お酒
金狼亭の一階は町の食堂と比べても遜色が無い程とても賑やかだった。早めに帰ってきた兵士の無事の帰還を祝っての乾杯や世間話があちこちから聞こえてくる。
メニューは普段より少なくしているみたい。材料が手に入らないわけではなく、お店の人手が足りないと言う理由だ。それでも安い早いうまいのボリュームたっぷり大衆向け料理は人気らしい。トープは見てるこっちが胸やけしそうなほどがっついていた。
味付けが濃くて労働者向けな感じで、私は食べきれるかどうか心配だ。
「はぁ~馬車の中の飯もうまいけど、俺はやっぱりこっちだなぁ」
「そっかぁ。トープは酒飲まないのか?もう十七だか十八だろ」
ラセットとカーマインは先にお酒とおつまみを頼んでいた。馬車の中の妖精たちはお酒を積んでおくと仕事をしなくなってしまうので、外で飲むようにしているそうだ。
ガガエがふらふらーっとお酒に引きよせらているので、どうやらこの世界の妖精は種類問わずお酒好きが多いみたい。コップの中に頭を突っ込もうとしているガガエとカーマインの静かな攻防が繰り広げられている。
「酒か……アトリエの食堂で紫苑や親方やダスクとたまに飲んでたけど……」
へぇ、初耳だ。夕食だってほとんど私と一緒に食べていたのに、トープがお酒を飲むところなんて見たことが無い。
言葉を切ったトープを見るとじーっと私を見ていた。
「何?」
「そう言えば、ノアの前では飲まないようにしてたなぁと思って。なんでだっけかな……」
「酔っぱらったところを見せたくなかったとか」
「ああ、そうだそうだ。慣らして普通に飲めるようになってからって思ってたんだ。せっかくだから一緒に飲むか?」
十六が成人とは言え、前世の記憶を持っている私としては二十歳になるまで飲みたくないと思っていた。成長を阻害すると言う科学的根拠も知っていたからだ。もう少し背も高くしてメリハリボディにもなりたい私は、お酒に対する興味よりも拒絶が勝っている。
なのに、ラセットが余計な事を言った。
「あ、だったら乾杯しましょうかねぇ。ゴーレム退治記念に」
「え、私は遠慮してお―――」
「すいませーん、ミリア酒四つー。ん?ノア、なんか言ったか」
「う……ううん、何でもない」
カーマインが勝手に頼んでしまった。もう、こうなったら飲むしかないと覚悟を決める。
大人しく食事を食べていると、他のお客さん達の話し声が聞こえる。
経済制裁や賠償金など、前世の知識で想像できる範囲のニュースは平民にまで降りてこない。どちらか一方が敗戦国とされていないのでその辺りは判断できないのかもしれない。聞こえてくるのはこれでギルテリッジに食料が送れると、人道的な意見ばかり。只の支援でなく商売がらみなのかもしれないけれど、恨みが不思議と耳に入って来ないのだ。
悪いのは戦争を選択した相手の国の上の人達。住んでる場所がちょっと離れているだけの民に何の罪もないと言うのがこの村の大方の意見らしい。
「へぇ、あんた達バスキ村の出身?この村にも被害に有った村や町から逃げてきた人たちがいてね。確か茜って子がバスキ村の孤児院へ送られたらしいけれど。知ってるかい?」
「知ってます。もうすぐ成人ですよ」
トープに話しかけてきた人は、孤児院にいた茜の話をしだした。
茜のいた街の人はほぼ全滅で生きて逃げて来ただけでも奇跡らしい。街を守る兵士だった父親はもとより、持病を持っていた母親もこの村で亡くなって孤児になった。
記憶の無い私と、赤ちゃんの時から孤児院にいたトープは初めから親を知らない。
連れてこられた子供たちの境遇は何となく想像出来ても、別の人から詳しい話を聞くことで抱えているものの違いが分かる。
「……あの子、そんなの一言も」
「ああ、ませていて弱音もはかないで。どんだけ辛い思いしてたんだよ」
夜中に母親を探して泣く子供やトープみたいに癇癪を起こす子もいる中で、茜はとてもしっかりしていた。連れてこられた年齢が十歳と、割と高かったからかもしれない。
けれど親を亡くすと言うのは何歳になっても不安が付きまとうはずだ。もう少し、気に掛けてあげれば良かったかな。
別の方向から別の話が聞こえてくる。
「けどさ、この辺りで一番怖いのはギルテリッジなんかじゃないんだよ」
「と言うと?」
「神殿が介入をわざと遅らせたんじゃないかって」
「しっ!滅多な事をいうもんじゃない」
茜は五年前にバスキ村の孤児院に来た。と言う事は少なくとも五年は戦争をしていた計算になる。これだけ世界中に根付いている組織なのに、確かにおかしい。
神殿を敵視しているカーマインは意見に乗っかる形でぽそぽそっとラセットに零す。
「ギルテリッジの開発した兵器の実験の為の戦争だったとか。アスワドあたりも一枚かんでたりして」
少し前まで自分が仕えていた王子なのに呼び捨てだ。ラセットが慌てて周りを見ながら窘めた。
「旦那、馬鹿言っちゃいけねぇ。一人で旅してるんじゃないんですよ」
「そうだった。気を付けないとな」
「はーい、お待ちどうさん。ミリア酒四つね」
大迫力のジョッキがテーブルの上にどんっと置かれた。ミリア酒と言っていたけれど、見た目はまるでビールだ。
ラセットが音頭を取った。
「それでは、旦那のゴーレム退治を祝って」
「「「かんぱーい」」」
筆しかもたない手にこの大きなジョッキは重すぎる。確か、一気飲みは危ないんだっけ。
不思議だなぁ。前世では成人してなかったから飲めなかったお酒が、ほぼ同じ年のはずの今世で飲んでいるんだもの。
もう少し幼少期を楽しんでおけば良かったかもなんて思いながらちびりと一口。
―――に、苦い。そして、まずい。
トープもカーマインもラセットもごくごくごくーと美味しそうに飲んでいる。一口だけ飲んで残すのはちょっとお行儀が悪いけど、流石にもったいないから誰かに譲ろう。
「やっぱり
舌先がしびれてうまく話せない。カーマインが心配そうにしている。
「ノア、もう酔っぱらったのか?」
「意識ははっきり
「やべぇ、ノアのなんか変なスイッチ入った」
トープこそ変なスイッチが入ったみたいにゲラゲラ笑いだした。ビール一杯で笑い上戸になってるトープに笑われたくない。こっちはきっちりシラフだ。
「トープはお兄
「くっ、可愛過ぎてや、やば」
カーマインまで口を押え始めたので、私は羞恥でカーッと顔が熱くなる。
―――意識はしっかりしているのにまともにしゃべれないなんて、なんて拷問!こんななら寧ろ酔っぱらってた方がマシなのに、これ以上お酒を飲む気にはなれない。
だって、アレルギーかもしれないし。
「ラセット、変
「深酒をするとしびれるってぇのは聞いた事がありますが、こんな一口でろれつがおかしくなるのは体質的なものとしか。何分、医者じゃないんで……すんません」
「むむむ……」
金輪際お酒を飲まないと誓った私は、しびれた舌をかむといけないので気を付けながら食事を再開する。その間にも何が面白いのかトープは私にちょっかいを出してきた。髪の毛をつんつんと引っ張ったりと他愛のないものだけど、いい加減しつこくて「やめ
助けてくれそうなカーマインも酔っぱらっているみたいで、目が合う度に熱っぽくこっちを見てほにゃあっと笑う。ラセットは通常運転でその様子を見てはにやにやしているだけ。
そして、対トープ最終兵器のガガエがいない。辺りを見回すと、あろうことかよそのテーブルでお酒をぐびんぐびん飲んでいた。お客さんは怒るどころか面白がっている。
「ちっこいなりして大した酒豪だなぁ」
「ぷはーっおいしーっ。ん、もう一杯」
「はー見てるこっちが気持ちいーや。よーっし、飲め飲め」
私は飲めないのに。私は飲めないのに。私は飲めないのに。こうなったら……
―――描くしかない。
丁度食事が終わったのでバッグから小さなスケッチブックを出し、私はこの混沌とした酒場状態になった食堂の絵を描いた。そうすると、流石にトープもちょっかいを出さなくなる。これは私の『仕事』でもあるからだ。
鉛筆で描いているけれどコンテなんかも良いかもしれない。照明は無視して、セピア色にまとめればお酒を飲んでいる雰囲気を出せるかも。メインは旅をしている三人と一匹。陽気な雰囲気の中で、画面奥の影には秘密を匂わせた人物たちの密会なんかを入れてしまったりして。
ほらね、お酒なんか飲まなくても私は幸せになれる。
覗き込んでは褒めてくれる人達を話さないようにしてうまくあしらいながら、私はトープ達の晩酌が終わるまで時間を潰した。
―――お酒なんて、二度と飲むもんか!
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