理想 ベレンス視点
いつまでたっても完成させられない作品がある。
仕方なく習作として何度も何度も描くのだが、年を経るごとに対象の記憶はおぼろげになり、誰を描いているのか今では自分でも分からなくなる時がある。
色を塗り重ねていき、時間を置いてはまた塗り重ねて、行き詰ったらまた一から書き直す。ポーズや服装は同じだが、色を置く場所が僅かにずれただけでも表情が変わり雰囲気も違ったものとなる。
初恋の少女だったはずが死別した妻の若い時分の顔になり、嫁いで行ったきり便りのない娘の顔になり、最近では何となくだが弟子のノアールの顔になりつつあった。
髪や目の色も顔形も全く違い似ても似つかない彼女たちの共通点は、十代後半であること、それから瞳に宿る光だ。何かを渇望し、なりふり構わず追い求める生き様。
女性としての幸せはもっと別の所に有るだろうに、それでは満足できないらしい。性別、身分、環境。置かれた立場に甘んずることなく努力を続ける姿は、男性には感じ取れないものがある。
理想の女性―――とは言っても恋情とはかけ離れたところにある。神話における気まぐれな女神たちとも違う。
崇拝するのとも違うし、触れたいとは全く思わない。言うなれば、私の絵に対する情熱を具現化した物、だろうか。
何もかもを犠牲にするのではなく、拾い上げた上で目指す場所。
『先生、命をすり減らして描かなければ良い絵は描けないのでしょうか。画家とは言えないのでしょうか』
ノアールの言葉を思い出す。まあなんと似たような悩みをたどるのかと思いはしたが、芸術家とはそんなものなのかもしれない。
死に掛けの状態の画家が描いた絵は確かに迫力のあるものになるが、そうでない事も往々にしてある。
震える手で、力のない腕で、見えにくくなった目で描いた物こそが素晴らしいと、どうして言えようか。
彼女の立ち位置を探るような絵は外側からあまり口を出せるものではない。周りに惑わされることなく自分でなければ見つからない。
スマルトは既に完成させていた。紫苑は彫像に見いだせた。メイズは長い時間をかけて自力でたどり着いた。
流派を作りたいわけでは無いので、指導は最低限にする。私のアトリエは、画家たちの最低限の生活を保障する目的で作った。
おそらく理解されにくいだろう。他のアトリエ…ヴィオレッタやヴェルメリオの様に続かず一代限りで途絶えてしまうかもしれないが、それでも良い。
だが、ノアールを取り巻く環境はあまりにも特殊すぎた。おそらく早いうちに破門にしてカーマイン殿に預けなければ彼女の未来はきっと閉ざされた。国王に取り上げられ、まだ若い上に平民なので宮廷画家や他のアトリエから受ける嫉妬や羨望に耐えかねて、絵が描けなくなっていたかもしれない。
蘇芳将軍に無理を言って見せてもらった絵は、私の予感が当たっていたことを示していた。ただでさえ国王の心を変えたと噂されているのだ。無闇に他に見せる事の無いよう、固くお願いをしておいた。
対象をあれほど聖人のごとく描けるならば、権力者たちはこぞって彼女に絵を依頼するだろう。それは彼女が望まぬ事態に陥る可能性が高い。
孤児や周辺の人間を人質にする。顔料の流通を封じたり、仕事の依頼を邪魔してのアトリエの封じ込め。誘拐や監禁などの本人への直接の脅し。ヴィオレッタのような権力者の後ろ盾も、ヴェルメリオのような金銭的解決も出来ず、言いなりになる未来が似たような経験をしてきただけに安易に予想出来てしまう。
それに、彼女の絵の神髄はコンクールの時のような風景や人外の者にある。
それらと同列にカーマインを扱った結果があの聖人のごとき絵になるのだとしたら、只人の肖像画を手掛けても同じような表現はできまい。マロウから聞いた彼女の過去に深く関わっているのだから。
近寄り難い神秘性、対象物に対しての畏怖、そして抗う事の出来ないほどの好奇心。
彼女の目の前の世界はどこまでも広がっていて、限りのあるものではない。が、女性であるためかスマルトの様に一人で出かける気概も無いらしく、アトリエに所属していては望むものが描けない可能性が出てきた。
今回の一件は彼女にとっても、そして私にとっても渡りに舟だったかもしれない。
「あら、先生。またその方の絵を描いていらっしゃるのですか」
「浅葱か。どうした」
「お客様がお見えになるようです。応接室でお待ちください」
久々に応接室にてゆっくりと赤いワイバーンの絵を見る。北の山に住んでいる…住んでいた友人だ。二本足のドラゴンの亜種。
私を傷つけようとしたモンスターを退治した後だったのだから、迫力があるのは当たり前だ。彼は興奮状態にあった。
ノアールは何も言わなかったがワイバーンは通常、緑色だ。返り血を浴び自らもけがをした彼を、描くことで癒した。そのワイバーンも寿命で死んでしまったが、確か二十数年ほど前になるか。
―――転生先はカーマイン殿かもしれんのう。
単なる予測に過ぎないがそんな考えがふと浮かんできた。医者や学者ならばわかるが、画家によって命を救われるなど滅多にない。眉唾物だが転生後は転生前と似たような人生を歩むと言う話もある。もちろん確証が無いので心の内にとどめておくが、本当にそうだとしたら目の前で似た人生をノアールに見せてもらった事になる。
とは言え、せっかくなのでカーマイン殿には長生きしてほしいものだ。
半刻ほどして、腐れ縁の友人、神殿長なんぞになりおったマロウが現れた。やはりと言うか、話題はノアールの件だった。
「何故、ノアールを手放した」
「彼女が望んだことだ」
「破門されたと聞いたが」
「そなたに迷惑はかけておらぬだろう。何が言いたい」
マロウは大きなため息をついた。
「ベレンス、お前の心配は貴族や王族たちだろう。あれほどの功績を残せば神殿で健康管理をされながらあ奴らを防ぎ、絵を思う存分描くことも許されただろうに」
「健康管理と言う名目の監禁だろう?」
「闇の日生まれがいつ死んでもおかしくないと、知っているだろう」
「ノアールは至って健康だ。魔力の揺らぎも無い。今まで闇の日生まれが死んでいったのはそなたのようなお節介が望みや自由を奪った結果ではないのか?」
マロウは一瞬目をひん剥いた後、怒るでもなく、今まで見たこともない程の暗い顔になった。
―――失言した。
「それまで笑顔で同年代の子供たちと遊んでいたのに、突然倒れて帰らなくなる闇の日生まれを何人も見てきた。前日には将来の夢を語っていたのにだぞ」
「すまぬ、口が滑った。彼奴らの介入を防いでくれたこと、礼を言うぞ」
微妙に悪役じみた忠告をしなければマロウもただの好好爺に見えるのに、とは言うまい。
「カーマインを救うふりをしてエボニーの被験体の確保が目的だったらしいからな。同じ藍色としてやりきれん」
知識を追い求めるあまりに暴挙に出る神官がいないわけではない。マロウの様に善良な神官ばかりなら、安心してノアールを預けられもしたのだが。
送り迎えにラセットがつけられたのは、マロウからの情報があったからだ。
「自由にさせてやってくれ。絵画は人に見られてこそ価値が上がる。大切にしまい込むだけでは、人の記憶から薄れるばかりだ」
「劣化を防ぎ後世に残すのもまた所持する者の責任だろう。保管の仕方を間違えればただのゴミクズになってしまう」
美術品に対しての考え方は平行線をたどる。
これほど意見も合わないのにどうして長い付き合いとなっているのか、本当にわからない。
◇ ◇ ◇
これにて二章終了です。少しお時間いただきまして、三章からは月曜と木曜の更新となります。
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