不思議な馬車

 私を案内してくれたのはベルタ。見た目は本当に人間なのに、妖精と言うだけあって少し気配と言うか、雰囲気が違う。


「お荷物はお仕事で使うものも含まれると聞きまして、まだ開けておりません」

「荷解きは自分でします。あの……私たちが馬車に乗っている間、この空間はそのままになりますか?圧縮されたりとかはしませんか?」


 例えばインクの瓶をこの部屋のテーブルに置いたままでも大丈夫かな、と思って聞いた。零れたり、変質したり。馬車の中がインク塗れにでもなったら目も当てられない。


「カーマイン様がお使いになった魔術は、馬車と屋敷の空間の繋がりを切り替えるものです。馬車が馬車の形態を取っている間、この屋敷は異空間にそのまま存在するとお考えください」

「なるほど」


 よし、わかった。理屈で考えようとしてもよくわからない事が分かった。そのままでも大丈夫そうだ。


 着替えは上と下で三着分、ワンピースの物が一着で、下着類は一週間分と他に寝間着も用意してある。旅の途中で必要なものを買い足していくつもりで、かなり選別をした。オークションの時に着た黒いドレスやメイズさんの屋敷で着た服は泣く泣く古着屋に売って旅費の足しになった。


 かなりの大金を手にしたものの、安定した生活を自ら放棄したのでかえって貧乏性になった気がする。

 部屋の中にタンスは無く、この少ない衣類では躊躇したがクローゼットにしまおうと思って備え付けの扉を開けた。


「……これは……?」

「こちらはカーマイン様のご用意された物でございます。どうぞお使いください」


 クローゼットの中には、自分が持って来た衣類の何倍もの量が詰められていた。普段の旅姿として着られるような物から何故か夜会に出られそうなドレスまでがあった。どれも少し値が張りそうで、しかもサイズは私に会いそうな物ばかり。

 遠慮したところで処分されるのが予想できるので、有り難く使わせてもらおう。誰かに着てもらって絵のモデルになってもらうのだっていいかもしれない。持って来た服は絵を描く時の作業着にしてしまおうか。


 引き出しにもかなり質の高そうな下着類。白い普段使いの物ばかりだけれど、端の方に紫や黒など色の濃いものがあった。

 何気なく手に取って広げてみると、レース多用のかなりきわどいデザイン。シュミーズやドロワーズに近いものがメインなのにどうしてこんなものがこの世界にある。…あ、でもイブニングドレスのような物もあったからおかしくは無いのか。

 一緒に見ているガガエが「うわぁ……」と声を上げて、はっとした。ガガエは男の子だ。


「ガガエ、見ちゃダメ」

「ん?なんで。レースのハンカチじゃないの?」

「これ、下着だよ?」


 そう言われてやっと理解したらしく、真っ赤になって何かを叫びながら部屋の隅へ飛んで逃げて行った。ガガエが可愛いのはほっておくとして。




 ………これは、逃げるべき案件?




 恋人になったらともかくまだ関係性がはっきりとしない仲で下着を贈るのは……いやいやただ単に必要な準備と思って用意してくれたものかもしれないし。……いたずら?こちらの反応を見る為?カーマインてそういうことする人?

 本人にいきなり問いただすのも怖いので、傍にいるベルタに聞いてみる。


「これ、本当にカーマインが?」

「はい、と言いたいところですが正確に言えばカーマイン様に頼まれてお母様や伯母様が準備された物です」

「で、ですよね?あーびっくりした」


 こんな勝負下着みたいなもの、どんな意図で用意したんだろう。―――あ!


「下着を付けた裸婦画を描けってことかしら?」

「絶対に違うと思います」


 即座にベルタのツッコミが来た。


 他にも部屋の中にはホテルの様に生活できるものが一式そろっている。さて画材をどうしようと思ったところで、あることに気が付いた。


「絨毯は敷いてないんですね」

「ええ、ノアール様がこちらで絵を描けるようにとの事でございます。明かりの調節も出来ますのでお申し付けください」

「アトリエも兼ねてるんですか……すごいな」


 画材を全て広げると流石に場所を取ってしまうので、液体の入った瓶などを棚にしまわせてもらい、その他はトランクに入れっぱなしになった。


「馬車の外で必要になった時も、乗り口の下の引き出しから念じれば取れるようになっています。この屋敷の中に存在している物だけですが」

「え、そんな事も出来るんですか」


 つくづく不思議な馬車である。


 荷解きが終わるとベルタに食堂へと案内された。


 小さいながらもきちんとした食堂があり、トープ、カーマイン、ラセットも一緒に席に着く。食事の内容は貴族の日常生活の範囲内というか、豪華ではないけれどきちんとしたものが出された。

 けれど、トープは今までこのような食事をした経験が無いみたいだ。アトリエの食堂でも木のスプーンとフォークだったから、ナイフの使い方が危うい。


「ノアはどこで覚えたんだ?」

「記憶を失う前だと思う。後はメイズさんの家でもお世話になったし」

「確かニールグ家だったか」


 王妃に目をかけられていたアスコーネ内の貴族として、カーマインは知っていた。領主家から将軍家へ行ったカーマインが領主家よりも王家に取り上げられているニールグ家をどう思っているのか、気になるけどもう全て終わったことだ。話題を変える。


「そう言えば、クローゼットの中がすごかったんだけど」

「俺の部屋は何にもなかったぞ」

「トープは急に決まったからね。悪いけれどこれから自分で揃えて行って。ノア、母や伯母に任せたけれど大丈夫だった?」


 下着の件は言うべきではないよね…と思ったら、ガガエがボソッとカーマインを罵った。


「カーマインのすけべ」


 言われたカーマインは身に覚えが無いらしく、目をぱちくりとさせる。


「一体何を……」

「ガガエ、あれはカーマインのお母さんたちが用意したものなんだって。許してあげて」

「そうなんだ。じゃあ許す」

「待って、母上はクローゼットに一体何を入れた?」

「そんなの、言えないよ」

「まぁ、想像はつきますがねぇ」


 ラセットが平然としながらパクリと料理を口に入れた。ラセットはすけべ、これ決定。


「よく分からないがもし不便があるようならベルタに言ってくれ。裁縫も出来るはずだから」

「分かった。それよりこれからどこへ進むの?」

「あ、俺も聞こうと思ってた。大街道からは逸れているよな。北の方に進んでいるみたいだけど」

「おっしゃる通りで。昼間に通った農村は既に大街道から北の方でさぁ」


 目的地についてはトープも気になっていたようだ。ラセットさんがそれに応えた。私は全然気づかず外の様子を眺めていただけだった。


「ちょっと知り合いに会ってから、戦場の跡地に行くと思う。ギルテリッジ側のゴーレムが制御されてない状態で暴れているらしいんだ」


 私はトープと顔を見合わせる。二か月ほど前に聞いたばかりの話だ。


「それって石灰岩で出来た真っ白なゴーレム?」

「よく知ってるね。あれ、民間にそこまで流れている情報?」

「ベレンス先生がヴァレルノの図書館でフレスコ画を頼まれたんだけど、その材料の石灰岩が流れて来なくて仕事が駄目になったんだ」

「司書の人が手配しようとしたけれど戻って来なくて、先生は次の仕事でディカーテに戻ったの」


 トープと一緒に王都で先生の仕事が駄目になったと話すと、カーマインはなるほどと納得した。


「ギルテリッジは食料が必要な状態なのに、西のデアルーチェと東のアーガイルしか交易が出来ない状態だ。これから冬になるとそのどちらからも食料を運び込むのは難しくなる」

「南側のイーリックと戦争を起こして略奪しようとしたけれど、神殿が介入してダメになったと言う事ね」


 デアルーチェ、ギルテリッジ、アーガイルの北部には大きな山脈があり、冬は雪の影響を受ける。南の方まで国土が伸びているデアルーチェはともかく他の二か国は南側の国との交易が重要になる。

 ギルテリッジはその南側の国と戦争をした。余程勝つ自信があったのだろう。


「これから会いに行くのはイーリック北部のお偉いさんでね。ゴーレム退治の許可と報酬の交渉をしようかと思うんだ。ノアールはゴーレムの絵を描いて売り込んでみたらどうかな?」

「敵国の兵器の絵なんて買い取ってもらえるかな?買ってもらえなくてももちろん描くけど」


 浅葱さんがしていた売り込みや依頼の請負を自分でしなければならなくなった。これからは積極的にいろいろな人と会っていかなければならない。

 商談は苦手だなんて言っていられない。最初のお客様が良い方だといいなぁ。

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