商談

「買い取りは致しませんが記録絵画だと言うなら寄付と言う形で受け取ります」


 イーオスにとんでもないことを言われて流石の私もちょっと腹が立った。寄付ってこちらが自発的にするものだよね。

 むむむ、良かろう、これは駆け引きだ。初の商談で絵だけ持って行かれたとあってはこの先の画家人生、お先真っ暗だ。只同然の価値しか無いと周囲に知られては困る。

 ここは真っ向から見据えて迎え撃つ!

 出来るだけ笑みを絶やさぬ様にして、余裕を見せつける。気分は貴族のご令嬢。


「この国の文化に合わないと言っておきながら、只でよこせと。そうおっしゃるのですか」

「寄付がお嫌ならば接収と言う形になりますね。敵国の兵器を題材とした軍事記録であるので、名目上は何ら問題はありません」

「そこまで欲しいのですか?この絵が」


 呆れるのではなく感動しての絶句だったのかも。世間で名画だと言われているわけでもない、描き上がったばかりのこの絵を手段を問わずに手に入れようとしてくれるのは、ちょっと嬉しい。喜んでいる場合ではないけどね。

 思わず口元をにんまりさせてしまうとイーオスの眉間のしわが深くなった。

 

「私が欲しいのではありません。陛下が望んだものです。ただ、それほどの大金を国庫から支払えば反感を買うのは目に見えています。おそらく陛下は現在、父に諦めるよう説得されていることでしょう。ですが、国家の為に様々なものを犠牲にされておられる陛下の、数少ない望みは叶えて差し上げたいのです。家族と引き裂かれて死ぬまで玉座から降りられぬ陛下を、お可哀想だとは思いませんか?」


 確かに、この応接間に通されてからかなり経つ。金額が高いからかもしれないけれど、何も現金でよこせと言っているわけではないので支払いの方法はいくらでもあるはずだ。


 イーオスの気持ちは、分からないでもない。頑張っていたら手を差し述べたくなるのが人情と言うものだ。蘇芳将軍から頂いたお金もまだまだ残っているし、高いお茶や美味しいお菓子も頂いてしまったし……

 迷う私の心を見透かしたように、カーマインがぴしゃりと言い放った。


「契約を履行させずに甘やかすのは、貴方たちがパーシモン様を十分見下しているように見えますね」

「私も、契約が正式に結ばれたものであればそのように手続きを致します。ですが契約書も無いのでは詐欺を疑わざるを得ません。事実、そう言った輩が元平民と言う理由だけで陛下を付け狙うことも多いのです」


 今度はこちらを詐欺師呼ばわり。何だか、平民を玉座につかせることに忌避は無いと言うような顔をしておきながら、身分差を十分に利用しているようにも見える。


「パーシモン様の立場を考慮して敢えて結びませんでした。周囲に反対されても断りやすいように考慮しての結果です。まさか、それ以上の難題を突き付けられるとは思っていませんでしたが。イーリックではこのようなやり方がまかり通るのですか?」


 自分で言っておきながら随分挑発的だなぁとは思っていたけれど、案の状、イーオスは顔を真っ赤にしていた。


「我が国を馬鹿にしているのですか」

「馬鹿にしているのはそっちでしょう?精魂込めて描いた絵を脅してただで取り上げるなんて客、いませんよ。どこの盗賊ですか」

「な、と、盗賊」


 盗賊と言われたイーオスは顔を真っ赤にするどころか、一転して真っ青になった。どう考えても反応がおかしい。何かやましいことをしているみたい。

 もしかして、今までにもこんなことをしてきたのかな。同情を煽って対価も払わず取り上げて。

 だとしたらその絵はどこにあるの?

 もしかしたら個人で所有するのではなく、美術館や宝物庫など絵画を国として収蔵するきちんとした場所があるのかもしれない。


 でも、いくら国のためとは言え、このやり方はちょっと許せない。


「ノア、落ち着け」


 トープが止めるのも聞かず、私の口はヒートアップして行った。


「だって、お城に一枚も飾られていないのに名画を見慣れている、絵をただでよこせってどう考えても―――」


 立場を利用して懐に入れているとしか思えない。そう言おうとした私の口は、カーマインの手でふさがれていた。クッキーの匂いが沁みついていてバターの香りがする。どれだけ食べたんだ。


「それ以上言うと本当に侮辱罪に問われるね。ノアは絵を売りに来た。客はパーシモン様であってこの人ではない。どうして今回に限って首を突っ込もうとするんだ?」


 そうだった。この人がパーシモンさんを利用して犯罪まがいな事をしていても私には関係ない。それはこの国家の問題であって、この国の人たちが解決するべきだ。

 いつもなら身分差を弁えて目上の人に食って掛かるなんてしないのに。パーシモンさんを平民上がりの国王様と親しみを感じてしまっているのかもしれない。

 冷静にならないと。

 口を塞いでるカーマインの手をぽんぽんっと叩くと、すんなり離してもらえた。


「交渉はパーシモン様といたします」

「今更取り繕ってももう遅い。この者達を地下牢へ連れていけ」


 青ざめたままのイーオスは兵士に命じた。カーマインが立ち上がって剣に手をかけこちらを見たので、手を上げてちょっと待ってもらう。


「あら、罪状は何でしょう?」

「私に対する侮辱罪だ。王家に忠誠を捧げるこの身を盗賊呼ばわりした」

「対価を払う気があるならばそのようにおっしゃればいいのに」


 イーオスはつかつかと帰る準備をしていたトープに歩み寄ると、その手から絵を取り上げた。幾分か顔色が戻っており、にやりと笑ったその顔は紛れも無く悪役の顔だ。

 手で合図をして集まった兵士に、今度こそ囲まれてしまった。


 カーマインがため息をつく。


「認めたも同然だな。俺と連絡が取れないとなるとヴァレルノが動き出すがどうするつもりだ?」

「あなたがカーマイン・ロブルであることは存じております。追放処分を受けて今は権力を失墜させていることも。今の貴方の為にヴァレルノが動き出すことなど有りません。無様ですね」


 親指で剣の鍔の部分を一センチほど持ち上げているので、刀身がわずかに見えている。踏み止まるのも限界みたい。

 今度は私が止める番だと手を伸ばしたら、触れる前にカーマインはこちらに振り向いた。


「どうしようか、ノア」


 人を殺しそうな顔でもしていたらどうしようなんて思っていたけれど、振り向いたその顔は冷静だった。


 もしも暴れたらどうなるか。例え手加減して相手を殺さず、こちらもけがをしなかったとして、その後は追手を巻きながら走って逃げなければならない。トープやカーマインはともかく、私がまともに走れるだろうか。

 いや、無理。絶対無理。二人に迷惑かけるの分かってる。


「依頼主であるパーシモン様が来ない事にはどうしようもないよね。ここで暴れる形で商談がつぶれるのは嫌だし、大人しく捕まってみよう?」


 提案を了承するかのようにかちん、と剣を鞘に納める音がした。





 鉄格子の扉がガチャリと閉められて、牢屋に入れられた。皆と一緒なので大変心強い。ちょっと寒いけど。


 ……ここもある意味、前世では滅多に見られない風景なんだよね。

 カーマインが剣を取り上げられただけで私たちの荷物は無事だ。そして私の荷物にはスケッチブックと色鉛筆が入っている。商談が終わったら鬱金を描かせていただこうかと密かに企んでいたのにがっかりだ。


「取り敢えずパーシモンさんはある意味で大切にされているみたいだね」


 私が明るくそう言うと、カーマインが苦笑した。


「そうだな。平民として蔑まれるよりは利用される方がマシなのかもしれないな」

「なんでそんな二人とも平気でいられるんだよ。一生ここから出られないかもしれないんだぞ」


 トープが一人騒ぐ。小さい頃は仕置き部屋の常連だったのに怖がっているのかな。鉄格子をがこがこ揺らして牢番に怒鳴られてる。


「俺はこれで二度目だし、死刑宣告されたわけじゃないから前よりましってとこだな」

「トープ、何事も経験だよ。悪いことしないで入れるなんて滅多に無いよ」

「微妙にワクワクしているように聞こえるのは俺の気のせいか?言いながらスケッチブックを取り出しているのは何故だ?」


 何だかイライラしているトープはほっておいて、私は背中について来ているはずのガガエを呼んだ。


「ガガエ、パーシモンさんに連絡取れる?」

「んー。結界が張られている場所に居たら無理だけど、行けるところまで行ってみるよ」

「他の人に見つからないように、気を付けてね」


 ガガエは「ん」と返事をすると壁をすり抜けて行った。ガガエの能力を知らなかったのか、カーマインとトープは驚いている。


「ノアの余裕はこれが理由だったのか」

「ラセットに連絡を取って…もどうにもならないか。絵の一件がイーオスの独断であることを願おう」


 荷物が取り上げられなかったのは幸いだ。室町時代の水墨画家、雪舟の様に柱に縛られていないので足の指を使って涙でネズミを描く必要もない。

 ガガエを待っている間、私は牢屋の絵を描きはじめた。

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