爪痕

 イーリック国内のとある農村の風景。戦場だった場所からは少し離れていて、作物は被害を免れたらしい。馬車の窓から見える景色は収穫の真っ最中で、終えた畑と終えてない畑が混じりあっていた。

 国王が豊穣を司る橙の女神の加護持ちで、その加護は東側の国境を越えたヴァレルノ国のアスコーネ領まで届いている。

 

 収穫を終えた麦畑で落ち穂を拾うのは、大抵が一家の働き手である夫を亡くした女の人か、土地も持てない貧しい農夫だ。彼女らの大切な収入源なので畑の持ち主もそれを黙認する。鳥に啄まれてしまうよりも、畑仕事の手伝いの腹が膨れた方が余程利益になる。


 と、ミレーの『落穂ひろい』の絵から得た知識を披露してみようとするけれど―――


「カーマイン、あの人達は…何?」


 人間なのかと聞くのもためらわれて変な聞き方になってしまった。農民に紛れてちょこまかと落穂を拾っているのはゴブリンのような生物だ。子供程の背丈でとんがり耳にぎょろりとした目。でもどこかゴブリンと違うのは、彼らがぼろ布ではなくきちんと人間の服を着ている所。

 肌の色も緑色ではなく人と同じ色。人間は彼らを傷つけず、彼らが人間を傷つける様子も無い。


 カーマインは私の示す方を見て「ああ…」と暗い顔になった。


「ギルテリッジとの戦で変化(へんげ)の呪詛魔術の攻撃を受けた兵士だろ。確か小隊が一つ丸々犠牲になったと聞いた。元に戻すには神殿で多額の寄付が必要になるし、あれを治せる神官もほとんどいないらしくて、とりあえず村に戻ったんだろうな」

「国から保障が出ないのですか……出ないの?」

「魔法陣以外にも魔術があるのは知っているね?魔法陣はもっとも扱いやすくするために研究された物なんだけれど、その術式がまだ確立されていないんだ。今の時点では使い手が少なくて不平等になるから、国からの援助はきっと出来ないんだろう」


 夫や息子、兄弟の帰りを待ちわびて戻ってきたのがあの姿だったら、家族はかなりショックだろう。初めての友達がゴブリンだった私としてはたとえカーマインやトープがあの姿で帰ってきても無事を喜ぶ自信はある。いや、むしろ喜んで絵に描かせていただこう。

 でも流石にあの人たちの気持ちを思うと、モデルを頼むなんてことは絶対にできない。


「村の人たちは普通に受け入れられてるんだね」

「どうだろうな。元々貧しいのではなく、帰還してから土地を取り上げられた可能性だってある」

「酷いな。でも、追い出されないよりはマシか」


 トープが率直な感想を言った。私もそう思う。事態を受け入れられずに村を出て行って食うに困る状況に陥るよりは、多少なりとも我慢して平穏な日常を取る。見通しが立つ策があるなら話は別だが、そうでない時は下手に動かない方が良い。


 カーマインだってそれで助けられたようなものだから。もしも捕らわれている塔を爆破したり、私が身の丈に合わない大冒険なんぞをやらかしたりしたら、今の状況は無くなっていた。カーマインは脱獄者として、私は犯罪者として追われる身になっていただろう。


「早く魔法陣が開発されるといいね」

「それはどうかな」


 不意に口から出た言葉は何気ない、至極まともな願いだったつもりだが、カーマインの反応は違った。


「解呪の研究はおそらく神殿でなされているだろうけれどね。その研究にも犠牲が付き物なんだよ」

「呪いを掛けるだけでなく解くのにも?」

「ノアはまだ、神殿の裏側を見たことが無いだろう?」


 神殿に詳しいのは元神官のマザー。マロウ神官と親しい先生からもたまに聞く。けれどそれは何気ない会話の一部であって、神殿を敵視するようなものではなかった。


「神殿ってそんなに怖いところ?」

「勿論一概に悪い人ばかりとは言えない。けれどエボニーみたいのがほんの少しでも居ることには居ると考えればいい」


 慈愛だの共存だの、知識の探求だのを掲げながらも、そのような人たちに私はきっと研究材料として見られてしまうだろう。だから私はあまり積極的に魔法を学んでこなかった。

 大きくて強い魔法を使うようになれば、そんな人達にきっと目を付けられる。


「貴族の血筋にしか現れないはずの魔力が平民にも表れているのは、神殿のせいだとも言われるね。ネリさんがいい例だ」

「確か両親が平民だけどおばあ様が……明確に言っていませんでしたけど」


 祖母が貴族で何らかの理由で神殿に入り、結婚をして外へ出てその子供は平民となる。魔力の因子を持った親となりマザーが生まれて神殿へ入る。

 

「うん。一生神殿から出られないってわけじゃなく、結婚して出ていく者だっている。貴族の選民意識を失くし世に魔力を普及する為と言えば聞こえはいいけれど、平民の魔力持ちは貴族の都合の良いように扱われる」


 魔術を教えられるのは神官で、魔力を持ってしまえば神殿と関わらざるを得ない。私だって、ほとんど実感わかないけれどマザーを通して繋がっている。

 今だってどこからか監視されているかもしれない。


「あの術は魔力持ちに対して顕著に反応が現れていたらしい。そう言った術の被験体になるのもまた、平民なんだろうね」


 貴族の選民意識はなくなるどころか強くなる一方だ、と貴族だったカーマインが言った。


「魔力だの魔術だの皆なくなればいい。時々そう思うけど、生活の水準を上げる要素になってしまっているから、どうしようもないね」


 そうこう言っている内に村々は過ぎ、馬車は辺りに何もない真っ暗な森の中で止まった。道から少し外れて開けたところ。村に泊まるものとばかり思っていた私は、少しがっかりした。

 でも、何か変わった生き物と会えるかもしれない。


「この辺りで良いですかねぇ」

「ああ、さ、ノアたちも降りて」

「今夜はここで野宿?」

「合ってるけれど違うよ」


 ラセットが馬を馬車から外してこちらに来たので、私はトープを盾にして距離を取った。馬はまだまだ苦手だ。

 カーマインが車体の横にある紋章になぜか魔力を込め始めた。

 ―――あ……これ、貴族の紋章かと思っていたら魔法陣だ。

 キラキラと図形が光った後、馬車はむくむくと膨れ上がっていく。

 私と同じくトープがあんぐりと口を開けてその様子を見る。


「何っっ…だ、これ」


 馬車の天井は見上げるほどの高さになり、横幅はもともと大きかったものが何個分、いや、十数個分にも広がった。外側に施された塗装はそのままに、あっという間に一戸建ての家……ううん、小さいながらも立派なお屋敷になっている。隅の方はガレージみたいに馬小屋も組み込まれていた。ラセットは何のためらいもなくその小屋へ馬を連れていく。


「ノア、トープ、ガガエ。俺らはこっちだ」


 カーマインが少しだけ大きくなった馬車の扉を開くと、そこにはやはり貴族のお屋敷のような空間が広がっていた。

 更に驚くことに、この屋敷には人がいた。綺麗に整列して出迎える。


「おかえりなさいませ、カーマイン様」

「ただいま、クーノ。ノアール、トープ、この人たちは屋敷についている妖精だ。つまりガガエと同じだね」

「ようこそおいで下さいました。ノアール様、トープ様、ガガエ様」


 カーマインが簡単に紹介をしていく。執事がクーノ、料理人がマリク、従僕がロルフ。メイドさん三人がアルマ、ベルタ、ルファ。


「長旅なのに食料とかどこに積んであるのかと思ってた」

「野宿で必要な毛布なんかも……私のカバンも?」

「お部屋にございますよ。ノアール様はベルタが、トープ様はルファがご案内いたします」


 アルマが赤、ベルタが緑、ルファが青で、髪や服の色がまとまっている。三人とも似たような顔立ちだが三つ子でも姉妹でも何でもないそうだ。クーノとマリクとロルフも、それぞれの仕事の格好をしているし、年齢がちがうから見分けがつくけれど、そっくりだ。


 火を焚いて、簡単な料理をして狭い馬車の中かテントで寝泊まりして。スマルトさんの時はガガエしか味方がいない状況で精神的にも不安だったけれど、今度は自分で選んだ道だから我慢できる。

 そんな覚悟で迎えたはずの『野宿』は何故か普段の生活よりも豪華になりそうな予感。


 トープがぽつりと呟く。


「カーマインは魔術なんて無くなればいいと言ってなかったか?」

「か、彼らの存在意義を失くしてしまうのは、やぶさかではないと言うか。元々ある物に対しては使わないともったいないだろ?」


 カーマインは明後日の方を向いている。

 断言しよう、カーマインは骨の髄までお坊ちゃまだ。魔術が無くなったら真っ先に困るのはカーマインに違いない。

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