感謝

 時じくの残りを食べた後の皮を見つめる。


 ただの果物だったらそんなことは気にも留めないけれど、滅多に手に入らない伝説級の果物だ。実に含まれた魔力の残滓などで、少し変わった画材になるかもしれない。トープも同じように思ったようで―――


「絵の具にするにしても水彩か…細かく刻んで絞る…けどそれじゃあまり色は出ないな。保存は出来ないし。樹木の皮や葉っぱを煮出して染料にするのは聞いた事があるけれど、絵の具は…」

「いやいや、ちょっと待って。何を言っているの。とても神聖な木なんだよ?」

「がうっ!」


 トープの呟きを聞いて、パーシモンさんと鬱金が慌てて木の前に立ちふさがった。トープが貧乏になっては大変だと、私は慌てて両手をぶんぶんと振りながら否定する。


「トープはこの木をどうしようとか考えているわけではありませんよ。染料と顔料は違いますし。ただこの皮から絵の具は作れないかと思っただけで」


 パーシモンさんと鬱金は、そう言うことかと肩の力を抜いてお互いの顔を見合わせる。長年連れ添っていると飼い主とペットは似て来ると言うけれど、二人はそれが行動に現れたみたい。


「そもそも、時じくの香の木の実をここから持ち出そうとすると消えてしまうんだよ。鬱金はいつも丸ごと食べるから、皮だけ持ち出すのは試したことないけど」

「がうぅ」


 野菜で絵の具を造り出した時のような形で色を出すのならもう少し量が欲しい。けれど年に二、三度しか鬱金が食べないのなら、かなり時間がかかる。まだまだ旅は続けたいから一所で待つのは無理だ。

 皮を魔法陣付の瓶で保存してもらうことも出来るけれど、国王であるパーシモンさんからどのようにして受け取るのか、手立てが付かない。郵送してもらうにしても直にあって渡してもらうにしても、誰かの目があるところであればこの皮は何だ、どこから陛下が出したと言うことになる。


 それよりもまず、この部屋から皮を持ち出せるかどうかだ。


「……取り敢えず戻ろう、トープ。一つ手に入っただけでも良しとしなくちゃ。パーシモンさんも帰りは迷宮を通るんですか」

「ううん、王の部屋まで魔法陣で移動できるよ。ただ、皆で一緒に出てきたらいろいろ疑われるから、悪いけれど元来た道を戻ってくれる?鬱金は彼らをお願いね」


 トープはいそいそと時じくの皮を瓶に詰めて蓋をし、荷物の中に入れた。


「ノア、この木を描かなくてもいいのか?」


 カーマインが私に尤もな質問をしてきた。確かに描きたい。描きたいんだけれども、私は首を振る。


「描いてはダメな物もきっとこの世の中にはあるんだよ、カーマイン。描いたらきっと、この国は滅んでしまう。ここは、誰にも知られてはいけない場所なんだと思う」


 名残惜しく思いながら、私は時じくの木を見上げた。おそらく二度とこの場所には来ないだろうから、目に焼き付けるつもりで。

 絵に描くつもりは絶対にない。伝説の一欠けらさえも、手がかりだって外に漏らしてはいけない。この皮も、単なる果物の皮として扱うつもりだ。


「鬱金がもしも用のある私だけを連れてきていたら、カーマインやトープが必死になって探してここが人の目に晒されていたかもしれない。そうならないように皆を信じて連れて来てくれたんだから、私は絵に描かない。皆も、誰にも話してはダメだよ」


 聖地と言えば、聖地なんだろう。ただし誰にも知られてはならない。降り注ぐ光に晒された木はこんなにも神々しいのに。

 私はぐっと拳を握りしめた。描きたくても描けない物だってあるんだ。


「絶対に裏切りたくないんだよ。それに、こういう縁はきっと何かに繋がるから。ね、ガガエ?」

「ん。その通り。どこで縁が繋がるか分からないからこそ誠実であるべきだよね」


 縁と言えば、私が今までそれほどひもじい思いをしないで来たのもこの木のお陰かもしれない。この木がもたらす実りはアスコーネ領まで届いていたのだから。

 自然と、祈りをささげる形になっていた。時じくを食べる前に、祈り忘れてしまったのもある。祈りの文句は食前にするものをアレンジしてみた。


「橙の女神様、我らの祈りを聞き届けいつも恵みを与えて下さり感謝いたします。様々な食卓に備えられし実りに祝福が有りますように。御身に宿る力が我らの糧となりますように」


 ほんの一瞬だけ、差し込む日の光が強くなったかのように思えた。けれど、それだけ。それでも日頃の感謝が届いた気がして嬉しくなった。

 ほうっと感嘆したようなため息が聞こえる。パーシモンさんのものだった。


「鬱金があなた達を連れて来たいと言った時はとても心配だったけれど、良かった!イーオスが馬鹿な事をしてしまって、本当にごめんなさい。ウルサンが美術品集めを趣味にしているから自分も…と思ったんでしょ。もうそれなりに仕事が出来るようになったと思ったけれど、まだまだね。きちんとしつけておくから」

「しつけるのはウルサンの役目では?」


 パーシモンさんは泣きそうな顔で笑った。「がう」と鬱金が出発を促したのでパーシモンさんに見送られながらその場を後にする。

 行きよりも幾分か気を楽にしながら歩く。あのような木が生えている場所でモンスターの類が出るなんてあり得ない。手持無沙汰なのか、カーマインが話し始めた。


「パーシモン様は子供が一人居たって言ってたな」


 始めはカーマインがどうしてそんなことを言うのか分からなかった。


「うん、それがどうかした?」

「シーバのいとこって考えると年齢的にイーオスも当てはまらないか?」

「まさか、イーオスはパーシモンさんの子供?」


 私は小さな子供を想像していたので意外だった。でも金狼亭が建てられた頃に国王に選ばれたと言っていなかったか。

 年数ははっきりと聞いていなかったが辻褄は合うかもしれない。イーオスの父親がウルサンの血縁と結婚してそのまま引き取られるとか、可能性は全くないわけではない。


「平民が王様になれるこの国なら、平民が貴族の養子になるのもあり得ない話ではないだろう」

「もしそうだとしたら、お母さんが欲しいと言った絵を上げたくて、こんなことを……?」

「もう少し貴族的な手段をとることだって出来たんだ。ノアの言うように記録絵画―――歴史的な資料として扱うのなら名前を残すと約束するか、或いは宮廷絵師の道を融通するとか」


 カーマインが思いつく方法を上げていると、トープが腑に落ちない声を上げた。


「親ってそんなに何かしてあげたくなる物なのか?人に迷惑かけてまでマザーに何かを上げたいとは思わないけどな」

「悪事を働いたわけでもないのに生き別れになったんだ。普通よりも思いが強くなる可能性だってある」

「特にパーシモンさんは王様になってしまったんだもの。神聖視してたって仕方がないよ。もしかして気付いてるのはパーシモンさんだけかもしれないし」


 かもしれないを上げていくとキリがない。


 歩いている内に、城として整備された場所に出てきた。人の目のある場所でパーシモンさんと合流して、入り口まで案内される。その途中でイーオスがしれっと声をかけてきた。


「陛下、この者たちは陛下を誑かすとして牢に入れたはずですが」

「私は彼女たちをもてなせと命じたはずよ。それがあなたのもてなし方?」


 叱られているイーオスは、目を白黒させている。イーオスが怒られた経験、或いはパーシモンさんが反論したことが今までにあまり無かったのかもしれない。


「大した価値のない絵を高額で買い取れと、厚かましくものたまったので私の判断で入れました」

「五十万を目安と言っていたの。仕上がり次第だと言っていたから価格交渉を彼女たちもするつもりだったのに、どうして邪魔するの!」

「ですがそれでも目的の無い高額での買い物はあなたに許されていません」

「……ええ、確かにウルサンにも反対されたわ」

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