使った魔方陣は

 その場で住民たちに攻撃を受けることは無かったが、冷たい目が刺すように向けられる中を宿へ向かうのはかなり精神的にきつかった。

 ゴブリンがいたのは城壁の外側の路地。内側に入った途端、誰に言うとも無しにほろりと口から洩れた言葉に、カーマインは律儀に答える。


「治したかっただけなのに」

「うん、わかってるよ。まずは宿に入ってからだ」


 ラセットが選んだ老舗の宿は、ヴァレルノで泊まったホテルほどではないけれどかなり高級感の漂う造りだった。だけど、楽しむ余裕なんてない。

 警戒をしながら部屋に入り、カーマインは即座に簡単な魔法陣を戸口に描いて結界を張る。トープがその様子を見て指摘した。


「魔法、使うんだ。ノアが使うのは止めたのに」

「身を守るためだからね。馬車に泊まれたら良かったのかもしれないけど。さて……と。ノア、座って」


 カーマインが止めてくれたのに魔法陣を使った事を責められるのかと、びくびくしながら柔らかなソファに座る。トープが隣に座り、カーマインがテーブルを挟んで正面に座った。


「魔法陣、呪文、祈りの言葉。どれも魔法の効果を安定させるものだけれど、絶対ではない。生まれ持った属性によって効果が大きくなったり小さくなったりするのは分かるよね?例えば火属性持ちが火を起こすのと、他の属性持ちが火を起こすのではほんの少し差が出てくる」

「うん……」


 怒られるのかと思ったらカーマインは魔法について説明し始めた。


 その辺りはマザーに教わった。誰が使っても同じ効果が出るように魔法の形にするのが、魔法陣だったり呪文だったりする。祈りの言葉は神に呼びかけるものだから厳密に言えば違うものなのかもしれないけれど、似たような物だ。

 私は闇の日生まれだから闇属性。日によって複数の属性を持つ人もいる。闇の日は闇しか使えない場合と全ての属性を使える人がいて、私は後者だ。

 ただ、魔法陣には誰でも様々な属性が使えるように記号が組み込まれるので、魔法自体に不便を感じたことは無かった。

 呪文タイプは自分の属性の影響が強く出るから、マザーはその辺りを見越して私に魔法陣タイプを教えてくれたのかもしれない。


「今まで、おかしな効果が出てくることは無かった?」

「カーマインも見たでしょう?お城の地下を歩く時、明かりの魔法陣を使ったけれどなんともなかったよ」


 初歩中の初歩であり、闇の力が出て来るなら一番影響を受けそうな魔法だ。カーマインも直ぐに思いだして頷いた。


「いきなり属性が強くなることも考えにくいし、だとしたら掛けられた方の問題か。けがを治すものを人間以外に使った事は?」


 私は今までの記憶を探り「無いよ」と答える。


「俺は専門家ではないから他にもどんな要素が原因なのかは分からない。けれど闇の日生まれのノアがゴブリンに変えられた人間にあの魔法陣を使ったら、元に戻った。と言うことは闇の属性を魔法陣に組み込めばゴブリンにされた者たちも元に戻る可能性がある」

「うん……あの人が無事に戻れれば、ね……」


 尋常ではない悲鳴がまた聞こえたような気がして、思わず耳を塞いだ。


「死んじゃったら、どうしよう……」

「どうもできないよ。生き返らせるなんて出来ないんだから。墓前に手を合わせて謝るくらいだろうね。それよりも今、一番の問題は戻せるかもしれない方法を明日、医者に伝えるかどうか、だ」

「このまま逃げた方が良いと思いますけどねぇ」


 未だ罪悪感から立ち直れない私と違って、カーマインは明日の事を考えている。突き放されたように感じたけれど、病院へ行かなければ生死も分からない。

 ラセットが言うように、何も知らなかったふりをして逃げてしまうのも良いかもしれない。


 魔法が使えないトープもトープなりに真剣に考えているようだ。


「伝えたらどうなるんだ?神殿に目を付けられると言うのは何となくわかるけど」

「闇の日生まれでノアの年まで生きているのはほぼ皆無だと思う。ならどうしてノアは生きているんだと神殿が疑問に思うのは当然で、他の闇の日生まれを救うためにノアが生きている理由を調べようとする。そうなれば自由に旅を続けるのは不可能で、捕まったら強制的に死ぬまで神殿の中だろうね。つまり、絵が描けなくなる」

「それは俺も困る。一人で顔料を手に入れる旅を続けるつもりも無いし、アトリエに戻るしか道が無くなるだろうな」


 神殿の外で仕事をしている神官たちを今まで何人も見てきた。マザーは元神官だし、ヴァレルノ王立図書館司書のクラレットさん、ドワーフ神官のグラナダさん。

 おそらく所属が神殿であったとしても仕事で出る機会ならいくらでも与えられるのだろう。地方の神殿にだって神官はいる。

 でも、私はおそらく自由は与えられない。神官になれるかどうかも分からない。私は闇の神の計らいで生き延びているけれどそれを知らない神殿は必要以上に丁重に扱うだろうから。

 最悪、体調から何から一切合切管理下に置かれて、生きてるのか死んでるのか分からない状況まで想像してしまう。


「カーマインはこうなることが分かっていたの?」

「いいや。他の貴族と同じように親から教わっただけだから、神殿に入って専門を学んだわけじゃない。知ってたらもっと強く止めてたよ」

「ごめんなさい。やっぱり私がやめておけばよかった」

「それを言うとキリが無いからね。医者には知らぬ存ぜぬで通しておこう」

「やっぱり逃げねぇんですか」


 ラセットはどうしても逃げたいらしい。カーマインはじとーっとした目でラセットを見た。


「逃げて追われて、この国に入れなくなったらどうしてくれるんだ?ヴァレルノに加えてイーリックも入れなくなって、いずれは国際的な犯罪人として知られるようになるのか?」

「あー、それも面倒ですねぇ」

「もしも治らないようだったらさ。時じくの実を分けてもらうってのはどうだ?……無理だよな」


 重苦しい空気を換えようとトープが明るく提案するけれど、直ぐに自分で否定した。

 静寂の中、ガガエのすやすや寝息が聞こえてくる。明日になったらそんな平穏も無くなってしまうかもしれない。

 自然と、姿勢がうつむきがちになる。頭の上から優しい声が降ってきた。


「大丈夫。ノア一人の責任ではないよ。もとはと言えばゴブリン化を放置していたこの国が悪いんだ」

「そうそう。お嬢さんはけがを治そうとしただけなんですから」

「堂々としてればいい。逃げるのはどうにもならなかった時だけだ」

「うん……」


 皆が励ましてはくれるけれど、その夜は寝つけなかった。




 翌朝、言われた通り病院へと向かった。壁の外側で個人経営しているらしい。医者は神殿で医学を学んだ経験があり、魔法陣の知識についても豊富だった。

 中年で腕は立ちそうだけど、どこかヤブっぽいのはきっと無精ひげのせい。


「魔法陣を使ったのは、あんたじゃなくてそっちの嬢ちゃんだろう?口塞がれてたからな」

「ええ、周囲にいた者達に彼女がやったと知られるのは危険だと判断しました」

「賢明だな。剣を持った騎士に襲い掛かるやつはいないだろう。……で、何をした」


 私はきのう描いた魔法陣をもう一度見せた。


「けがを治してあげたかっただけなんです」

「確かにけがを治すだけの物だな。浄化がつけられているが。で、他に何をやった?」

「何もしてません」

「そんなわけないだろう。ゴブリン化が解けてんだぞ」


 医者がザッとカーテンを開けると、そこには白い病衣を着た男性が横たわっていた。胸部が規則正しく上下して、穏やかに呼吸しているのが分かる。


「この人、昨日の?生きているんですか?」


 寝ていても背がかなり伸びたのが分かる。あれだけたくさんの傷がついていたにもかかわらず、手当てがされたのか魔法が使われたのか血の跡は見られない。


「死んではいない。だが生きているとも言えん。目覚めれば人間に戻れているからもうけもんで、目覚めなければ」


 医者はそこで言葉を切ってカーテンを閉めた。

 目覚めなければ……死?

 朝が来て漸く落ち着いた罪悪感がここへ来てまた揺り返す。


「ゴブリンの身長は百センチから百二十センチ程度。兵士として戦場に出されるのは百六十センチ以上が規定とされている。これは割とどこの国でも暗黙の了解で、子供を戦場に出さないためのものだ。身長が急に縮むのにも負担はかかるが、逆に対してだって苦痛は伴う」


 例えるなら何年もかけて伸びていく際にも感じる成長痛を、一度に経験するようなものだと医者は言った。

 更に、今まで無かった肉の部分が急に増殖するわけでもなく引き延ばされるので、血管や内臓にどれだけ負担が懸かっているのか分からないそうだ。

 ファンタジーであって欲しかった。そんな所でリアルさなんて要らないよ。


「取り敢えず緊急だったんでこっちも魔術を使って治した。だがな、かなり迷ったぞ。原因が良く分からなかったからな」


 昨日の状況を説明したりされたりした後、医者はふと、思いついたように口にした。


「お前さん、もしかして闇属性持ちか。先天性の?」


 知らんふりを決めるつもりが、図星をつかれて緊張が走る。カーマインやトープにも睨まれて医者は軽く手を振った。


「ああ、それについてどうこう言うつもりは無い。神殿の見立てでも魔法陣に組み込んで成功している。ただ、かなりの苦痛を伴うから患者に対しても人道的ではないとされていてな。許可制にしつつ治療費を吊り上げて安易に施術をしないようにしてたんだ。取り敢えず、患者の意識が戻ったら成功例の一つとして神殿の方には報告しておきたいんだが……」

「ダメ、ダメです。止めて下さい」


 すーっと血の気が引いていく。辛うじて首を振ることは出来たが、うまい言葉が出ない。闇の日生まれと知られる事も防げなかった。

 カーマインが助け舟を出す。


「それは困る。知識があるならあんたがやったことにすれば良い」

「俺ぁあくまで医者だ。無許可で闇属性入りの魔法陣を使ったとなりゃ免許剥奪されちまう」

「口止め料が必要なら出す。いくらだ?」

「困ってねェよ」

「脅しの方が好みなのか、変わった奴だな。……ノア、ちょっと向こう見てて?」


 カーマインはそう言って剣に手をかけるとがらりと雰囲気を変える。豹変の仕方についていけず、目を見開くことしかできない。それはトープも同じで、ラセットはおでこに手を当ててあちゃ~とか言ってるけれど止めない。

 顔を引きつらせた医者の首筋に、ピタリと刃を当てる。早すぎて鞘から抜いた瞬間も見えなかった。


「物騒な奴だなぁ!わぁーった、なんか奇跡が起きて元に戻ったとか誤魔化しとくから。ここはフォルカベッロ、何が起きてもおかしくは無いってな」

「どこまで信じればいい?」

「俺から神殿に情報が漏れるようであれば、その時こそ殺しに来ればいい」


 医者はそろそろと両手を上げた。カーマインはゆっくりと刃を鞘に納める。


「分かった。もう用は無いな。戻ろうか」

「ああ、ちょっと待った。もう一人お前さんたちに用事があるやつがいるんだが……おーい、こっちの話は終わったぞ」


 医者に呼ばれて姿を現したのは、イーオスだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る