白いゴーレム前編
どこまでも続くかに思えた豊かな大地は、ある場所を境に一変した。
「ここまでがイーリック国王の加護の届く範囲だよ」
「こんなに違うのか」
トープが呻き声を上げるほど、今まで緑に囲まれていた世界が途端に荒れ地に変わる。シャモアさんのいた屋敷から丸一日走り続けてイーリックとギルテリッジの国境はもう少し先なのに、まるで別の国―――いや、別の世界に来てしまったかのようだ。
むき出しの土の色が遥か遠くに小さく見える山脈まで続く。所々に小さな丘があるので起伏を避けながら進むのだが、草花は一切見当たらない。
ここに来るまでに、ギルテリッジ側からの襲撃を受けた村と町を見かけた。被害は数年前らしく、建物の破壊はほとんどなかったものの、人がいなくなったことによる荒廃が酷かった。
戦争でこの辺りに来たことのあるカーマインが説明をしてくれる。
「ギルテリッジは魔法の研究が盛んな土地で、藍色の神官を多く輩出している土地柄だ。ただ土地自体が持つ魔力まで利用した結果、不毛の大地になったらしい」
「もしかしてそれでイーリックに戦争を?」
「まあ、そんな所だろうね。戦力はあっても食料が無い。食料が無ければ人間の魔力どころか生命維持も危うい。そして魔力が無ければ彼らの兵器は使えない。そんな中で開発されたのがあれだ」
戦場跡に近づくにつれて白いものが見えてくる。ただの白い物体だったのが人のような形に見え、そしてそれが遠目に見ても動いていると分かるようになってきた。
真っ白で巨大なゴーレム。アニメのロボットのようなスタイリッシュさは無く、無骨で岩男と言った方がしっくりくる感じだ。荒野と言えども空は青いのでよく映える。
比較できるものが周囲にないから目測でしかないけれど、十階建てのビルくらいの高さはありそうだ。
その後方の足元には国境を隔てていたはずの長い壁が無残に崩れ落ちている。境壁としての役割はなさないけれど目印にはなるだろう。
「でかいな。俺も見るのはこれが初めてだけれど、噂によると魔力の補給も無しに動き続けているそうだ」
「それは、かなりの脅威になるでしょうね」
あんな巨大なものが、しかも自律して燃料も無しに動き続けるなんて信じられない。そして動力切れを狙うのも意味が無いことになる。
科学と魔法を同列に考えるのは馬鹿らしいかもしれないけれど、永久に動き続ける機関なんて確か存在しないはず。
ゴーレムに向かって道なりに真っすぐ進むと、何も知らない民間人の侵入を防ぐ為か検問が敷かれていた。兵士の格好をした人たちと、神官服を着た人達が数名ずつ。そのずっと先にもっとたくさんの人やらテントやらが見える。おそらく神殿やイーリックの兵士たちが駐留している場所。
「ここより先は民間の馬車は進入禁止です」
「テスケーノ領主より許可はとってありますよ」
ラセットが御者台でやり取りをしている間、カーマインが馬車を下りて傍にいた兵士に聞く。こちらに展開している兵に顔は知られていないらしく、特別な反応は見られなかった。
「あれがこちらまで来ることは無いのですか」
「前方に魔法障壁を展開してます。失礼ですがこちらへはどのようなご用件ですか?」
「あれを退治しに。あ、あと絵を描きに」
描く前に退治されてしまったら困ると内心思いながら黙って聞いている。馬車の扉は開いたままなので兵士の顔が見えた。二か月以上何の進展も無いままなので、誰もかれもかなり疲弊しているみたいだ。
無事に通された先でカーマインは座席の後ろに置いてあった剣を持ち、私はスケッチブックの入ったバッグを持って馬車を下りた。驚くことに、人間の兵士や神官の他にドワーフ達もいた。人間よりも少し背は低く屈強な体つきで、ひげを伸ばしている者が多い。
目的がゴーレムだから、石の加工技術に長けたドワーフを揃えているのかもしれない。
赤い神官服を着ているドワーフが全体の指揮を執っているみたいだ。やっぱりずんぐりむっくりなのだけれども目はぎょろりとして迫力がある。案内していた兵士が声をかけると顔をしかめられた。
「貴族の道楽に付き合っている暇は無い。カーマイン・ロブル」
「貴族ではなくなりました。グラナダさん。こちらは…」
「兵たちは必死なのに絵を描くなどとのたまう奴などの紹介は要らん」
カーマインが紹介をしそびれた。ちょっと威圧感がすごいので知り合いかどうかも聞きにくい。グラナダさんは眉毛も髭もすごくて達磨みたいな感じ。
「必死といっても為す術もないので見張っているだけですけれどね。あら、あなた達は確かアトリエ・ベレンスの……」
いつの間にか傍に来ていたヴァレルノ王立図書館の司書のクラレットさんに声をかけられた。図書館には他にも司書がいたけれど、こんなに長期に渡って離れても大丈夫なのかな。
「ノアールです。クラレットさん。ベレンス先生はディカーテにお戻りになりました」
「何ですって?」
「他の仕事も押していましたし、図書館の方では無期延期としてお話があったそうですよ」
クラレットさんは額に手を当ててため息をついた。
「そうね、これだけ時間が経ってしまってはお待たせするわけにもいかないもの。それであなた方はどうしてここに?」
「紆余曲折在りまして破門されたので、いろいろな絵を描こうと思いまして取り敢えずはこちらのゴーレムを―――」
「許可はしない」
グラナダさんが話を遮って言い放つ。むう、ここまで来たのに描かずに帰れるか。私の絵に対する情熱を侮ってもらっては困る。
「グラナダさんはギルテリッジと通じていて、絵を描くことにより技術が流出するのを恐れているのですか?」
「そんなわけがあるか。そこまであれを詳しく知っていたら疾うに退治しているわっ!」
獣の咆哮のような怒鳴り声だ。一瞬足がすくむけれど、絵を描くために勇気を振り絞った。
「絵を描くと言う行為はまず第一に観察です。私なら魔法陣を見つけられるかもしれません。動かすための魔法陣に傷でもつければ止められるのでしょう?」
「ええ、その通りです。グラナダさん、私からもお願いします」
エルフであるクラレットさんに深々と頭を下げられて、グラナダさんは目をぱちくりさせている。前世での知識ではエルフとドワーフは犬猿の仲のはずだ。
「藍色なのに赤を見下さないのか」
「私は致しませんよ。偏見は視界を狭め、得られる知識も逃してしまいます」
とても興味深いことに、犬猿の仲なのは種族ではなく『色』らしい。知識や魔術の藍色と、戦いの赤。他の色にもそう言った関係性があるのかもしれない。
グラナダさんはニイッと笑った。
「よかろう、許可する」
ゴーレムは前へと進む動きだけを見せている。魔法障壁にぶち当たって前へ進めないのだけど、障壁を殴るでもなくかといって方向転換をするわけでもなく只々前に進もうとする。
障壁は一定の時間で消えてしまうので交代で張り直しているらしい。絵を描くにしてもあまり時間をかけたくなかった。
ラセットは馬車についていて、トープとガガエが私の傍についている。カーマインはグラナダさんと話をしているようだ。戦争の時の顔見知りらしい。
「ノアール、どれくらいで描けそうだ?」
「色は後からバランスを見つつ描くとして、形を掴む為に線画だけでいいよ。角度を変えて何枚も描きたいから、一日か二日くらい」
だって、本当にシンプルな構造なのだ。まともに描いてもデフォルメしているみたいに見えそうなので気を付けないと。水彩でも油彩でも、多分それほど色合いは変えられない。
「ユニコーンはダメだな。無機質な白か。石灰は膠とるのにも使うんだよなー、確か。終わったらゴーレムちょびっともらえねぇかな」
なんて言いながら、トープはトープでメモを取っている。
夕焼けの赤に染まるゴーレムもいい感じだった。馬車を展開させて一泊し、窓から月明かりに照らされるゴーレムをスケッチしながら水彩で色を付けてみる。もちろん朝焼けに染まるゴーレムも。
真正面、左右斜め前方、遠距離、中距離。障壁があるので真横や後ろは無理かな。ガガエみたいに空が飛べたら上から描いても見たいけれど……あ、そうだ。
「ガガエ、上から偵察して魔法陣が無いか見てもらってもいい?」
「ん、いいよ」
「障壁にぶつからないように注意してね」
障壁ぎりぎりまで近づいて、足元近くから上を見上げる形も描いた。ものすごい迫力だ。傍にいるこちらを標的と見なしているのか、ゴーレムは少しだけ攻撃性を増す。届かないにも拘らず、足を大きく振り下ろした。
「わ、わわっ」
地響きと共に足元がぐらりと揺れる。
踏みつぶそうとする足の裏に魔法陣が見えた。けれど振り下ろす速度が早過ぎて一瞬だけだ。あれをかいくぐって魔法陣を傷つけて無効化するのは至難の技だろう。
今まで誰も見なかったのかな?
「ノア、頭の上はつるっつるだったよ」
「ありがと、ガガエ。トープ、そろそろ撤収しようか」
「分かった。存分に描けたか?」
「うん!」
本隊まで戻って足の裏に魔法陣があったと報告したら、グラナダさんに逆に怒られた。
「あそこまで近づく馬鹿がいるかっ!いくら障壁を展開してるとは言え踏みつぶされるぞ」
「えっ、そうなんですか?」
「進むのを防ぐ魔法であって攻撃を防ぐ物ではありませんから。魔力を節約してまして…無事で良かった」
「そうだよ、ノア。ここから見ててちょっとひやひやした」
どうやら私ほど近くまで行った人はいなかったらしい。と言うかそんなに危険なら一言事前に言っておいてほしかった。
今になってちょっとだけ足が震えている私に代わり、ガガエが頭上に魔法陣が無いと報告した。
「頭は飾りか」
「片足は考えにくいから両足だろうね。地面に攻撃の魔法陣を展開するのは?」
「それは既に試しました。魔力感知能力があるのか、避けられて終わりです」
魔法障壁を展開する前に進路を妨害する目的で敷いたが、無駄に終わったそうだ。他の神官や兵士も交えてああだこうだと考えを出し合っていると、カーマインがそっと手を上げて言った。
「俺が一人でやってもいいかな?」
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