強制終了

 それからの私は馬車屋敷の中でひきこもり生活となった。


 随分と庶民的な方とは言え、国王に献上する絵を描くのだ。しかも題材はのっぺりと単純な線で描けるゴーレム。かなり苦戦すると予想できるのに期限は二週間しかない。

 トープがあらかじめ組み立てておいてくれた十号サイズのカンバスを使う。元々ゴーレムを描く予定はあったので、村の景色を描くついでに下塗りもしてある。

 サイズについては聞いておかなかったけれど、期限が短いことを考えればこの大きさが限界だ。


 油絵は乾燥に時間がかかる。水彩では色が柔らかすぎて迫力を出せる自信が無い。


「ねえ、トープ。アクリル絵の具って知ってる?」

「あくりる?聞いた事は無いな」

「そっか、いーや。油絵で行こう。使い慣れているし」


 アクリル樹脂を使ったアクリル絵の具は水彩絵の具だけど、乾いた後に耐水性が得られる。厚塗りも出来るし今回みたいな依頼には向いていると思ったんだけれど……

 石油などから作る合成樹脂はきっとまだこの世界に存在しないんだろう。石油が存在するのかもわからないし、あったとしてもそこからどうやって作るのかまでは知らない。

 無いなら仕方がない、と気持ちを切り替えたがトープは引っかかりを覚えたようだ。


「俺が知らない画材をどうしてノアが知ってる?ベレンス先生にでも教わったのか?」

「あ、ええと前に油絵が中々乾かなかった時に夢の中で見たから、名前も何となくで…現実に存在していなくてちょっとがっかり」


 存在しないものを誰々から聞いた、なんて言えない。誤魔化せたかな。まずいかな。

 変な知識を持っていたところで化け物扱いするようなトープではないと信じているけれど、興味を持ちすぎてずーっと追求される可能性だってある。アトリエにいる時に聞いていたら工房の人たちも巻き込んでいたかもしれない。


「どんな絵の具だったんだ?」

「えっとね、ちょっと変わった樹脂が入っていて、水彩で簡単に扱えるんだけど油絵みたいに厚塗りもできて、乾いた後に水に溶けにくかった……ような……?」


 首を傾げて夢を思い出しているような演出を加えてみる。ぼろが出ないうちに早くこの話題から離れたい。冷や汗出まくりの私を、兄としての生温かい目で見ながらトープはこう言った。


「分かった。その内にそんな夢のような絵の具を作って見せる。けど今は時間が無いから油絵で我慢しろ」


 お、おおおおっ!?何だかトープがカッコ良く見えてきた。目つきは出来の悪い妹を見ているようだけど、トープならできそうな気がする。応援するよっ!

 本当は画家が自分の好みで造らなくてはいけないのかもしれないけれど、私の場合いつまでたっても絵が描けなくなりそうだからね。任せられるところは本職に任せておこう。

 

「まずはゴーレムの欠片を粉末にして混ぜてみるぞ。割合はそんなに多く出来ないけれど、固くなって早く乾くと思う。ちょっと壁画を描くのに似てるかもしれないな」


 絵の具を作る作業はトープの部屋で行っている。私の部屋だと衣装に匂いが移ってしまうかもしれないからだ。青い髪に青い服を纏ったベルタと似ているルファが扉のところで控えていて、部屋の作りも同じなので自分の部屋と錯覚してしまいそう。


 私が持って来た扱いやすいチューブの絵の具は、液状を保つために色々混ぜ物がしてある。トープがこの場で作ってくれた方がおそらく渇きの速いものが出来るはず。

 炭酸カルシウム、石灰岩を混ぜるのも一つの手だ。


 ゴーレムでゴーレムを描く。色そのものを使うのではなくあくまで補助的なんだけど、なんだかとんちが利いてるみたいで面白い。


「でも速乾性の絵の具ってヒビも入りやすいんだよね」

「受け取るのは国王なんだし、保存も適切に行われると期待するしかないな。イメージは固まっているのか?」

「うん、おおよそ昼間のゴーレムをそのまま描く感じ。国境近くの荒れた土地で青空で、脚色している時間が無いから記録絵画みたいな感じかな」

「分かった、必要なのはこの辺りか」


 トープがバフさんから餞別代りにもらった色のカタログを指さしていく。私の好みの色ばかりで少し驚いた。


「すごいね」

「ノアが良く使う色は分かりやすいからな。と言うか流石に顔料全てを持ってくるわけにもいかなくて、その辺りしか持ってこれなかったんだ。じゃ、始めるか。ルファ、この馬車の換気ってどうなってる?」

「調節は可能です。室温はどうしますか」

「変わらないようにできるか。寒いとうまくいかないから」

「かしこまりました、トープ様」


 ルファがはきはきと返事をする。


 調合に魔術が必要な時は、トープがアトリエから持ち出した魔法陣に私が魔力を流し込む作業をした。これもバフさんが用意してくれたものらしい。

 トープの手際の良さに目を見張る。既に一端の職人の顔になっているだけでなく、とても生き生きしている。

 私が無理やりこの道に引きずりこんだ気がして、アトリエに居た時も少し気になっていたんだ。でも安心した。


 ある程度の絵の具が出来上がる前に、私はカンバスに向かった。

 スケッチしたものを手元に置き、構図を考える。

 大きさの比較対象としてカーマインを描こうと思ったけれど、国王の手に渡るのならきっと余計なものを描くのは控えた方が良い。

 空と地面を背景に描き込み、全身を入れたいのでほんの少しだけ下から見上げた感じ、いわゆるあおりの角度にした。やり過ぎると空しか描けなくなってしまうから控えめに。


 いつまでもトープの部屋で作業するのもまずいので途中から自分の部屋で作業をする。出来上がった絵の具を運ぶのはベルタやルファの役目。一日で使い切れる量を見越して作るつもりらしくそれほど多くない。

 画材が揃えば後は私一人の作業だ。


 

「ノアール様、もうお休みになってください。皆さまもお部屋に戻られてます」

「あれ、もうそんな時間?ごめんねベルタ。後もう少しだから、先に休んでていいよ」


 ベルタが食事を部屋に運んでくれたので、何となく何かを口にした記憶はある。


「申し訳ありません。トープ様から何としてでも寝かしつけるように承っておりますので。ノアール様が寝ないと私も休めないのです」


 寝かしつけるって……子供じゃないんだから……


「そっか。じゃ、ここだけ何とかしたら休むから」


 そう言うとベルタは引き下がってくれた。ほんの少しアトリエに入ったばかりの時のやり取りを思い出す。あの時は紫苑さんに抱え上げられて自室まで運ばれたんだっけ。

 ベッドは数歩歩けばたどり着けるし、ベルタは女の子の妖精なので非力だ。きっとそんなことをする心配はないから、キリの良いところまでぎりぎり粘ろう。


「ノアール様、お飲み物をお持ちしました」

「あ、有難う。丁度欲しいと思っていたんだ」


 室温を調整してあるとはいえ、夜になって少し冷えてきたような気がする。寒さは絵具に大敵だが、私の指先にも影響を及ぼす。湯気の出ているお茶はかなり魅力的だった。


「もう少しで休むか……ら―――」


 大丈夫に思えて実は限界だったのか、私はベルタの差し出してくれた紅茶を飲んだ途端、意識を失った。



「おはようございます、ノアール様。もう昼過ぎですがどうされますか」


 ベルタの声にうっすらと目蓋を開ける。朦朧とした意識の中、寝返りをうって視界にカンバスが入った途端に覚醒できた。

 ベッドの上で慌ててガバッと起き上がったが、ふにゃりと力が抜けてまた元に戻ってしまった。体の様子がおかしい。


「ベルタ、頭が重くて体がだるい。風邪かな。早く仕上げないとならないのに」


 そんなに無理していたつもりは無いのになー。

 ベルタがおでこに手を当てて熱を測るけれど、寧ろベルタの手の方が温かいくらい。風邪では無いようだ。


「申し訳ございません。私が昨夜睡眠薬を盛りました。妖精の作る薬なので副作用の類はほとんど無いはずなのですが……ノアール様、もしかしてお薬の効きやすい体質ですか」

「薬を飲んだ記憶が無いから何とも言えないけれど、この前、お酒を一口飲んだだけで痺れてろれつが回らなかったの。関係あるかな?」


 孤児院に居た頃はほとんど風邪なんか引かなかったし、アトリエの時も記憶にない。


「何かの成分に弱いと言うことでしょうか。御自身の魔術で何とかなりますか?」

「ちょっと待っててね。解毒の魔術で大丈夫だと思う」


 後片付けをしなかったので筆やパレットが悲惨な事になっている。スケッチブックと鉛筆を使おう。体に害を及ぼす成分と言うことで、毒と考え、動かしにくい腕を使って魔法陣を描いた。

 ほんの少しだけ回復し、絵を描く気力も戻ってきた。


「本当に申し訳ございません」

「大丈夫大丈夫。その内、絵のモデルになってくれればいいよ」


 ベルタは何故か顔を赤らめた。


「そ、そうですよね。使う薬剤に耐性があるか、確認を怠ったわたくしへの罰ですもの。でもノアール様は女性ですし、男性画家のモデルになるよりは気は楽です。いろいろ増し増しで描いて下さるのなら一肌脱がせていただきます」

「言っておくけれど、ヌードじゃないよ」

「なんだ、そうなんですか……」


 何故か残念そうなベルタ。ルファは素直そうなのに、ベルタは一癖ある感じだ。

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