「そう?じゃ、三つとも同じ価格にして一号五万で八号だから四十万」


 ミリア村の風景画よりもかなり上がった。ちょっとだけガッツポーズ。


「それから専属の契約なんだけれど、こちらとしても是非とも結ばせて頂きたいわ。今後どんな絵をあなたが描くのか、一美術ファンとしても見ておきたいの」

「それなんですがいろいろと確認したいことがありまして。まず一つは旅をする上で問題なんですけど、絵を描く度に郵送するのでしょうか?美術品の割増しの料金を取られないか心配で」


 ジーナとイーオスは顔を見合わせた。私、変な事言っただろうか。

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