復活
カーマインのお陰であれだけ悩んでいたのが嘘のように筆が進むようになった。私の不調はただのスランプってだけでなく、精霊石を三つも身に着けていたことによる魔力のため込み過ぎと、次々と落ち込むような出来事が続いてしまったのが原因らしい。
どれもがかなり質の高いものだったので、純度が高く濁りの少ない魔力である為に影響が出てくるのが遅れてしまった。質が悪い魔力に当てられると精神に異常が出てくる前に二日酔いのような感覚を引き起こすとカーマインから聞いた。
生命の危機にあったとはいえ、魔法陣を描いて魔力を放出した時を思い出すと顔から火が出そうになる。
だって、小さな子供ならともかく後ろから抱きしめられながら絵を描くなんて、まるで映画やドラマのラブシーンみたいだ。
カーマインからしてみれば抱きしめるでは無く押さえつけていただけかもしれないけれど。さらに言えばメリハリのない私の体なんて子供みたいなものかもしれないけれど。
心配してくれて、何とかしようとしてくれる。
もうそれだけで天にも昇るような気持ちで、ベッドの上でゴロゴロ身もだえしてはガガエに怯えられている。
魔力ではない体の内に滾る何かを発散させるには、やっぱり絵を描くのが一番だった。イーオスの自分勝手なご高説だって、私が描かなければ反論も出来ない。
鬱金の絵を三枚同時進行で描く。一枚は油絵の写実画、神の化身とされる獣にふさわしい勇壮さと神秘性を全面に出し、背景は夜明け前の紺青(こんじょう)から朱(あけ)へと変わっていく空。
その薄暗い背景の中たたずむ黄色の狼。古き神話のようでありながら、今なお続く存在。
黄色をどのようにまとめるかが非常に難しかった。
一枚は水彩画、こちらは女性的、女神的なイメージを出すために淡い色彩でまとめた。良く晴れた日の日差しを受けた鬱金。背景は風を感じさせるような草原。黄色は金銭を司るから都会的な感じと結び付けてしまいそうだが、鬱金はどう考えても自然派なイメージだ。
一枚はキュビスム風にポップな感じで仕上げる。飽く迄「風」でそこまで形を崩したものではない。やり過ぎるとエグくなってしまうし、私にそこまでの技術と感性は無いからだ。原色に近い鮮やかな色彩の組み合わせの作品は、この世界ではまだお目にかかったことが無い。
鬱状態から一気に躁状態になったせいか、受け入れられないかもなんて心配が頭の片隅にあっても筆は止まらなかった。
この世界の美術は私が牽引する、なんて思ったりして。戦っているわけでもないのに最強になった感じ?世界の果てまで走って行けそうな、可能性が無限大に広がったような。
恋のパワーってすごい。いやいや、私がちょろいだけかもしれないよと思うけれど、発散させないと何かやらかしそうで怖かった。
私の不調以外、事態はまだ好転していない。
ゴブリン化した人の身元が分かり、スクワルさんと言う名前が判明したけれど、目を覚まさない事には何も解決しない状態だ。
時々病院へと様子を見に行くけれど、相変わらずの眠り姫状態。線の細い人で、婚約者だったと言うシャモアさんの方が生命力に溢れている感じ。
困っている婚約者を切り捨てるなんて、と外側から批判はいくらでもできるけれど本人にしか分からない事情や感情だってきっとある。スクワルにだって何らかの問題があったのかもしれないし。
起きたら、スクワルにただひたすら謝るしかない。逆に言えばそれまでは彼を守るしか出来ないわけで、そこに私の出番は無い。
絵を描いて売る。今のところ私が出来るのは、ただそれだけ。動き始めたら全てが良い方向へと向かうように、心の中で祈るだけだ。
描き終えた絵をジーナの画廊に持って行く為、出かける準備をしている上で困ったことが一つだけあった。
「精霊石を一つは身に着けていた方が良いと思うのだけれど、どれを選べばいいのか迷っていて」
私は傍にいたベルタに聞いた。三つ着けてまずいなら数を減らすべきだと思ったのだ。
人魚の涙を銀細工でトープが加工してくれた物が二つと、カーマインがくれたゴーレムの石。人魚の涙はアクセサリとして身に付けられるけれど、石は石としてただ持って行くだけ。
「やっぱり、人魚の涙かな」
「カーマイン様の愛を置いて行かれるのですね」
「うん、藍色の石を置いていくよ。人魚の涙は精霊の反応を時々感じられるけれど、藍色の石は人工だし、ちょっと得体の知れなさがあって不気味だし」
戦争の為に開発されたゴーレムの足裏に着いていた物。もしかしたらあの足で誰かを踏みつぶしていたかもしれないし、動力源として開発された、何と言うか自然物には無い不自然さがある。魔法に詳しくは無いのではっきりとは分からない。
ベルタは大きく頷いた。
「確かに。カーマイン様はごくたまに不気味と言うか不思議な印象を受ける時もありますね」
「えっと、石の話をしているんだけど?」
ベルタは意図的に話をかみ合わせないようにしている節がある。きちんと正しておかないと何らかの齟齬がおきそうで怖い。
「もう一度確認します。カーマイン様が命がけで採ったゴーレムの足裏に付いていた石を、置いて行かれると言うことでよろしいですね」
「そんな言い方されるとちょっと困るんだけど」
「イーオス様の様に将来安定しているお方がお好みですか?」
「ベルタ?どうしてそこでイーオスが出て来るの。身を守ってくれる可能性があるのは精霊がきちんといる人魚の涙だよねって言っているつもりなんだけど」
訳が分からない。どの石を身に着けていくかと言うだけの話だ。カーマインからプロポーズでもらい受けた石を置いていくわけではない。なのに、まるで浮気でもするような言い草だ。
ベルタは困ったように私を見ていたが、良いことを思いついたとポンと手を打った。
「ノアール様が二つある人魚の涙を一つ手放せば済みますよ」
「それって―――」
プロポーズしろってこと?そんな言葉がのどから出かかる。確かに将来的には夢見ているけれども、まだまだ早い気がする。だって、気持ちだって確かめていないのに。
「イーリックは実り豊かな大地にございます。恋愛成就と言う意味でも、子孫繁栄と言う意味でも、実を結ぶのに女神の御力の助けがある土地柄です。この機会にどうでしょう、カーマイン様と結ばれてみては」
「な……何を言ってっ……私はまだまだ絵描きとして……そう言うベルタの恋愛はどうなのよっ?」
「ノアール様が聞くにはまだ早いかと存じます」
「早いって……大人な感じ?」
「どのようなものを想像なされたのですか?」
ベルタがにやぁーっと笑った。そこで漸く、一連のやり取りが単なるからかいだと気づく。
「もう、こっちが真面目に相談しているのに。精霊石は人魚の涙を付けて、カーマインに買ってもらったストールを付けていくから義理立てにはなるでしょ」
自分で蒔いた種とは言え、三枚も絵を持って行かなくてはならないので余計な荷物は持ちたくないのだ。……余計な、と考えた時点でほんの少し罪悪感が過るけれど、カーマインから受け取った石をぞんざいに扱っているつもりは無い。
クローゼットの宝飾品入れる引き出しに、もう一つの人魚の涙と共に大切にしまい込む。
「さ、気合入れてくぞ、おーっ!」
ミリア村の風景画を個性のない絵と評したジーナへの再挑戦。いわばリベンジだ。気合は十分に入っている。
イーオスに声を掛けてジーナの画廊に向かった。
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