カーマイン視点

 ノアがパーシモン様の為に馬車屋敷に籠り始めてから数日がたった。農作物の収穫などを手伝うこともすっかりなくなり、金狼亭の食堂で時間をつぶす不毛な日々が続いている。

 目の前には同じく暇を持て余すラセットとガガエ。昼間から二人で飲んだくれるのもノアに悪いので、水で我慢している。


 父がくれた馬車屋敷はノアが喜んでくれると思って受け取った。が、こうも会えない日が続くとなると父を呪いたくなる。普通の馬車だったら食事を済ませる為に部屋から出なければならない。少なくとも一日三回は会えるはずだ。

 ベルタが食事を運ぶので、ノアは部屋からも出ない。ならば食事を運ばなければ出てくるだろうと思ったら、トープによると、絵を描きはじめたら空腹が理由で部屋から出てくることは無いそうだ。


 寂しさを紛らわせるために、懐から藍色の石を取り出してテーブルの上に置くと、ラセットが目ざとく指摘する。


「おやぁ、これはお嬢さんにあげた石でしょう?どうして持ってるんです?」

「この石はゴーレムの左右両方の足についてたんだ。ノアに渡したのとは別の物だよ」

「はぁ、左様で―――え、ってことは本人が気づかないようにプロポーズしたようなものですか」


 ラセットは俺が意図することに直ぐに気付いたようだ。ヴァレルノ地方だけのものかどうか知らないが、石の付いたアクセサリなど同じものを二つ用意し、片方を相手に渡し求婚すると言う風習がある。

 取り敢えず二つそろっていたのでノアに渡した。縛り付けるつもりはないけれど、万が一の為の保険としてだ。

 よりによって神殿の者に没収されそうになったのは驚いたが、何とか阻止できた。やはり、神殿は敵だ。

 それにしても―――


「ノアがいつ気付くのか楽しみだなぁ。気付いたらお返しにあの青い石をくれるかもしれないな」


 ちょっとしたいたずら心がうずく。驚いたノアの顔を想像しながら石を撫でるとラセットが怪訝そうな顔をした。


「なんでそんなことを。あのお嬢さんだって割と鈍いから一生気付かれないかもしれないんですよ?」


 確かにノアならあり得るかもしれない。でも。


「それでも良いんだ。いざと言う時の逃げ道になりさえすれば。ノアの足枷だけにはなりたくない」

「支えになりこそすれ、足枷になんてならないと思いますけどねぇ」


 国を追い出されただけで目的の無い旅だ。対してノアールには絵を描くと言う目的を持っている。闇の日生まれでただでさえ死に近い彼女からいろいろな災いを遠ざけたいのだが、俺自身が火種になりやすい体質だと自覚がある。


 独占欲が全くないわけではない。ノアが望むのなら今すぐにでも彼女専用のアトリエを建てて閉じ込め、好きなだけ絵を描かせてやりたい。そこにトープが必要だと言うのなら義理の兄として受け入れる覚悟だってある。

 画廊程度ではなく美術館を建てたいとまで言ってしまえばきっとドン引きされる。彼女の作品数はまだまだ多くないだろうし、そこまで愚かな事をするつもりはない。


 その気もないのに石を渡すほど節操なしではないつもりだ。

 ガガエがぺちぺちと石を触っている。絵に没頭しているノアと絵の具を作るトープに相手にされないのでここに居るようだ。


「知ってるか、ラセット。この風習の由来」

「ええと、確かどこかの姫と婚約していた騎士が任務の為に国を離れることになって、精霊石を分け合って愛を誓ったとか何とか」

「んー、僕その続き知ってるよ。悪い魔女に姿を変えられた騎士をその精霊石を目印にして姫が探しだして結ばれたんだ。そこから二つの物を揃えてわけあうのは離れ離れになった時の目印となったとさ」

「よく知ってるな、ガガエ。流石は縁を結ぶ妖精だな」

「んふふー」


 よくあるおとぎ話。もともとは貴族の風習だったが、今では人工の安価な精霊石も出回っているから一般庶民のトープでも知る様になった。


「戦いの予感、ですか」

「いーや、単なる保険だよ。もしかしたらノアがその気になる前に、変な虫が付いてしまうかもしれないだろう?」


 厨房にいる金狼亭の息子に目を向ける。この村を薦めたことと言い、祭りの時にダンスに誘おうとしたり、一人きりのノアに話しかけたりと、かなり怪しい行動が目立つ。

 国境沿いの農村地帯で結婚相手の不足問題はどこの国でもある。誰でもいいのならノアでなくても良いだろう。

 もしもノアに求婚でもしようものなら決闘でも何でも受けて立つ。と決意を固めていると、視線の先をたどったラセットが呆れたようにため息をついた。


「そこまでお嬢さんに入れ込む理由は何ですか?」

「人間離れしていく俺が、人間で居られる場所だから。絵を描くって、とても平和的だろう?」


 尋常ならざる過去や闇の日生まれなんてとんでもないもんを抱えているのに、普通で居られるノアを見てると、自分も同じになった気がする。少なくとも、こうして暇つぶしなんてできなかったはずだ。


「神話の赤の女神の様にならないように、壊さずに大切にして、守って。子供の頃のノアールと出会ってなかったら、塔に大人しく入っているなんてきっとしなかった」


 自分に助けを求めようとする小さな手。あの経験が無かったら人生が違うものになっていたかもしれない。赤の加護を持つ者はかなりの割合で粗暴な者が多いそうだ。


「あー、普通に見張りを殺して脱走する姿が目に浮かびますね。蘇芳様もそれを見越して画家を塔によこしたんでしょう」


 指名したのは自分だが、連れてこられた画家がノアールでなければそうなっていた可能性はある。


「自分がいつ死ぬかもわからないのに、なんであんなに能天気…じゃなくてええと、悲嘆にくれることもなく好きな事にのめり込めるんだろうな」

「そんなのは生きてりゃみんな同じですよ。明日絶対死なないなんて、誰が言えますか」

「それもそうか」


 ノアールが絵を描き終ったらおそらくイーリックの王都へ向かうことになるだろう。平民から選出される国王の立場を思えば、まとまった金をこの場で支払うなどおそらくは出来ない。一悶着ありそうな気がするが、皆で付いていけば大丈夫だ。


 



「カーマイン・ロブルか?」

「いや、人違いだ」


 この店を利用し始めてから気になっていた客が、漸く動き始めた。入口から遠く薄暗い場所で何度か見かけたことがある。狙いはノアールか、パーシモンの為に先回りしていたのかと思ったけれど、違った。

 話しかけてきたのは右頬に傷のある男一人だが、奥にいる二人がこちらを窺っているのが見える。


「ゴーレム退治はご苦労であった。その力、是非とも―――」

「断る」


 人違いだと言っているのに聞きもしない、しかも名乗りもせずに上から目線の態度。どうせ碌でもない事だと判断して即座に拒絶した。ラセットが冷や汗を掻きながら、じりじりと椅子を移動させている。俺が暴れるのを見越しているんだろうが、厨房で何故か店の手伝いをしている国王の目前でそのような事をするわけがない。


「何故だ。その力があれば一国を一人で落とすことも可能だと言うのに」

「俺は出来る限り普通の人生を歩みたいんだ。胡散臭い人間の依頼をホイホイ受け入れられるわけがない。人の名前を問う前に自己紹介が先だろう」


 確かに胡散臭く見えるヤツを従者として使っているけれども、とちらりとラセットを見ると飲みかけのコップとガガエを隣のテーブルに移動させていた。話しかけられる前に石はしまってあるので、テーブルの上には何も無くなる。

 一体何をしているんだか。


「これは失礼した。私の名前はピュース。傭兵ギルドの次期マスターだ。どうやら暇を持て余しているようなのでギルドの加入を薦めに来たのだが」

「神殿を母体としている組織に関わりたくない。神官のグラナダにはそう言って断ったはずだが」


 傭兵ギルドは赤の女神の神殿の管轄だ。傭兵稼業を生業としている人間たちに仕事を与えたり、暴動や戦が派生すれば強制的に招集されて神殿側として鎮圧にあたらせる。

 どこにも所属せず個人で自由に依頼を受けるのが冒険者だ。


「話には何度か聞いていたが、どうしてそこまで嫌がる」

「理由はいくつかあるな。組織に縛られて身動きが取れなくなるもどかしさ。それから戦い続きの日々も望まない」


 神官のグラナダはあっさり引き下がってくれたがピュースはしつこかった。神殿にもいろいろな者がいて一枚岩でないのは理解しているが、こう言うのは勘弁してほしい。

 ピュースは会話の中から落としどころを探ってきて、あろうことかノアールを引き合いに出してくる。この村に来てからの一部始終を見られているのか、微妙に痛いところを突かれた。


「あの娘の絵が売れない場合を考えて稼げる方法を確保しておくのは、男として矜持を保つためにも必要だろう」

「依頼を受けている間にノアールをどこぞの馬鹿が攫うかもしれないから嫌だと言っているんだ」


 いい加減うっとうしくなって怒気をはらんだ声で凄んで見せるが、ピュースは引かなかった。寧ろ頬の傷が歪むほど口の端を吊り上げる。


「なるほど、あの娘が弱点か」


 ―――ああ、こいつはダメなやつだ。ピュースは墓穴を掘った。

 はらわたが煮えくり返る。両親から受けた、貴族としての顔を保つ厳しい教育がこんな風に役に立つとは思いもしなかった。

 だんまりを了承と勘違いしたのか、ピュースが一枚のメモを渡してくる。


『国王の誘拐を頼みたい』


 ほら、碌でもない。ギルドにも入らないと突っぱねているのにこのような計画を明かすなんて、馬鹿ではなかろうか。次期ギルドマスターだなんてのも『自称』がつくのだろう。ピュースはそんな俺の内心に気付くこともなく、やたらと饒舌に語る。


「橙と黄色。二つの女神を一つの国が独占するのは危険だ。ギルテリッジにも派遣されれば今回の戦争は行われなかった。そうは思わないか?」

「思わないね。ギルテリッジが悪い。こんな依頼を請け負ってしまえば、俺の故郷であるアスコーネにも影響は出てしまう」


 バスキ村を始めとしたあの豊かな農村が寂れていくのは嫌だ。うまい野菜がたっぷりとれて、村に住む人たちもみんな笑顔で。故郷が温かかったからこそきっと、ノアが無事でいて、今の自分がある。


 言葉から漸く断っていると理解したのか、ピュースの顔は見る見るうちに驚愕の表情に変わって行った。


「自分を追い出した故郷をかばうのか。娘がどうなっても知らんぞ」

「何を勘違いしているのか知らないが、父は快く見送ってくれた。それに俺は最初から断り続けているつもりだ。俺の言葉、ちゃんと通じているか?」

「くそ、知られたからには―――!」


 ピュースは奥にいた二人の仲間を呼んで襲い掛かってきた。ラセットがテーブルを倒してどかしてくれたおかげで動ける場が出来る。剣を鞘から抜かず、無手だけで三人を床に沈めた。

 他の客がいない時間帯で良かった。騒ぎに気付いたおかみが厨房から出てくる。


「なんだいなんだい、どうしたんだい?」

「どうやらこの三人は、国王誘拐を企てていたようですよ。捕縛の手続きなどはどうしましょうか?」


 メモを見せると厨房からパーシモン様も出てきた。鬱金の他にも人間の護衛がこっそりついているらしく、ピュース達をそいつらに引き渡すと深々と頭を下げられてしまう。


「未然に防いでくれてありがとう。もし捕まってたら、たとえ無事でも里帰りが出来なくなる」

「いえ、丁度良い暇つぶしになりました」


 かなりお粗末な展開だったが、ノアールが人質になっていたかもしれないと思うと、馬車に籠っているのも良かったのかもしれない。

 ラセットが一人呟く。


「やっぱり暴れた…けど店への損害も無し。旦那の鋭い視線にも耐えて、よくやった、自分」

「なんか言ったか?」

「いえいえ、自分を褒めてただけですよ」

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