不穏

 皆が揃う夕食時に、ベルタから聞いた話を皆に報告した。カーマインは直ぐにロルフを呼び、話を詳しく聞く。


「妖精の気つけ薬を作るのには、どれくらいかかる?」

「えぇと、一月ほどです。ただ材料がいくつか無いので用意して欲しいのです」


 執事のクーノは屋敷に入った時、料理人のマリクは食事時に見かけるけれど、ロルフはあまり見ない。他の人の代理や手伝いをするとベルタから聞いている。今はラセットが御者をやっているけれども、なり手がいない場合は外に出て手綱を握ることもあるらしい。

 その上、薬の調合も出来る。なのにどこか自信が無さげだ。


 あらかじめ必要な材料を書きだしていたらしく、メモをカーマインに渡す。カーマインはそのメモを読もうとするが、ひっくり返したり首を傾げたりした挙句「読めないぞ」と眉根を寄せた。二日酔いから復活したガガエが、後ろから覗き込む。


「妖精語だね。んーと、足りないのはイズンクルミの油と、時じくの香の木の実の皮?」

「特に二つ目がとても厄介なのです。妖精界で育つ樹木として聞いているのですが、こちらで存在するかどうかも分かりません」


 イズンクルミは大森林のあるウォルシー周辺の特産だ。決して高価なものではなく市場でも偶に見かけるけれど、ローストされた食用の実ばかりで油は見たことが無い。

 イズンクルミの油はともかく時じくの皮の在り処を知っている私とカーマインは、思わずトープの顔を見た。皮から顔料を作ってみたいと言っていたし、そもそもこれが無くなったらカゼルトリに行く意味が無くなってしまう。

 一月もかかるのなら出来上がる前に目覚めるかもしれないし、貴重な品を確実に効くかどうかも分からないものに使うことは無いと、私は言うつもりだった。

 けれどトープは何でもないかのようにさらりと「両方とも俺が持ってる」と片手を上げた。


「イズンクルミの油は画材にも使われていて手持ちがあるし、時じくの皮も持ち合わせがある」

「トープ……」

「気にするな、ノア。元々一つ分しかないからどう考えたって顔料を作るには無理がある。クスリの方が有効活用できるってもんだ。けどカゼルトリには行ってみたいから予定変更なしで、いいよな?」


 理屈では理解できる。人助けにだってなる。けれど貴重な品だ。

 例えば人魚の涙が薬になると言われても、私だったら躊躇してしまう。多分最低でも三日は悩む。それにトープは絵の具を作るために旅に出た。だからトープが無理をしていないか心配だ。


 ……違う。トープを心配しているふりをして、責任から目を逸らしている。そもそもの原因になったのは、私だ―――


 自分の為にアトリエからトープを引っ張り出した私が足手まといになっている。しかも自重してれば避けられたほんの些細な出来事。

 沈んだ気持ちが表情に出ていたのか、トープは苦笑した。


「どんなものが材料だったとしても絵の具は絵の具だ。別のもので頑張って色を作ることは出来ないこともない。でも今必要なのは薬だろ。ロルフ、後で俺の部屋まで取りに来てくれ」

「あ、は、はい。まさかこれほど簡単に手に入るとは……」


 ロルフは私をちらりと見たけれど、目線があったと思ったら勢いよく逸らされる。どういう意図で逸らしたのか分からないけれど、まるで責められているような気がした。


 私の不穏な気持ちなどお構いなしに、それまで食事に集中していたイーオスが口を開く。


「意識を目覚めさせる手だてが整って何よりです。それにしても…ここの食事は妖精たちが作っているのですか。城で食べるものと比べても遜色が無いように思えますね。かなり質が高い」

「有難うございます。フォルカベッロで質の良い食材が流通しているお陰です」


 マリクは胸を張って答えている。そう言えば、カーマインやラセットがマリクを褒めている所を見たことが無い。


「私もマリクの料理がおいしいのでいくらでもここに籠れます」

「おや、嬉しいことを。でも、籠りきりは体に悪いのでほどほどに」


 褒めたつもりが逆に窘められてしまった。何だかうまくいかないな。






 次の日、カーマインやイーオスと共に病院へ行く。妖精の気つけ薬について医者に報告するためだ。一人で歩き回るのは少し怖いけれど、二人も付いてこなくていいのに。

 気つけ薬については医者も存在を知っているらしく、患者の容体が余程悪くない限りと条件付きで使用を許可してくれた。


「それは良いとして……昨日から彼を探ろうとする不審者がいるんだが、護衛として誰か付いていてくれないか。看護師や俺が見回るにしても限界がある」


 医者以外にも看護師が数人いるが、一人の、しかも寝たきりの人間にずっと付きっ切りと言うわけにもいかない。小さいながらも入院できる施設があるこの病院は、労働環境としては壁の内側よりもかなり過酷に見える。病人、けが人はこちらの方がはるかに多いだろうし費用もきちんと回収できるか微妙だろう。

 ちなみにゴブリンだった彼の暫くの入院費と最初の治療代は私が支払っておいた。きちんと看護してもらうためだ。


「彼の身元が分かったんですか?誰かに狙われるような人?」

「ゴブリン化の攻撃を受けた部隊にいたことからおそらく国内でも東の方の出身だと思うんだが、身元が分かりそうな物はこれだ」


 そう言って医者は彼の持ち物を保管している箱を見せてくれた。中には私が魔法をかけた当時に来ていたぼろぼろの服と、高そうなペンダント。ペンダントトップには橙色の石が付いている。男性が付けるには少女趣味と言うか華やか過ぎる装飾だ。


「もしかして婚約者がいると言うことですか?」

「それもそうだが石自体が人工ではなく天然の精霊石で、貴族である可能性が高い。そんな奴が路地をほっつき歩いていたんだからいろいろワケありなんだろうな。身内が名乗り出ない可能性は高い」

「可哀想……」


 生きて帰って来たのに姿かたちが変わっていて、家を追い出された。おそらく平民である場合よりも忌避感は強く、婚約者とも引き裂かれたんだろう。或いは断られたのかもしれない。

 彼が人の姿で生きていると困る誰かがいるようだ。

 姿が戻ったのに死にかけていて、しかも命を狙われるなんて。


「カーマイン」

「うん、わかってる。彼の護衛は俺とラセットとトープで交代で引き受けよう。稼ぐのは無理になるけどこっちの方が大事だ」

「その分、私がいっぱい稼ぐからね」


 流石に私が護衛に回るのは無理がありすぎる。適材適所。握り拳を作ってやる気を見せると、カーマインは笑った。笑った後、ふと真面目な顔になってイーオスに頭を下げる。


「癪に障るが、暫くノアを頼む。良い画商を紹介してくれ」


 私も慌てて頭を下げるとイーオスは意外に思ったようだ。


「私に兵を出すように頼んだりはしないのですか?おそらく陛下はこのような時の為に私を付けたのだと思いますが」

「正直に言うとラセットはともかくトープが戦えるかどうかわからない。交代も考えてあと数人は欲しいところだ」

「でしたら……」

「イーオスの言う兵は、私的に使える者達か?」


 未来の国王の執事である立場上、きっと動かせる兵士や騎士はいるだろう。イーオスが見張りと称して私たちに付けられたのは、世間をもう少し知るためだとばかり思っていたけれど、確かに緊急時の為かもしれない。

 けれど。


「公として事に当たるのなら断る。国王に関わり元老院に関わり、これ以上この国に深入りはしたくない」

「私もそう思うよ、カーマイン。元ゴブリンさんが貴族なら余計に」


 もっと気楽な旅をするつもりだった。気づけば、国の中枢部にがっつり知り合いが増えている。これ以上パーシモンさんにお世話になるわけにもいかないし、厄介ごとにも巻き込まれたくない。

 冷たいかもしれないけれど、私たちの立場はそれほど強くない。防げるものは出来るだけ防いだ方が賢明だ。なんて、盛大にやらかした私が言えた義理ではないけれど。


 イーオスはにこりともせず、それでも言い分には納得したようでため息交じりに了承した。


「分かりました。私個人が扱い信頼できる者をこちらへ寄越しましょう」

「助かる」


 イーオスとは反対に、カーマインはほっとしたように笑顔を見せた。

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