回復待ち

 イーオスを連れだって、泊まっているホテルに戻る。ガガエは二日酔いで寝込んでいて未だに起き上がれない状態だった。用事を終えて帰ってきたトープ達に事の顛末を報告すると大きなため息をつかれる。


「拘束されないだけマシか。でもあの男の意識が回復しないとこの町からも出られないってことだろ?」

「うん。ごめんね。カゼルトリに行くにはもう少しかかりそう」

「カゼルトリに行く用事があるのですか」


 耳ざとくイーオスが聞きつけて口を挟む。隠して変な勘繰りをされるよりはと、正直に話した。もちろん時じくの香の木の実については触れないように注意する。


「染料と顔料は違いますが、トープが仕事をする上で何かヒントになるのではと思いまして」

「あの辺りは冬になると土地特有の風邪が流行ると聞いてます。もちろんあなたが魔法をかけた彼が目覚めぬことにはこの町から出られませんが、春になってから移動したらどうですか」


 思わぬ情報に私達は顔を見合わせた。


「急ぐ旅ではないからその方が良い、かな」

「こっちにはノアがいるからなぁ。万が一ってこともあるし」

「んー、急がば回れって言うしね。急いでないか」

「でしたらこの町にいる画商を紹介します。画廊を保有していてそれなりの審美眼を持っています」


 あ、それは嬉しいかも。アトリエに居た時は浅葱さんの様に専属の画商がいたようなものだから、依頼を受けて描く以外に取引をするのは初めてだ。できれば信頼できる人が良い。イーオスなら立場的にも質の良い画商を紹介してくれそうだ。


 素直にお願いしますと頭を下げておく。


「でも冬の間、ノアは絵を描くとして、俺たちも何か仕事を見つけないと」

「宿代も馬鹿になりませんからねぇ。どこかに馬車を展開できる場所があると良いんですが、こうなったら町の外に許可を取るとか」

「ゴーレムの絵がきちんと買い取られていたらそれなりになったのになぁ。長期間だからそれでも足りないか」


 皆、チラチラとイーオスを見ながらわざとらしく相談している。何とかしてくれないかなオーラが出ていて、ちょっと笑ってしまいそうだ。

 けれど実際お金の問題は切実。安い宿に移るとしても、持ち金が目減りしていくのは避けられない。


 イーオスは涼しい顔をしたまま、自分の欲しい情報だけを手に入れようとしてきた。


「馬車の展開とはなんですか?」

「ああ、それは……」


 カーマインが簡単に説明をする。宿で絵を描くのは汚してしまいそうで怖いし、出来れば馬車屋敷の中が良い。


「でしたら城壁の外の一区画を特例で貸しましょう。病院への行き来もその方がしやすいでしょうし。仕事は流石に自分たちで見つけてください。他に何か問題は?」


 イーオスの質問にトープが片手を上げた。


「ノアは絵を描いたり病院や画廊に行ったりするとして、俺たちは何か仕事をする。イーオスはどうするんだ?」

「勿論ノアールさんに付いているつもりですが。何か問題でも?」

「「大ありだっ!」」


 トープとカーマインの声が見事に重なった。


「何っっだお前、ノアに懸想しているのか」

「失礼な。誰がこんな……こほん、私はあくまで見張りの為につけられたと言っているでしょう。そして彼女を押さえればあなた達が逃亡する恐れはない」


 イーオスが勝ち誇ったような顔をし、カーマインとトープが呻く。

 よし、ここは一度は言ってみたいあのセリフだ。


「私に構わず逃げてー」


 すっごい棒読みで言ったらその場にいた全員が、がくんと脱力した。なんと、あのイーオスまでも。


「ノア、冗談言っている場合じゃないんだぞ」

「はい、ごめんなさいお兄ちゃん。……でも本当に責任があるのは私だからね」

「ええ、その通りです。魔法陣を使ったのが彼女なのだから、彼女の傍にいるのは当たり前でしょう」

「絵を描く間は部屋に入らないでくださいね。気が散りますから。用事がある時は馬車妖精を介してください」


 誰がこんな…の言葉の後には一体何を言うつもりだったんだろう。どうせ幼児体型とか悪意のある言葉に違いない。ゴーレムの絵と言い、今の件と言い、私はイーオスを完全にテキとして見ることにした。

 相手にも分かる様に壁を築き上げると、イーオスはたじろいだ。


「では私はその間、どうすれば」

「病院に詰めて彼の意識が回復したら教えて下さればよろしいのでは?」

「見張りが離れるわけにもいかないだろう」

「でしたら馬車妖精の手伝いでもしていてください」

「美術品が出来上がっていく様を間近で見れる良い機会だと思ったのに」


 あれ、イーオスってば結構本格的な絵画ファン?だったらベルタに傍にいてもらって……って、きっとベルタは面白がって部屋に二人きりにしそうだ。そうしてカーマインに報告して……うん。何事も無くてもいろいろな火種になりそうだ。

 イーオスに情けを掛けることは無い。無理やりにでも話題を変えよう。


「回復しなかったら、本格的に犯罪者ってことですよね。やっぱり牢屋に長いこと入れられたりしますか。それとも何か痛い目に合わされたりしますか」

「被害者は一人ですし、彼の親族から訴えられない限りは懲役になるでしょう。殺意が無いと証明できれば刑は軽くなります。ただし魔法を使った犯罪と言うことで神殿への報告はされますね」


 元老院が出て来たと言うことは既に騎士団の調査部が動いているだろうとイーオスは予測を立てた。考えられる罪状をいくつか教えてもらう。


 医者は彼の意識が戻ればもうけもんで戻らなければ…と言っていたが、それは私にとっても同じ。回復するのを祈るしかない。


「ゴーレムの絵の時と違って無茶苦茶ではないんですね」


 ちょっぴり皮肉を込めて言ってみるとイーオスは苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「あれは―――若気の至りと言う奴です」

「昨日の話なんだけどなー」


 カーマインが楽しそうにイーオスをからかう。

 その日はイーオスを含め宿へ一泊し、次の日チェックアウトして馬車屋敷に移った。



「ほう、ヴァレルノの貴族はこのようなものを使っているのですか」

「ヴァレルノの中でもアスコーネの貴族だけだ。しかも二台しかない物の片方を父から譲り受けた」


 私とトープの様に大げさに驚いたりはせず、イーオスは変形していく馬車を静かに見上げた。

 アスコーネの領都アンツィアを外して街道を通された遠い過去に、この便利な馬車を発明して献上した人がいたらしい。


 空いている部屋の一つをイーオスに貸し出した。クーノとの間で交渉が為されて食費だけ支払われることになる。身の回りの世話は、皆で兼任するらしい。


 トープも私もラセットも自分の事は自分で出来るので、何も問題が無いとベルタは言っていた。これから寒くなるので、コートなどの防寒具をクローゼットから物色して使いやすいように手前に出しておく。


「それにしても、ノアール様の周辺には男性のお知り合いばかりが増えていきますね」

「パーシモンさんと知り合ったもん。金狼亭のおかみさんとも知り合ったもん。鬱金だって女の子だもん。それにディカーテに居た頃は浅葱さん達やカナリーさん。ヴァレルノではヴィオレッタ様と知り合ったもん」


 クラレットさんだってシャモアさんだっている。だから、ベルタがどうしてそんなことを言うのか分からなかった。


「そうなのですか。私はどなたも存じ上げませんので」

「あ、そうか。この中に連れてこない限りは会えないからね」

「他にはどのような男性と知り合ったのですか?」


 旅を始めてからに限定すれば、グラナダさんにシーバさん。最近で言えばイーオスに医者に、魔法をかけてしまった人。

 ついでに、今置かれている状況を軽く説明する。そうしないと、ベルタのからかいの対象になりそうだ。


「では、そのゴブリンから人間に戻った者の意識が回復しなければノアール様は罪人とされるのですね」

「うん。何かいい方法知らない?」

「ゴブリンと言うのは、邪悪な妖精の一種です。元々人間だったものを妖精に替えたり元に戻したりを短期間で行われたら体に負担がかかるのは当たり前です」


 顎に手を当てながら首を傾ける。


「ただし、妖精が人間になる話は全く無いわけではないのです。恋をした妖精が試練を乗り越えて人間となり結ばれるのは、割とよくあるおとぎ話ですね」

「人間に変わった時に使う回復薬みたいなものは無いの?体の組織が変わって気絶したような状態になるでしょう?」


 ベルタはほんのちょっと宙を見上げた後、大きく頷いた。


「あります。妖精の気付け薬と言って、闇の世界に片足突っ込んでしまったものを呼び戻す薬が」

「作れる?」

「私よりもロルフが適してます。時間はかかるでしょうが、申し付けておきましょう」

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