三章

帰郷

 アトリエの町ディカーテに隣接する街道を馬車に乗って西へ進むと、程なくしてヴァレルノとイーリックの国境に出る。

 その前にバスキ村へ寄ってもらい、一泊しながらマザー達に出国の報告と別れの挨拶をした。

 孤児院を出てから二年弱。チビちゃん達も大きくなり、一番上の茜はもう少し経てば成人だ。


「孤児院を出たらノア姉たちと毎日会えると思ったのに。だから私、大人になるのも不安じゃなかったのに」

「ごめんね。いつかまた会えるから、泣かないで」


 可愛い妹分がぎゅうっと抱き着いてきたのでこちらも抱き返すと、茜は周囲に聞こえないように耳元で呟いた。


「それでノア姉、お相手はどっち?トープ兄?カーマインさん?」

「……秘密」


 告白の一件を言ってしまったら私やトープの株が下がりそうだ。ハグを解かれたのでこれで引き下がるかと思いきや、にやりと笑う。


「三角関係のまま旅を続けるって……ノア姉ってば魔性の女?」

「そんなんじゃないって。どこで覚えたのそんな言葉」

「セージさん」


 ―――まったくあの人はしょうもない。セージさんは孤児院出身で、結婚して近くの農家を継いだ兄貴分のような人だ。畑仕事をしながら子供たちの面倒を見てくれるが、微妙に頼りない。悪い言葉を覚える時はほとんどこの人が原因かもしれない。


 長引かせるとボロが出そうだったので適当に話を切り上げようとするとカーマインがチビちゃん達に囲まれているのが見えた。


 カーマインを初めて見る茜たちだが、噂やフリントさんの話でバスキ村にゆかりのある人だと知っているらしい。処刑を免れた一件はトープの手紙によって誇張されて伝わっていて、尊敬のキラッキラしたまなざしのチビちゃん達の視線が集まっている。


「ノア姉のキセキで騎士様助けたって本当?」

「ああ、本当さ。だから俺にとってノアは聖女だ」

「せいじょ?」

「なんて言うか……大切で尊敬できて、女神みたいな人かな?」


 カーマインの言葉お聞いた茜がそら見たことかと私を見た。


「カーマインさんはああ言ってるよ?」

「物の例えでしょ。私は外の世界を描く為にカーマインについていくの。これからきっと大変な旅になるんだから」

「困難を乗り越えて結ばれるんだよね?ロマンチックだね」


 ダメだこの子。完全に恋愛脳になってる。まるで浅葱さん二号だ。

 茜はほっといて、フリントさんとマザーにお別れを言おう。ガガエはフリントさんを警戒して馬車の中で待機している。やはりフリントさんを本能的に怖がっているらしい。


 久々に見るフリントさんの顔は、少しだけ老けたけど相変わらずだった。


「結局アトリエにいる間に市場の方には一度も顔を出さなかったな」

「出される食事がおいしかったので行く必要が無かったんです」

「トープはしょっちゅう来てたんだけどなぁ」


 フリントさんにおそらくそんなつもりは無いだろうが、薄情だと言われているようで慌てて言い訳をした。


「私だって会いたかったですよ。でも一角の画家に成るまではって我慢してたんです」

「嘘ですね。絵ばっかり描いていて外へ出るのが嫌だったんでしょう」


 マザーに見抜かれた。しかも疑問形ではなくきっぱりと断定されてしまった。その通りなので何も言えない。


「でもまあ、人の命を救えるほどの画家に成っちまうなんて、思いもしなかった。元気でな」

「トープ、ノアに異変があれば必ず神殿に駆け込むように。カーマイン様、どうかこの子たちをよろしくお願いします」

「マザー、俺たち大人なんだけど」


 トープがちょっぴりふてくされながら、でもくすぐったそうに文句を言った。孤児のはずなのに、マザー達はいつまでたっても私たちの親だ。


「ええ、おそらく国を出てしまえば貴族も王族も手出しをしてこないでしょう。でももしも孤児院に何かされるようであれば、遠慮せずにアスコーネ領主のヴォルカンに申し出て下さい」

「分かりました。有事の際にはそのように致します」


 カーマインとマザーのやり取りに不安が過る。けれど二人とも念のためという感覚だろう。国を出てしまったら彼らを人質に取られても簡単に戻ってこれるとは思えない。第一、王族が下した沙汰だ。


 チビちゃんたちは泣き叫ぶ事も無く「ばいばーい」と手を振っている。一度戻ってきてくれたのだから次もあると思っているのだろうか。それとも、毎日顔を合わせないのでよそのお姉さん扱いになってしまったのだろうか。

 困ることはなくなったが、ちょっとだけ寂しい。


 孤児院総出でのにぎやかな見送りを背に、馬車は街道へと戻って行った。



 関所ではカーマインの国外追放の手続きが行われるらしい。

 国境を越えてしまったらカーマインは二度と故郷へ戻れない。家族や友人にも会えないし、フリントさん達などの顔見知りにも滅多に会えなくなるだろう。


 馬車の中で暗い顔をしているかと思いきや、カーマインは何だかご機嫌な様子。座席部分も上質なものを使っているのかフカフカだし、ゆったりしていてくつろげるから気持ちはわかる。

 窓の外を眺める顔がとっても良い感じなので、私は手持ちのバッグから小さめのスケッチブックを取り出した。

 他の画材は出発前にラセットに預けた。きっと床下の収納スペースに詰め込んであるんだろう。見た目よりも意外にたくさん積めたので泊まる時に取り出して本格的な物も描きたい。

 今も馬車の揺れは少ないし、デッサンならば問題なさそうだ。


「カーマイン、描いても良いですか?」

「ああ、良いけど。ノアールはどうして今でも敬語なんだ?」

「それは……何となくとしか言いようがありません」


 出会った時からカーマインに対しては敬語だ。それはまだ得体のしれない世界に対して私なりの防御方法だったし、年上でもあったから。あの時は良い服を着ていたので、それが一番自然に見えると思っていた。

 敬語で話していないのはトープとチビちゃん達だけだ。


「貴族ではなくなったし、トープは普通に話しているのに。なぁ?」


 現在のカーマインは私と同じような身分。元貴族―――身分の剥奪ではなく国外追放とは言え、家に戻る事も出来ないので、他国で貴族を名乗っても下手をすれば偽称罪に問われそうだ。

 アトリエでのお別れ会で兄になる宣言をした後、トープはカーマインとものすごく打ち解けていた。それはもう、私の方が付き合いは長いのにと妬けてしまうくらいに。

 カーマインの問いかけにトープが訳知り顔で答える。


「きっとお澄まししたいのが乙女心ってやつだ、な、ノア」

「なるほど。さすが義兄(にい)さん」

「確かにトープは私の兄ですけれど、カーマインが兄さんと呼ぶのは違和感が…」


 カーマインは年上だし、意味が分からない。ラセットみたいにおべっかを使うようにも見えないので、冗談にしてもおかしいとしか思えないのだ。

 首を傾げて見せると、カーマインがたじろいだ。何故?


「ま、まぁそれはともかく、旅は長いから気楽にしてくれると助かる。せっかく身分の軛から逃れたんだ」

「分かりま…分かった、カーマイン」

「それでよし」


 私が頑張って普通に話すと、カーマインはやっぱりご機嫌なようでにこにこ笑顔に戻った。


「ではそんなカーマインに一つ質問。どうして一人称が僕から俺に変わったの?」


 肖像画を描いている時、王族相手には『私』を使い、私に話しかける時には『僕』を使っていた。それがここにきて誰に対しても『俺』になっている。

 率直に指摘したところカーマインと何故かトープやガガエも気まずそうにしている。


「あーそれは……今までも大概は『俺』だったんだけど」

「ノア、そう言うのは聞いてやるな。男のプライドってやつだ」

「んと、聞かないのが優しさだと思うんだ」

「どうして?カーマインは背伸びしたいお年頃ってわけでもないでしょ?」


 出会った頃から数えておそらくは二十三か四辺り。お母さんの事をお袋って呼び始めるような、ちょっと悪ぶりたい年齢はとっくに過ぎていると思うんだけど。

 カーマインはちょっとだけ遠い目をして、でも笑った。先ほどとは違ってひどく自嘲気味に。


「肖像画を描いてもらう時、最期だしノアールの前だから、王都に出てくる前の純粋な俺で居たかったんだろうな。あの時は本当に死を覚悟してたからなー」


 馬車の中がしん、として重たい空気になった。車輪の音だけがカタカタと無情に響く。

 質問を投げかけた身としては、何とも居た堪れない。よしっ、ここは笑いを取らなければ。


「下剋上とか言っていたし、それほど純粋でもなかったような―――」

「ノアっ、馬鹿っ、空気読め」


 おおう、トープに久々に頭を小突かれた。昔と違ってかなり優しげな小突き方だけど、条件反射で頭を抱えてしまう。それを見ていたガガエが怒りながらトープに何度も体当たりをした。


「トープっ流石に酷いよ今のは。殴らなくてもいいじゃないかっ」

「待てっ、手加減はちゃんとした!ノア、そんなに大げさに痛がるな。イテッいたたたた」


 顔面に直に妖精の体当たりは、いくらガガエに力がなくてもきついだろう。私は慌ててガガエを止めると今度はカーマインが突然大爆笑した。


「くっ、ふふっ。あははははっ。いやぁ、君たちってそんな感じなんだ。ちょっと安心した。楽しい旅になりそうだ」


 そんな風にちょっとおバカなやり取りをしながら和気あいあいとした馬車旅は、たっぷり時間をかけて漸く関所についた。

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