可能性
イギリスのロマン主義の画家、ターナーのようなぼんやりとした色彩でゴーレムを描く。ロボットアニメの様に明確な色彩で描くことも考えたけれど、乾燥を早める為に絵の具に混ぜた石灰岩がそれを阻んだ。
本当は空の青とゴーレムの白を対比させ、例えるならギリシャのサントリーニ島の景観のようなイメージを出したかったんだけど、どうも色を一定に保つのが難しい。
例えばトープの作った空の色を広げても、伸びが悪く筆を落とすたびにほんの少し色味が変わるような気がするのだ。青空は所々雲間からのぞかせる程度になった。
でもこれはこれで恐ろしい感じと迫力を出せて、却っていい仕事をしてくれたと私は思っている。
「良く言えば雰囲気が出ている。悪く言えばなんか、薄汚い気がするんだけど」
期日を前にして仕上げに足りない色が無いか見に来てくれたトープが、言葉を選びながら率直な感想を言う。
「うん。受け入れてもらえるかどうかは微妙なんだよね」
芸術が盛んだったディカーテだったらきっと賛否両論あっても受け入れてくれる人は一定数いると思う。けれどイーリックではどうなんだろう……しかも買い取る相手は国王だ。
パーシモン様を取り巻く環境にも依る。煌びやかなものを好む風潮だったら無理かもしれない。
「取り敢えず見せてみて、あまりお気に召さないようなら値段を下げるかな」
「そうだな。正式な契約書もまだ交わしてないし、もしダメでも買い手を探せば良い」
その後少しだけ手を加えてサインを入れ、馬車屋敷から持ち出し金狼亭で披露した。お客さんは他にいない。
この瞬間が一番緊張するんだよね。
「何だか伝説の一幕を見ているみたいだ。古い物語の一場面みたい」
とは、カーマインの感想。その怪物を倒したあなたも伝説クラスだと思います、なんて。
「ちょっと仰々しくないですかねぇ。只の石の怪物だってのに」
と、ラセットがロマンの無いことを言う。そんな感想は求めていない。
「すごい。村の風景とはまた違った感じが……流石五十万」
シーバさんはお金の事ばかり。ちょっと無粋。
肝心なパーシモン様はと言うと、絵に見入っている。あまり喜んでいるようには見えなくて、ドキドキと緊張で高鳴っていた気分がしゅるるると空気が抜けていくように|萎(しぼ)んでいく。
隅々までしっかりと見た後、サインを確認しながら言った。
「本当にこれ、あなたが描いたの?そっちの男の子、トープ君だっけ?じゃなくて」
予想もしてなかった感想に、息が止まった。
もしかして不正を疑われている?確かにパーシモンさんの見える場所で描いていないけれど、描き手が別人でしょうなんて言われたのは初めてだ。
脳裏に孤児院の落書きの件がちらりと蘇った。あれとは全く逆だけど、連鎖で暗闇の中に閉じこめられたことまで思い出す。
それから、コンクールでの盗作疑惑。犯人は既に亡くなっているけれど、心に残り続ける小さな楔を打たれた。
―――疑われるのは、怖い。今回はトープも私も部屋に籠っているから、完全に否定するだけの証拠が出せない。
足が、幽かに震える。
息も絶え絶えに出た言葉は、なんだか自分が不正をしているのだと認めているような物だった。
「な……んで……」
「どういう意味ですか。俺はノアが描くための絵具を作っただけです。どうしてそんな言葉が出てくるんですか」
トープがすかさず助け舟を出してくれる。トープも腑に落ちないものがあるみたいで、ほんのり怒気を孕んだ声になった。私だって怒りと恐怖で目がくらみそう。
お前がこのような絵を描けるものかと言われたようなものだ。
私は絵を描くしかできないから、そこを疑われてしまったら今までの人生が前世も含めて全部否定されてしまう気がする。
疑いは、自分で晴らさなければ。コンクールの時の様に、自分で。
「私が絵を描くところはシーバさんも見てます。疑うのならここで何か描いて見せましょうか」
パーシモンさんを見据えて、反論をする。トープのお陰で足の震えも止まった。喧嘩腰にはならないように明るく振る舞ってみせるが、ショックを受けたのをパーシモンさんは見逃さなかったようだ。
「ごめん。あまりにも迫力があるものだから女性が描いた物とはとても思えなかっただけで、疑っているわけではないよ」
「ああ、何だ、そう言うことか。良かったな、ノア」
パーシモンさんが慌てて両手を振っている。
私は膝から力が抜けて倒れそうになり、思わずテーブルに手をついた。
「ノア?」
「ごめんなさい、大丈夫。疲れちゃったのかも」
へらへらっと笑ってみせると皆ほっとしたようだった。
「大丈夫?私は明日の朝ここを立つけど、少し遅れて来る?」
「いえ、本当にご心配なく。……と言うことは買い取ってもらえるんですか」
「勿論だよ。こんな、実物を見ているみたいな絵、初めて見た」
パーシモンさんがやいやいと褒めそやすのでかなり脚色していると白状すると、曇っている日ははこんな感じだったとシーバさんが首を振る。
「後は城の連中の判断なんだけど、もしダメでも何とかして絶対買うからね」
「はい。お願いします」
まだ正式な取引が為されていないので私が絵を預かることにして、一度馬車屋敷へと戻った。
短期間で絵を描き切り、それが認められたのはとても嬉しい。
けれど、今の指摘で思い当たってしまった。
―――トープが絵を描く可能性に。
イーリックの王都、フォルカベッロに向かう。私たちが馬車に乗っている横を鬱金に乗ったパーシモンさんが走っている。用事のある時以外に金狼亭に出入りしなかった数人の護衛は馬に乗っている。
私は馬車の中でずっと考え事をしていた。
ピアノの調律師はピアノを弾ける。本の編集者だってある程度の文章が書けなければならない。どちらも始まりはピアニストや作家になる夢から始まると思う。そのうちに枝分かれした道を歩み始め、仕事として選ぶ。
同じように考えて、絵の具を作れるなら作品を残したいと思うのは当然だ。
トープが描くようになったら私はきっとトープを手放さなくてはならない。今まで頼り切っていた画材を作ったりカンバスを組み立てたりするのだって、自分ですべて行うべきだ。
トープの方が優れた作品を残す可能性だってある。正直言ってかなり怖い。私自身がトープの道を塞いでいる可能性もあることに気付いてしまった。
気づいてなら責任もって風穴を通さなくてはならない。
だって、妹だもの。
「ねぇ、トープ。トープは絵を描かないの?」
私の突然の問いかけに一瞬だけきょとんとしていたが、トープはあっさりと答えた。
「描かない」
「どうして?」
「描いていたら絵の具を作る暇が無くなる。ノアは絵の具を作っていたら絵が描けなくなるのが嫌なんだろう?俺はその逆だ」
理屈はあっている。きっと描くよりも擂ったり練ったり試してみたりする方が好きなんだろう。でも。
「描きたいけれど我慢しているってことは―――」
「ない!パーシモン様の言葉を気にして言っているなら、見当違いだぞ。俺の作った絵の具でノアが描くのが楽しみなんだ。自分で描いたらどこにどんな色が使われるのか分かるからつまらない。ノアが夢の中で使った絵の具だって作りたい。大体職人になってからかなりたってるのに、そう言うことはアトリエに入る前に言うべきだろ」
「そっか。……あれ、でもアトリエに入ること黙ってたよね」
私が指摘するとトープは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。ちょっと面白くて思わず笑ってしまう。
トープの分岐点はとっくに過ぎていたらしい。私が心配する事でもなかったとほっとしていると、カーマインが口を挟んできた。
「トープはずっとノアだけの専属の職人でいるつもりなのか?絵の具はどうか知らないけれど、職人は複数の顧客を持つものだろう?」
私とトープが顔を見合わせる。確かに、客の内の一人である私が独占してたらトープがあまり稼げない。
「正直な所、今はいてもらわないと困る。でも将来はどうなるか分からないよね。私がアトリエ作るとかトープが工房を立ち上げるとか」
「普通だったら工房でずっと仕事をして、工房の中の誰かが次の親方になって。一人立ちして新たな工房立ち上げるにしても顔料を仕入れる販路を確保しておかないとならないし、この旅で顔を広げられたらいいなとは思ってるけど、まだそこまで考えられないよなー」
トープは、私なんかよりもよっぽどしっかりした考えを持っている。一生絵を描いて暮らせれば後はそれほど固執しない私も、固定の客を得ておいた方が良いのだろうかと考え始めた。
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