スランプ

 画廊へ行った日の翌朝から、馬車屋敷の自分の部屋に籠る。

 鬱金のスケッチを元に、一枚描こうと思っている。もう一度会って描くのは無理なので、スケッチと記憶を頼りに仕上げるつもりだ。

 画廊には鬱金の絵も展示されていたし、念のためにイーオスに聞いてみたら問題ないと言われた。イーリックの画家の間では割と描かれている題材だそうだ。


 最低限でもジーナに認められるくらいの絵を描きたい。

 アトリエには簡単に戻れないだろうし戻るつもりも無いので、たとえ専属の契約を結べなくともここで繋がりを作っておかなければきっと後々大変になる。


 私が描きたいものは元々不思議な生物や景色なのだから、個性を出すならそこらの景色よりも鬱金やガガエの方が良いと思った。

 今までの作品を思い返してもやはりゴーレムや妖精たち、人魚のシアンさんなどを描いている方が良い絵が描けたと満足感があった。

 

 ……あれ、ってことは私の中では死刑判決を覆した最高傑作の肖像画、そのモデルであるカーマインも不思議生物扱い?

 このときめきは恋愛感情ではなくて単なる題材への興味ってこと?


 流石にそれはカーマインに対して失礼だ。私はそれを否定するために一番身近にいるガガエで実験することにした。


「ガガエ、ちょっと手に触って見てもらえる?」

「んん?良く分からないけれど、いいよ」


 指先にチョンと触れるガガエの手は小さくて可愛い。きゅんっとするけれど絶対に異性に対してのものではない。


「ありがと」

「ん、もういいの?」


 何だか名残惜しそうに手を離すガガエ。

 次に、城の地下でカーマインと手をつないだときのことを思い出してみる。

 思い出してみる。

 思い出して――――――


「は、恥ずかしくて死ねるっっ!」

「死んじゃダメっ!ノア、どうしたの、顔が真っ赤だよ!」


 自分から繋いだ経緯とか、手のひらの感覚とかを鮮明に思い出してしまった私。当時は何も感じなかったのに、剣を持つ男の人の手を今になって意識したら、急に頭に血が上り始めた。

 ダメだ、このままではまともに絵が描けなくなる。


 そうだ!今度手を描かせてもらおう。自分の手を描くことはあってもなかなか人の手なんて描くことないから。きっと良く分からないものだからじっくり観察して克服すれば、何とも思わなくなるに違いない。

 そう思ったら、一気に熱が冷めて冷静になった。


 絵の対象としてなら冷静に見れるんだ。自分の中でのいなし方が何となくわかってきた。


「大丈夫、勘違いじゃなかったって自覚しただけだから」

「ん?んん、悩みがあるなら聞くよ」

「ありがと。ホントに大丈夫だからね」


 頭を切り替えて、とっとと鬱金を描こう。

 ざっくりと形をとるために、キャンバスに鉛筆ではなく木炭を当てる。


「あれ?」


 当てたは良いけれどそこから動かすことが出来なかった。描きたいのは画面左手前を向いた黄色の狼。レモンイエローのような緑系の黄色ではなく、赤や橙寄りの黄色。イメージは固まっているし心構えだって出来ている。

 一度キャンバスから離してからもう一度描こうとするけれど、どうしてもそこから先が動かせなかった。


「変だな、絵が描けなくなっちゃった」


 今までほぼ毎日何かしら絵を描いていたから、その奇妙な感覚が受け入れられなかった。食事をするように身近な習慣が出来なくなるなんて、考えもしなかった。

 トープが作ってくれたキャンバスに、やけになって木炭を強く押し付ける事こそしない。黄色ベースなので後に残っても困る。

 けれど、当てた途端に腕だけ金縛りにでもあったかのように動かせなくなった。


 焦って、焦って。何度も何度も繰り返す。真っ白な面に黒点だけがいくつも着いて、まるで羽虫が飛んでいるように見えた。


 見かねたガガエがそっと手に触れて、止める。「もう止めて」と、私よりも泣きそうな顔で止める。


「んーと、僕が考えるに魔法陣はね、もともとは絵なんだよ。この所の出来事で魔法陣に対して恐怖を持ってしまったから描けなくなってしまったのかも」


 ガガエに指摘され、別の紙に鉛筆で文字を書いてみる。そちらは何の引っ掛かりも無くすらすらと手が動いた。

 そのまま、キャンバスではなくてその紙に絵を描こうとしてみる。

 鉛筆の先が紙に触れた途端に、動かせなくなった。まるで、自分に呪いでも掛けているみたい。呆然としながら鉛筆をそっと置く。

 ガガエが心配そうに顔を覗き込んできた。


「しばらく、休んだら?」

「……うん……そうだね」

「大丈夫だよ。あの人だってきっと生き返るし、そしたらノアの魔法のお陰だよ。お礼言われるよ」

「生き返るって、まだ死んでないよ」


 ガガエの言う通り、おそらく一時的なものだ。あの人の目が覚めたらきっと、またいつものように描けるはず。

 もしも描けなかったら、私はどうやって……と暗い未来を想像しそうだったので考えをシャットアウトする。


「気分転換をしよう!お見舞いして、警備の差し入れでしょ、薬の出来具合も聞かなくちゃ」

「ん、あれ、結構元気?落ち込んでいると思ったのに」

「描いて描いて描きまくって、それでも描けなかったら描くのを止める。きっと今は他の事をして、絵を描くために必要な要素を取り込む時期なんだよ」


 ガガエにエラそうに言うけれど、実は思いっきり空元気だ。精神的なものが原因なら仕方がないとしか言いようがない。

 警備の時間はラセットが午前中から昼過ぎにかけて、トープが夜まででカーマインが明け方までと決めているらしい。夜勤明けのカーマインは今の時間寝ていて、おそらく病院にはラセットがいるはず。だったら差し入れは……別に持っていかなくてもいいか。


 イーオスに声を掛け、病院に様子を見に行くと伝える。どうやら書類を屋敷の中に持ち込んで仕事をしていたらしい。時々外で使いの人とやり取りをしているようなのできっとその時に受け取った物だろう。城を離れているのだから少しゆっくりすればいいのに。


「今日は一日絵を描くと言っていませんでしたか」

「芸術とは理屈ではなくその時々の感覚なのですよ。何かお仕事があるなら私一人で行きますが」


 しれっと言ってみたらむすっとした顔をされた。きっと予定を壊されてイライラしているんだろう。カルシウムが足りないのかも。


「行きますよ。全く、陛下もどうして私にこんな命令を下したのやら」

「何でも理詰めで考えようとするところを直して欲しかったのでは?」

「オベルジーヌのような理解不能な友人を持ち、芸術を理解しようとする私が全てを理詰めで考えていると、あなたは思うのですか」


 ちょっとジーナに失礼かもしれないけれど、言いたいことは分かる。


「画商を生業としている友人を持っているのに、私から絵を取り上げたのは何故ですか」

「それは……」

「画家にとって取引による収入がどれだけ大切か、わか―――」

「分からないんですよ」


 私の言葉を遮ったイーオスの声は、ぞっとするほど冷たかった。


「農民が春に種を撒き秋に収穫するまで天候に左右されながら苦労して収入を得る。私達の様に雇われた者は給料制で安定しているけれど、働かなければ首になる危険がある。芸術家は好き勝手に生きているように見えるのに、どうしてそんな高額な取引が平気で出来るのか、分かりません。分からないから苦手なオベルジーヌとの交流を未だに保ってます」


 描けなくなっている今の私にはとてもきつい言葉だ。蘇芳将軍から分不相応な収入があったのは確かで、それもカーマインの命を救った値段だと思っている。

 絵自体の価値はどうなのかと聞かれると、自分では分からない。


「勿論、画材が高価なのは知っていますし、作業に時間を要するのも存じてます。けれど……」


 イーオスの言葉はお金の価値を知っていて、働く大変さも身に染みて理解している。国王の傍にいて平民の傍らに立つには必要な感覚だろう。


「あなたは言えますか?取引の際に自分の絵はその金額を得るにふさわしい作品だと」


 今の私には鋭利なナイフにしかならない。

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