選択
部屋に戻ってきた浅葱さんと紫苑さんは、カーマインや蘇芳将軍がいることに物凄く驚いた。仕事上、貴族と接する機会は少なく無いとは言え、二人はちょっと格が違う。しかもカーマインは死刑囚。先生が手短に状況を説明し蘇芳将軍が依頼の報酬について話し始めると、浅葱さんの顔がお仕事モードに変わる。
報酬は、なんと一億ルーチェ。蘇芳将軍としては養子とは言え息子の命の値段だからいくら出しても足りないと言っていた。そこから私の分のホテル代が引かれ、アトリエに納める分が引かれる。それでも九割以上が私の手元に残る算段だ。
絵の料金分だけで良いです、なんて言えるわけがない。これからどんな生活になるのか分からないからもらえるものはもらっておこう。
私がアトリエから出る為の手続きも必要なので、一度ディカーテに帰ることになった。司書のクラレットさんが戻らず他の仕事も押してきているので、先生たちの図書館の仕事も立ち消えとなってしまったらしい。
「只で王都見学物していたようなものよね。だって神殿から費用も出てたし」
とは、浅葱さんの言葉。仕事が二つも無くなった先生はため息を大きくついた。
カーマインもアンツィアに戻った。私を呼び寄せたりした蘇芳将軍達へのお礼として、死刑を免れた事情を話し王家への協力を実家に働き掛けたらしい。
亡くなった兵士は戻ってこない。加えて強引な忠誠の要求。民からも領主一家からも王家へ向かう憎悪は紛争を起こしてもおかしくはないのに、カーマインはうまく立ち回っている。
国外追放にはなったけど、カーマインには馬車が与えられた。実家からの餞別代りらしい。ほとんど引きこもりの身に徒歩での旅はキツイと思っていたから安心した。
幌馬車ではなく窓付きの立派な馬車で、床下に荷物が積めるらしい。いろいろ細工がしてあるそうで、何故か御者席にラセットが付いて来る。
アトリエで過ごす最後の夜。食堂でお別れの宴が開かれた。カーマインとラセットもいる。御馳走がテーブルの上に並べられ、それぞれの手に持ったコップにはお酒が注がれている。私は勿論ジュース。
「君を小さい頃から見ていたけれど、まさかこんなことになるとは……」
メイズさんが呆れているのか賞賛しているのか分からない言葉をため息交じりに言った。しばらく見ないうちに、美しい顔が少し変わった気がする。何だろう、深みが出たと言うか。
「スマルトみたいな道を歩むのか。でもアトリエに籍は残さないんだろ?苦労するぞ」
「描きたいものを外に探しに行きたいんです」
「ああ、その気持ちはわかるな。僕にも描きたいものが見つかったから」
その視線は浅葱さんの方を向いている。おおおお、これはもしかして……!貴族と平民の身分差カップル誕生かっ。
妹に対するメイズの視線を不快に思ったのか、兄の紫苑さんが浅葱さんを隠すようにして寄ってきた。
「ノアール、死刑囚を救った画家として中庭に石像を建てても良いか?筆は剣よりも強しってな」
「止めて下さいよ、冗談は」
「何を言う、俺はいつだって本気だ」
「だったらなおさら止めて下さい」
いつもの仏頂面なんだけれど、酔っているのかうっすら顔が赤い。酔っている紫苑さんに酔っていない筈のメイズさんが絡む。
「建てるなら僕の像を立てると良いよ。そうすればいつでも浅葱は僕の姿を見られる。仕事で留守にしている時もね」
「断る。誰がお前の像なんか建てるものか!」
完璧に義理の兄弟の話になっている。私は全く関係ないのに間に挟んでにらみ合うの止めてほしい。何とか抜け出して当の浅葱さんの元へと避難した。カーマインと話をしていた浅葱さんは私にこっそりと耳打ちする。
「ノアちゃん、トープ君はどうするの?」
「それなんですけど…カーマイン、もう一人増えても構いませんか?私一人だとキャンバスを作ることも出来ないのでトープがいてくれると助かるんですけれど」
材料があって組み立てるだけなら知識が無いこともない。けれど町ごとに画材の専門店があるわけないし、木工や皮、紙の工房があるとも限らない。下手をしたら木を切って寸法を揃えて…と絵を描くまでに偉い時間がかかってしまう。
絵を描くだけなら良いけれど工作の類は全く持って自信が無い。
「二人旅ってわけではないですよね」
カーマインが愛の逃避行みたいなつもりでいたら困るので確認の為に聞いておくと、耳ざとく聞いていたガガエがびゅんびゅん周囲を飛びながら必死で自己主張をする。
「ノア、僕も行くよ。行くからね、絶対。置いてったらやだよ」
「付いてこなくても俺は構わないぞ。ノアと二人旅だ。ちなみにラセットは御者席固定だから数えない」
「旦那、ひでぇ!」
「僕も行くんだってば」
ガガエがカーマインに張り合って、髪の毛をツンツンと引っ張っている。この分だと一人増えても構わなさそうだと勝手に判断し、私はトープへと向き合った。
ホテルでカーマインについていくと返事した時から、ずっと気になっていた。アトリエに戻ってくるまでも、話し合おうとしているのに憮然とした顔で避けられてばかり。
「トープ、あのね。トープはせっかく安定した仕事に就いているから、私の方からはついて来てなんてはっきり言えない。でも一緒に来てくれたら嬉しい」
「あ……お、俺は……」
あれ、てっきり仕方ないなとか言いながら付いて来てくれると思ったのに。私はトープに聞こえるように大きな声で独り言を言った。
「これから絵の具もなかなか買えなくなるから、自作しないといけないなー。顔料の知識とか、詳しい人どこかにいないかなー」
「魔性の女がここに居る……トープ、止めとけ。辛いのは目に見えているぞ。きっと弄ばれた挙句に捨てられるんだ」
ダ…なんとかさんが余計な事を言う。実体験に基づく忠告なのか延々と語り始めてトープを止めようとするけれど、こればかりはトープが決める事だ。でも困ったな。
「珍しい顔料が手に入っても私は加工の仕方も分からないし。アトリエ抜けるからここへ送るわけにもいかないし」
ぽつりと呟いたら、今度はそれを聞いたバフさんが顔色を変えた。
「トープ、行け。親方命令だ。お前はアトリエを抜けずに出張扱いだからな」
「あんた、人の将来を簡単に決めさせるんじゃないよ」
厨房から大きな声でマゼンタさんが叱る。皆が親身になってああだこうだ助言をしている中で、意を決したようにトープが顔を上げた。今までにない程に真面目な顔だ。
「ノア、俺はノアが好きだ。俺を選んでくれたらこ、恋人として付いていく。俺を振ってくれたら俺は兄として付いていく。まだ答えられないのなら、俺はここに残る。ノアが決めてくれ」
トープの思わぬ告白に辺りがしんとする。答えを私にゆだねるとは考えても見なかった。トープの真剣な眼差しから少しだけ視線をずらし、思わずカーマインを見る。
私はきっと自分にとってどうでもいい人を救ったりはしない。カーマインに対して恋心が有ったのは事実で、手の届かない人と諦めてトープとの間でふらふらと揺れていたのも事実だ。
このまま二人に対して、不誠実で居たくない。この先カーマインに告白したとして、振られてからトープにすり寄るなんて絶対にイヤだ。
こんなチャンスをくれるなんて、本当にトープは私が好きだったんだなぁ。一緒にいた時間が長すぎて、実の兄妹みたいな錯覚だって少なからずあったのに。思い出が走馬灯みたいにたくさん蘇る。
一度目を閉じ、真っ直ぐにトープをみた。
「トープ、ごめん。トープを選ぶことは出来ない」
気づけば涙が流れて何度もごめんと繰り返していた。思いには気づいていたのに、告白されていないからとずっと甘えていた事に申し訳なさもあった。都合よく振り回しているのにそれでもついて来てくれるトープは、いつのまにかしっかり者のお兄ちゃんになっていた。
それに比べて転生してからこっち、全く成長してない私は本当に情けない。
「そっか。…泣くな。振られたのはこっちなんだ」
目の端に涙を浮かべながらも、トープは私とは逆に笑っている。憑き物が落ちたようなすっきりした笑顔だ。
「うおおおぉ、トープっお前、意外と男らしい一面があったんだなぁ」
「なんで男泣きなんすか、親方……って。うわわわ」
職人全員にわらわらと囲まれたトープは、そのまま持ち上げられて何故か胴上げされていた。
「トープの門出だ!みんな祝え!」
「それっわっしょい!」
「わっしょい!」
紫苑さんも混じっている。浅葱さんやメイズさんは笑いながら遠巻きに見ていた。主役が完全にトープに移ってしまってちょっぴり不満な私はガガエに声をかける。
「私のお別れ会…よね?」
「んー、湿っぽくならないように親方の配慮だと思うけれど、ノアもあれやってもらう?」
「絶対イヤ」
先生は隅の方で静かに飲んでいた。丁度グラスが空になるのを見て、私は慌ててお酌をする。
「ノアール、君は……少し変わった弟子だった」
「先生」
「変わっていると言うのは絵を描く上ではもろ刃の剣となる。よく言えば個性、悪く言えば周りに理解されない独りよがりの絵だ」
「はい」
絵を描いてお金をもらうようになってから、とてつもなく実感できた事。私が描いたと言うだけでは価値は分からず、誰かに見てもらって初めて値段が付く。その値段だって適正なものなのかは時間が経ってみないと分からない。
「他人に受け入れてもらえるかどうかを気にしながら、いつも慎重に探りながら描いていたのう」
「……はい」
この世界の基準と真逆になってしまうような、おかしな表現の仕方をしていないか。前世でいろいろなものを見ていただけに、いつだって気にしていた。先生や紫苑さん、メイズさんの作品を参考にしたそれは前世で学べていなかった部分を補うためでもあって、決して表現の幅を狭めていたとは思わない。
でも、先生にはそのように見えてしまっていたらしい。
「これからは思う存分好きなように描きなさい。どんな作品を描いていくのか傍で見れないのはいささか残念だが…命だけは大切にの」
「はい、有難うございました」
一度は引っ込んだ涙が再度視界を濡らす。夜は更けて、そして次の日―――
イーゼルとスケッチブック、カンバスはいくつ持って行こう?絵の具は材料を別々に持って行った方が良いかな。馬車で行くからたくさん載せても大丈夫だよね。着替えなども含めて、気づけば小さなスーツケースくらいの旅行用かばん三つ分にもなっていた。
「ノア、荷物多すぎないか?」
「女の子はいろいろ持っていくものがあるのよ」
「んーほとんど絵の道具だけどね」
「どこに向かうんですかい?」
「取り敢えず国境を超えないと。街道を西に行こう」
準備に追わながらも進む方向は決まったらしい。
私は絵を描きつつ、トープは顔料を探しつつ、そしてカーマインは冒険者の真似事をしつつ、行先のない旅をする。いろいろ描けたらいいなとは思うけれど、これと言って目標のない旅だ。
「途中でスマルトにあったらよろしくな」
「カーマインさん、ラセットさん、二人をよろしくお願いします」
「皆さん、お世話になりました」
トープと一緒に深々と頭を下げ馬車に乗り込むもうとすると、浅葱さんに泣きながらぎゅうぎゅう抱きしめられた。思わずもらい泣きしてしまう。
「絶対元気で居なさいよ。簡単に死んだら許さないんだから」
「はい、浅葱さんもお元気で。お幸せに」
皆に見送られながら、アトリエを後にする。この人生で二度目の旅立ちだ。孤児院は時期が来れば出て行かなくてはならない卒業のような物だったけれど、今回は本格的な別れ。自分の意思で旅立ちを決めたから、なおさら簡単には戻れない。
しかも、国を出る。
国外追放はカーマインだけとは言え、途中で旅を止めるつもりはない。トープだっておそらくその心算で私たちに同行すると決めたのだろう。
帰る場所はこれでなくなってしまったけれど、後悔はしていない。
だってまだまだきっと、私の描きたいものはたくさんある。
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